スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

恐るべき火に祈りを

夢を見ている。
その自覚がある。
「いつもの夢」だ。


2年前、実家でボヤを出したときの記憶がねじ曲がったような。

そんな夢をいつも見る。
毬鳥(まりとり)(おさむ)は夢うつつでそう思った。

 

周囲には煙しかない。
焦げ臭い。
薄暗いようなぼんやりした視界、音も何も聞こえないが、においだけは感じる。
焦げ臭いにおいを。

 

ハッと飛び起きた。
焦げ臭かったのは現実か。それとも夢か。
夢なのか現実なのか、区別ができない。
夢から覚めたばかりの毬鳥は、ぼんやりした顔で辺りを見回す。


寮の自室だった。
充電していたスマホを取り上げて見ると、目覚ましをセットした時間よりは早いが、だいたいいつも通りの起床時間だった。

 

毬鳥は頭を抱えた。
毬鳥は2年前にボヤを出したことはない。
2年前にボヤを出したと言っていたのは、この寮での同室の者、芽能(めのう)崇祠(たかし)だった。
ついに他人の夢を自分の夢で見てしまった。

 

いつもいつもいつもいつも火を恐れ、「こんな夢を見た」「またこんな夢を見た」と語る芽能の話を聞いているうちに、同じ体験を自分がしたと思い込んでしまったのか。
他人の夢の話など聞くのではなかった。

毬鳥は、芽能の刷り込み力の強さを思い知り、うなりたい気持ちになった。

うなっていても、これ以上寝ていても仕方ない。毬鳥はドタドタと部屋のふすまを開けて廊下に出た。


毬鳥が住んでいるのは派遣会社の寮だった。
寮とは言っても、アパートの1室を派遣会社が借り受け、それを派遣社員に貸し出しているものである。
毬鳥が住むアパート(寮)の部屋は2DKだった。2部屋あるので、もうひとり同居人がいる。

それが芽能だった。

 

毬鳥と芽能は、タッドリッケ・伊名井工場という工場で働いている。シフトが同じため、生活時間帯が重なる。というわけで今も部屋を飛び出した毬鳥は、トイレ帰りにキッチンで芽能と鉢合わせした。

 

「あ、今シャワー使う?」


朝の挨拶をわざわざすることに照れ、毬鳥はそんな言葉で芽能に話しかけた。

 

「臭くないですか?」


芽能は毬鳥の質問には答えず、自分も質問を返した。質問返しである。


「マジで?」


質問返しをされたので、毬鳥は返事をする気にもなれず、自分のにおいをクンクン嗅ぐことにした。クンクンすんすん嗅いだ。
あ、確かにちょっとにおうかもしれない。毬鳥がそんなことを思い始めたところで、話のすれ違いに気づいた芽能が慌てて訂正した。

 

「いえ、毬鳥さんのことじゃなくて」
「あ、そう。んじゃ何」
「焦げ臭くないですか?」


芽能は真顔で尋ねた。
毬鳥はため息をついた。


「また夢でも見たんか? 燃えてないよ、何も」


自分も似たような夢を見ていたことは棚に上げ、毬鳥は芽能に言う。

 

「ほんとですか? ガスの元栓、大丈夫ですか」
「大丈夫だよ」
「マジですか」
「マジでだよ」

 

毬鳥はそこで大きく息を吸うと、一気に言った。


「芽能、いいことを教えてやろう。火事は意外と起きない。この世にある物はそこまで燃えない」
「起きますよ。気をつけてなきゃバンバン火事は起きますし、そこら辺にある物だってどんどん燃え尽きますよ。だから気をつけないといけないんですよ。燃えてしまわないように」

 

芽能は、毬鳥の調子に合わせるかのように一気にまくし立てると、ドヤ顔をした。


「そこでなんで芽能がドヤ顔するのかよくわからんけど……。俺が言いたかったのは、心配しすぎってこと。そんなんじゃ体壊すよ」
「火事が起きなければ俺は大丈夫です」
「だからさあ、火事が起きるまでに力尽きるよっていう……。もういいや……。俺、先シャワー使う」

 

毬鳥は体の向きを変え、風呂場の方向に向かった。
出勤前のシャワーは、問答無用で毬鳥が先に使うことになった。

しかし芽能はシャワーの順番はどうでもいいらしく、キッチンのガスコンロに向かうと、元栓を確かめていた。
閉まっているのを確認したのであろう、芽能はひとまず安心して息を吐いていた。

 

風呂場に向かう途中で、そんな芽能の様子を目撃してしまった毬鳥は、芽能とはまた違う意味で長々と息を吐いた。

 

同室になって2週間ほど、毬鳥は自炊していた。
だが、あまりにも芽能が火の始末にネチネチとやかましいために、ついには自らガスの元栓をしめ、2度と開けることはなかった。
光熱費を含めた寮の費用は派遣会社持ちだったため、毬鳥にとっても芽能にとっても、それ自体は特に損でも得でもない。

 

しかし毬鳥には、調理師学校に行くという目標があった。工場に働きに来ているのは学費をためるためである。
目標が調理師なので、当初、毬鳥はレストランの厨房で働いていたが、なかなか目標の額をためることができなかった。給料の額と、寮があるという点を考慮して、毬鳥はタッドリッケ・伊名井工場で働くことにしたのだった。

 

だから毬鳥としては、プライベートで料理ができないのは困るのである。
ふだん料理をしない調理人もいるであろうが、毬鳥はまだ調理人ではなく、学校に通うところにすらたどり着けていない。これでふだんの料理すらしなかったら、自分が何のために働いているのか、目標を見失ってしまいそうだった。

 

「寮を替えてもらいたいんですけど」


工場にある派遣会社の事務室で、そこにいた派遣会社の人間を捕まえて毬鳥は言った。

 

「寮を。えーと、毬鳥さん。芽能さんと一緒の寮ですよね、伊名井駅近くの」


毬鳥の言葉を聞き、毬鳥たちとは色違いの作業服に「粟石」と書かれた名札をつけた男が、パソコンで何かを調べてから言った。

 

「そうです。その芽能とちょっともめて。火をやたら怖がるんで料理できないんです」
「ははぁ、料理をしたいと、えーと」


粟石は、さらにパソコンを操作した。そして告げる。

 

「あ、今、男子寮は空きがないですね。女子寮だとあるんですけど」
「え、ワンルーム寮とかは」
「それも今、満室ですね、満室という言い方も変だけど。どうでしょうか、今のところほかの寮の空きがないので、芽能さんと相談、相談というのも変かもしれませんが、おふたりのあいだで解決できないかどうか、道を模索してみるというのは」


結局、今すぐに寮を移るのは無理だということで話が終わった。

出られない。火を恐れるアイツから逃れられない。

とぼとぼと歩いて事務室から出た毬鳥は、そんな予感を覚えた。


今すぐに寮を替えられないなら、あそこで料理するしかない。

知り合いの寮のキッチンを借りることも考えたが、そこまで親しい知り合いがそもそもいなかった。毬鳥にとっては現実的ではない。

あの、芽能がいる寮のキッチンで料理をするしかない。

 

それならば、火を使わなければいい。

芽能が調理途中で帰ってきたとしても、火を使っていなければなんとかなる。

毬鳥はそう考えた。

 

職場からの帰りのバスの中で、火を使わない料理をレシピのサイトで探してみた。
毬鳥が見たサイトでは、デザートが検索の上のほうに多く表示された。
プリンだったら以前作ったことがある。毬鳥はプリンのレシピに指を止めた。
小学生のころ、クリスマス会だったか何だったかの会で、友達と作ったことを思い出したのである。確か電子レンジを使った。レンジなら寮に備え付けられている。

 

プリンを作ろう。

これなら芽能が外出したときに作り始めれば、帰ってくる前に調理が終わるかもしれない、毬鳥はそう思った。

 

レシピをスマホで調べる。

作り方はわかっているので、材料の分量だけを確認した。

バスから降りたその足で、足りない物を買い足しに行く。

 

そして今、毬鳥は、寮の台所に立っていた。

芽能は外出していた。
どこに行くのかは尋ねなかった。

買い出しに行ってから2日後のことだった。

このときを待っていたのだ。

とにかく手早く済ませることだ。


毬鳥は、焼きプリンではなく、冷やして作るプリンを作るつもりだった。
レンジを使い生地を混ぜ、冷蔵庫で冷やす。
簡単だ……、と思っていた。
だが、毬鳥はカラメルソースのことを忘れていた。

 

以前、作ったときには、カラメルソースはその場にいた大人が作ってくれたことを、ようやく思いだした。
カラメルソースなしのプリンにするか、どうするか。

 

(カラメルっつうのはアレだよな、砂糖水を焦がしたものだよな。レンジでもできそうではあるけど……)

 

毬鳥の思い出の中では、大人たちが鍋を火にかけてカラメルソースを作っていた。
思い出どおりに作ることが今の目的ではないのはわかっていたが、毬鳥はレンジでカラメルソースを作るよりも、鍋で作るほうが簡単な気がしてしまった。

 

毬鳥は迷った。
今は芽能が寮にいない。
芽能は、いつ寮に戻ってくるのか。
芽能が戻ってくるまでに、カラメルソースを作り終えることができるのか。
それともここで調理を終え、カラメルソースなしのプリンで満足するか。

 

毬鳥は動いた。
キッチンに置きっぱなしになっていた、自分が持ち込んで、ここでは2週間しか使っていない鍋をつかんだ。ホコリがつもっている。鍋を洗い、軽く拭く。
そして冷蔵庫から水を取り出し、目分量で入れた。
それから、これまた毬鳥が持ち込んで、使わずにいたままだった砂糖をスプーンで鍋に入れる。

 

火をつけて、砂糖が溶けるように鍋をゆるゆると揺らしながら、毬鳥は玄関のほうを盗み見た。
まだだ。まだ帰ってこない。
いつごろ芽能が戻ってくるのか、まったく予想がつかない。

 

チリチリと音を立て、鍋からは香ばしい香りが漂ってくる。
まだだ。まだ色が薄い。

 

毬鳥は水を入れるタイミングを計っていた。
確か最後に水か湯を入れるはずだ。
毬鳥は、おぼろげな記憶だけで作り慣れていないものを調理をすることに対し、若干のうしろめたさを感じてはいた。だが、いつ芽能が帰ってくるかわからない状況で、のんびりレシピを確認している心の余裕がなくなっていた。

 

手元に湯はない。沸かしている余裕がなかった。水を使うしかない。
まだだ。この色ではカラメルにしては薄すぎる。
そんなことを思いながら、毬鳥は鍋の中の煮詰まりつつあるものを見つめていた。

 

バタン!


玄関から乱暴にドアを開け、閉める音がした。


「!! やっぱりこの部屋でしたか! 何のにおいですか、これ!? 焦げ臭い!」


芽能がドアを駆け抜け、キッチンに入ると同時に毬鳥に向かって叫んだ。
毬鳥は背後の芽能を振り返ったが何も答えられず、鍋の中に視線を戻した。


いきなり鍋の中の液体が色づいた。……ような気がした。
今、水を入れるしかない。
毬鳥は水を鍋の中に少量入れた。

 

バチバチバチバチ!

 

すさまじい勢いで鍋の中身がはじける。
鍋の外に飛んでしまったものもあった。

 

「あー……、しまった」
「うわあ!! 何ですか、何作ってるんですか!」

 

芽能が毬鳥の背後で悲痛な叫びを上げた。
毬鳥は火を止め、鍋をゆったりと揺らし続けながら振り返った。
そして芽能に向かって言った。

 

「カラメルソース。プリン食うか?」
「いりません!!」
「本当に? まだできてはいないけど。あと数時間でできるよ」
「……」


芽能が迷うような表情を見せた。

 

「これで火を使う作業は終わり。もともと火を使う気はなかったんだけど、カラメルソースのこと忘れてた」


毬鳥は正直に言った。

寮を移るのは、今のところ無理そうだ。
毬鳥は、芽能がカラメルソースを作り終わらないうちに戻ってきたときから、もはや諦めにも似た心境に至っていた。
芽能に内緒で料理をすることも、おそらく無理だ。
だったら、芽能をなんとか説得するしかない。

 

「俺がどれだけ火を恐れているか知っているでしょう。知ってて作ったんですか」
「うん。怖がらせたなら、すまん」

 

そう言ってから、ひと呼吸おいて毬鳥は切り出した。

 

「どうだろう、芽能、俺の火の始末がちゃんとできてるかどうか、チェックしてもらうわけにはいかないか?」
「なんで俺が」
「頼まなくたってやってるだろ、今。そこを頼んでる。俺も自分の不注意で火事を出すのは嫌だし」
「いえ……、でも」

 

反論したいが、どう言えばいいのかわからないといった様子で、芽能がもぐもぐとつぶやいた。

 

「芽能がいないときは料理をしない」
「なんでそこまで」
「うん……。芽能、俺、料理するときはふたり分作るからさ、味見係やってくれない?」

 

なんとか味方につけられれば、料理ができるかもしれない。

火に過敏に反応する、この男を。


「俺が?」
「まあ、せっかく同室になったんだし、いがみ合っててもしかたないし。芽能の都合いいときに付き合ってくれればいいなと思って」
「……」
「今日の所は、プリンをお供えするから許してください、火の神様」
「え」
「火の神様、芽能さま」
「バカにしてるんですか」
「バカにはしてないけど」
「『けど』、何ですか。俺は火の神様じゃないですよ。火の神を恐れる凡人です。むしろ火の用心を訴える一般市民です」
「火の用神か」
「なんでダジャレにするんですか。それダジャレでしょ。『神』の字当ててるでしょ」

 

文字で伝えたわけでもないのになぜかダジャレに気づかれ、毬鳥は吹き出した。

 

「何でそこまで敏感なの。実はダジャレ好きなんじゃ」
「好きではないです、やめてください」

 

真顔で言われ、毬鳥は黙った。

 

6時間後。

 

「プリンができました、火の用神」
「やめろっつってるでしょ、しつこいなぁ、もう」

 

怒りながらも芽能は部屋から出て来た。
派遣会社が用意していないため、キッチンには椅子もテーブルも何も置かれていない。芽能は、毬鳥が用意したプリンとスプーンが載ったカウンターの前に立った。
家具がないので立ったまま食べるつもりのようである。

 

「毬鳥さんって、そこまで年いってないですよね? 言動がオッサンなんですけど」

 

スプーンを手に取った芽能が毬鳥に尋ねた。

 

「19だけど」
「えっ。俺より年下じゃないですか。俺2コ上です。貫禄があるわけじゃないのに、妙に年上っぽいですね、毬鳥さんって」
「いいから食べて。それ以上、俺をディスる前に」
「いただきます」

 

芽能はプリンの容器を手に取り、スプーンですくって食べた。

 

「……うん。はい」
「芽能、感想」
「感想を強要しないでください。えーと、おいしいです。けど、ちょっと苦いですね」
「カラメル焦がすの失敗した」
「失敗しないでくださいよ、無理矢理作っておいて」

 

毬鳥をにらみながら、芽能はプリンを引き続き口に運んだ。

その様子を見ながら、毬鳥は反論を試みる。

 

「いや、だって、急に芽能が帰ってくるから」
「俺のせいにしないでください」
「いや、マジで自信なくすわー。俺さあ、調理師学校の学費ためたくて工場で働いててさあ。だからモチベ維持のためにも、料理をふだんからしとこうと思った矢先にこの微妙なプリン」
「プリンはうまいですよ、カラメルが微妙ってだけで」
「だからそれは芽能が」
「俺のせいにするなと……、ああはい、わかりました、次からは毬鳥さんが料理作ってるとこを邪魔しませんよ」
「おっ確約」

 

毬鳥は顔をほころばせた。
芽能の確約以外にも笑顔の理由はあったが、黙っていた。

 

芽能がどういう舌の持ち主なのか、今までいがみ合うだけだった毬鳥は知らなかった。
とはいっても、わざと苦いカラメルを作ったわけではなく、本当に芽能の帰宅に驚いたのと、作り慣れていないのとで微妙な味になってしまったのだが、このカラメルをおいしいという人間には毬鳥は用がなかった。

 

芽能に食べさせる前に試食してみた毬鳥は、カラメルの苦さに眉をしかめた。
好みの問題ではなく、バランスが悪かった。
ほのかなやわらかい甘みのプリン本体と比べて、カラメルが突出して苦い。
食べられないほどではないが、これをおいしいと言われても少しだけ困るな、毬鳥はそう思っていたのだった。

 

今まで毬鳥にとっては鬱陶しかった芽能の率直さや、かんに障る物言いが、今となってはありがたいものに思えてきた。

芽能と毬鳥はプリンを食べ終えた。引き続き立ったままである。

 

「じゃあ、火の元の点検よろしく。火の用神」
「だからそれやめろって言ってるでしょ、ダジャレ魔神」

 

お互いを神と呼び合いながら、毬鳥はプリンの容器とスプーンを洗うために流しに向かい、芽能はガスの元栓とその周辺のガス漏れなどのチェックのためガスレンジに向かった。

 

毬鳥は、洗い物をしながら、今までなぜ同居人に不満を持っていたのかわからなくなりつつあった。
火元の点検を自分以外にもやってくれる者がいる。
もちろん自分でも気をつけはするが、同室の者が同時にチェックしてくれるのなら、これほど心強いことはない。

 

さらに、料理を作れる。
作っているときに邪魔をしない約束をしてもらった。邪魔をするしないよりも、ここで料理をしてもいいと芽能が認めたということのほうが、毬鳥にとっては重要だった。

 

火を使ってもいい。
火を使わない料理も料理ではあるが、毬鳥は火を使って料理をしたかった。
毬鳥は喜びを心の中でかみしめた。

そして祈りの言葉など知らぬ毬鳥は、自分なりの言葉で感謝の意を表した。


かまどの神よ、火の用神よ、我にちからを。そして安全を。

 

(おわり 025/030)

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆

 

↓派遣会社の社員、粟石さんが登場する話。バスに乗り遅れた3人を社用ワゴンで迎えに行きます。

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↓内容は直接はつながっていません。寮の同居人との関係もいろいろですねシリーズその1。これは、ふたりの同居人がそろってボリボリマン、つまりボリボリメンになる話です。

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↓こちらもつながってはいません。同居人もいろいろですねパターンその2です。腰痛になった同居人をいたわる話です。

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