トゥインクリング・スターズ&ブリンキング・ジ・アイズ
小さな体にうらみがパツンパツンに詰まっている。
同じ工場に勤めていた
要領がよくて、人当たりがよくて、親切で、有能で、それを周りからも評価されている人間。鳴瀬は、目木と話したことはなかったが、話をする気はなかった。
話をしたら、大声で怒鳴ってしまいそうだった。
「あたしから返せ」と。
「オマエが持ってる物全部返せ」と。
鳴瀬にもわかっていた。
それは単なる濡れ衣で、目木が持っているもの、信頼だとか人気だとかそういったものは、鳴瀬のものを奪って手に入れたわけではないことを。
だが、わかっていてもはちきれそうなうらみを抑えきれる自信がなかった。
本当のところを言えば、「うらんでいる」のではなく「うらやましい」、つまり「うらやんでいる」のだが、鳴瀬はそんなことを素直に認める気にはなれなかった。
「まだ18だもんね」
と、同じ工場で働く代々木に言われた。
代々木としては、鳴瀬よりも年長の目木と鳴瀬を比較して、鳴瀬はまだ若いから未熟でも仕方がない、と言ったつもりだったのかもしれない。どういう意味で言っていたにしろ結果は同じであっただろう。鳴瀬は反発した。
大きな口げんかになってしまったため、仲裁に入った班長によって鳴瀬は作業する場所を変えられた。
第1作業フロア内の、あちらからこちらへ。
結果的に代々木からは離れたが、当の目木と席が近くなってしまうという、誰が得するのかよくわからない運命のいたずらが起きた。
作業する席は変わっても、鳴瀬は変わらない。
作業をしながら考える。
年が関係あるのだろうか。
あるのかもしれない。
この先も鳴瀬は自分が変わることはないだろうと予測していたが、年が若いせいで、これから鳴瀬が変わる予感を周りが勝手に感じてしまうのである。
つまり、「未熟だからそう思うのだ、人として成熟すればその思いは変わる」と勝手に思われるのだ。
そんなことはない。
未熟だから人をうらむのではない。
単にそういう人間だというだけのことだ。
鳴瀬はもはや自分のアイデンティティとなっている「うらみ」を手放す気はなかった。
無自覚に人をうらむからいけないのだ。
自覚的にうらむのならよいではないか。
うらむことと迷惑を掛けることは別だ。
鳴瀬は、恨んでいるからといって目木に何かひどいことをする気はなかった。
行動する気はない。
目木だけでなく誰に対しても、物理的に傷つける気はない。
ただうらんでいるし、嫌いだと思っている。
単にそれだけのことである。
鳴瀬はそう思っていた。
が、ある日。
目木が職場から消えた。
寮からも消えた。らしい。
鳴瀬はうろたえた。
もちろん「消えた」と思っていたのは鳴瀬だけで、目木と直接話をしていた人間は全員、彼女がどこへ行ったのかは知っていた。
本人と話をしなかったことで、目木についての消息がまったくわからなくなってしまった。それでいいはずだったのに鳴瀬はなぜかうろたえ、目木についての情報を集めようとした。
「目木さん? ほかの仕事見つけたって。正社員らしいよ~。もともと学歴ある人だしね」
「行方は知らない。けど、別れの挨拶はした」
「目木さんの次の仕事、なんかすごいらしいよ。内容よく知らんけど、給料すごい上がるって聞いた」
目木は目木だった。
聞き込みを続けるうちに、どんどん溜まってきた自分の中の「うらみ」ゲージを感じながらも、鳴瀬はどこか満足した。
鳴瀬は目木に別れの挨拶などしたくはなかったが、何も言わずに消えられるのもうらみたくなるものなのだな、と学んだ。
自分のうらみゲージが溜まりきるとどうなるのだろう。
必殺技でも出せるようになるのだろうか。
そうだといいな。鳴瀬は思った。
ただうらみで体がはち切れそうになるだけの効果しかないというのも、味気ない。
必殺技がそのうち出るのだ。
必殺うらみパンチが。
パンチだけなら今でも出せそうだったが、必殺というからにはおそらく、すんごいエフェクトがつくのである。
キラキラがましくシャラシャラした、しゃらくさいものがきっと付随するに違いない。
必殺技の名前はきっと、トゥインクリング・シャイニング・スターとかそんな感じに違いない。
……と、そういったことをひととおり、
「……」
鳥手は相変わらず黙っていた。
鳥手は無口な人間だった。
鳴瀬はそれを承知で、休憩時間にひとりになりたい鳥手をつかまえ、一方的に話を聞かせていたのである。
これではうらみゲージがたまるのはどちらかというと鳥手ではないのか、と途中で気づいた鳴瀬は黙った。
今にも必殺パンチが飛んでくるのかもしれない。
椅子も灰皿も何もない、自販機とゴミ箱しかない、鳥手お気に入りの休憩スペース(おそらく)での出来事だった。そこで飲み物片手に立ったまま語るふたり(というか語っているのはひとりで、飲み物を持っているのもひとり)である。
鳴瀬の新しい作業机は、この鳥手の左隣だった。そして鳥手の右隣が、いなくなる前の目木の席だったのである。以前鳴瀬は、鳥手と目木が親しそうにしゃべりながら休憩から戻ってくるところを見たことがあった。
きっと鳥手は目木の信者に違いない。
目木は人気者だったから。
鳴瀬はそう思い込み、目木がいなくなって鳥手は心の支えをなくしているであろうと勝手に想像し、彼を話し相手に選んだ。
「すごく、正直に言えば」
鳥手が山よりも動かざる口をようやっと開いた。
「おっ? 何よ」
鳴瀬は、ふだん無口な人間が何を言うつもりなのか、単純な興味を持って身を乗り出した。
「つまらない……」
なぜか鳥手は心底がっかりした顔で言った。
「……」
鳴瀬は黙った。
つまらないとは。つまらないとは何なのか。
「目木さんの話かと思った。ら、ゲージだとかパンチだとか。ゲームやりすぎじゃない?」
「……」
そうかもしれなかった。
しかし自分は特に鳥手を楽しませる目的で話していたわけではない。
それが鳴瀬の本音ではあったが、今言ったら単なる負け惜しみに聞こえてしまう。鳴瀬は反論をすぐには思いつけず、考えているあいだにうっかり怒鳴り散らしてしまわないよう、口を閉じた。
ぼん!
頭の中で怒りが爆発し、ぴひょーと音を立てて空気が抜けたような感じがした。
これだから。これだから目木信者は。
「これだから目木信者は」
実際に言葉にしてしまっていた。
怒鳴りはしなかったが、思っていたことはそのまま口から出て行った。
鳥手は表情を変えず、鳴瀬から吐き捨てられた言葉に対し、穏やかに返事をした。
「信者ではない。けど、なんかもっとないの、楽しいこと」
「たの、楽しいことって何」
「それは鳴瀬が考えること」
「あたしは人をうらんでるのが楽しいの!」
鳴瀬はダッシュで逃げた。
自販機の休憩スペースからうつむきながら走り去り、近くにあったトイレに逃げ込んだ。個室の扉の鍵を掛ける。
自分でもなんと分類していいのかわからない、うらみとはまた別の感情が芽生えていた。なぜだか泣きたいような気分になり、泣いているあいだの自分の体の保護をトイレの個室に求めたのだった。
鳥手と話したのは今日が初めてだった。目木のことがなければ、鳴瀬から話しかけることはなかっただろう。
話す前は、無口だからおとなしい性格なのではないか、わが聴衆にふさわしいと思い込んでいたが、話してみたら意外と痛いところを突いてくる。鳥手は話を聞いているだけのお人形ではなかった。
アイツたぶん、賢い。
鳴瀬は直感していた。
そんな鳥手に対しても、目木とはまた別のうらみを感じ始めていた。
「楽しいことって何」
個室の中でもう一度、言った。
それは鳴瀬が考えること。
鳥手の言葉が鳴瀬の脳裏によみがえった。
考えてわかることなの?
楽しいことって何?
「何をお悩みですか、お嬢さん」
唐突に後ろから声を掛けられた。女性の声だ。
トイレの個室の中である。
鳴瀬は扉に向かって鍵を掛けた、そのままの姿勢でいた。
後ろと言えば便器しかない。
鳴瀬がゆっくり振り返ると、そこには便座に腰掛けた女性がいた。鳴瀬と同じ、工場の作業服を身につけている。
制服の胸につけられた名札には「三条鈴花」とあった。
「ぎゃあっ!!」
「自分から人のトイレに駆け込んできて、ぎゃあも何もないんだけど……」
あきれたようにいい、三条はさらに言葉を続けた。
「私も出ようとしてたところにあなたが入ってきたので、私は今、用を足している途中ではありません」
「は、はい」
見ればわかることを説明され、鳴瀬はそれ以外に何も言うことができなかった。
「そして私はトイレの番人。トイレを使おうという人間にあだなす存在でもありません。さあ、鍵を開けいったん外に出てみましょう、鳴瀬さん。そうすれば私も外に出られます。あなたはそれからトイレに入り直し、ひとりで悠々と使えばいい」
三条は丁寧に、鳴瀬がこれからすべきことをガイドした。
なぜ私の名前を知っているのだろう。
鳴瀬は一瞬不審に思ったが、すぐに気づいた。
そうか、名札か。
鳴瀬は腰の辺りに名札を止めていたため、斜め後ろからでも名札が見えたのであろう。
混乱してはいたものの、鳴瀬は三条のガイドに従い、三条を個室の外に出し、ひとりでトイレに入り直すことに成功した。
「あなたのトイレライフがよきものでありますように……」
そんな言葉を言い残して、三条が立ち去った気配が個室の扉越しに伝わってきた。
自称トイレの番人。
いったい何者なのか。
いや、トイレの番人なのだが。
「何なの、トイレの番人って」
ひとりつぶやいて用を足そうとして、そもそも用を足す目的でトイレに駆け込んだわけではなかったと思い直し、しかしもはや泣く気も失せてしまい、鳴瀬はもう一度トイレから出た。
「トイレの番人というのはですね」
個室から出て、とりあえず手を洗っているとトイレの入り口付近から声がした。
先ほどの三条、自称「トイレの番人」の声であった。
鳴瀬は一度ビクッと体を震わせたのち、黙って手を洗う作業に戻った。
「トイレによくこもってる人間のことです」
「……」
鳴瀬は手を洗い終わり、ポケットからハンカチを出して手を拭きつつ三条の声を聞いていた。
このままトイレから出ると、また鉢合わせしてしまう。
何を言うつもりなのか知らないが、言いたいことが一段落するまで待った方が良さそうだ、鳴瀬はそう判断して待っていた。
「鳴瀬さん、楽しさとは」
鳴瀬はハッとした。
トイレに駆け込む前に鳥手と話していた話題である。
なぜ鳥手と話した内容を知っているのだろう。
鳴瀬は、個室に入ってから自分がひとりごとを言ったことを覚えていなかった。そのため、本当にトイレの番人に心の中を読まれたかのような、不思議な力を持つ人間に出会ったかのような錯覚を起こした。少しだけトイレの番人をリスペクトする気持ちを持ったのだった。
「楽しさとは、体の中のものを体の外に出すときに生じる感情。トイレの番人はそう見つけたり」
廊下を歩き去る足音が聞こえた。
今度こそ立ち去ったようだった。
確かにペットなどのトイレハイに関しては、鳴瀬も聞いたことがあった。
しかし、人間にも言えることなのだろうか。
いや、トイレとは限らないのか。
トイレの番人が言うからそう思ってしまっただけで、精神的なものであればトイレとは関係ないのか。
鳴瀬は、自分に置き換えるとどういうことになるのか考えた。
自分とは、うらみを持つ存在である。
心の中のうらみを外に出す。
それはやはり必殺技として出すしかないのではないか。
「そのために、鳥手のそばにいることにした」
まだ休憩時間は終わっていなかったが、鳥手は作業フロアの自分の作業机に戻っていた。
鳴瀬はその左隣に位置する自分の作業机に戻り、椅子に座って椅子ごと鳥手の方を向いて宣言した。
鳥手の右隣の作業机にはすでに新しい担当者がいたが、今はまだ休憩から戻ってきていない様子だった。
「……」
鳥手は、作業机の前方を見たまま、いつもどおり黙っていた。鳴瀬の言うことを聞いていたのかいないのかわからない。
「ちょっと聞いてんの? 鳥手、こっち向いたらどう」
鳴瀬は、思ったことをそのまま口に出した。
鳥手は黙ったままではあったが、体を鳴瀬のほうに向けた。聞いてはいたらしい。
「よし。あ、鳥手、数字出すの早くない? まだ休憩終わってないのに」
鳴瀬は、今度は鳥手の作業机のLED情報板に文句をつけ始めた。
LED情報板にはその作業机の進捗が数字として表示されているため、ここタッドリッケ・伊名井工場では休憩のあいだスイッチを切っておく者が多い。
「数字見て、2時間でどこまで行けるか考えてる」
鳥手は短く説明した。
伊名井工場では2時間おきに休憩が入る。休憩から戻った直後は、だいたい作業ペースが一時的に落ちる。だが、数字が上がるペースを落とさないために鳥手は休憩が終わる前に精神統一をする。
鳴瀬は鳥手の言った言葉に、心の中でそう補足した。
「ふうん。数字を」
鳴瀬は自分の作業机についたLED情報板を見上げながらそうつぶやくと、何かを思いついたように自分のLED情報板のスイッチを入れた。それから鳥手の方に向き直って言った。
「あたしもやる。今のあたしの数字、鳥手、覚えといて」
「……なんで俺が」
「数字覚えるの、あたし苦手だから。鳥手、数字好きなら覚えるの得意かと思って」
「ゲーム好きなら、数字くらい覚えられる」
「あたしはゲームは好きだけど数字は覚えられないの!」
「……どういう自慢」
「自慢じゃないっつの。あ、ちなみにこれ、性別もたぶん関係ないから。あたしが個人的に数字が覚えられないってだけの話だから、そういうことでヨロシク」
「……ヨロシク」
鳴瀬に「よろしく」と言われたところで返事に困ったのか、鳥手は「よろしく」をオウム返しした。そして「よろしく」を返してしまった以上は仕方ないとあきらめた様子で、鳴瀬のLED情報板を見上げると、まばたきをひとつした。
数字を見ながら、もうひとつまばたく。今度は長めに目を閉じて、それから開いた。
「覚えた」
「今ので?」
鳴瀬は驚いて聞いた。鳥手が前を向き直し、宙を見ながら鳴瀬のLED情報板に書かれた数字を読み上げる。数字自体は4桁までの数値だったが、情報板には実績、予定、差が表示されていた。そのすべての数値である。
「まばたきで覚えるって鳥手、魔法使い?」
「魔法は使えない。長いこと覚えてもいられない。2時間が限度」
「それで十分だけど」
鳴瀬はなんとなく自分の机のほうに視線を戻しかけ、それから素早く鳥手のほうを振り返って言った。
「あ、しまった。今ので数値下がっちゃった」
「……何の数値」
数字の話には興味があるのか、鳥手が珍しく問いかける。
「必殺技ゲージの数値。5000溜まると必殺技が出るんだけど、今のでマイナス500くらいだな」
「……またゲーム……」
「ゲームじゃなくて現実の、あたし独自の必殺技ルールなんだけど」
無表情でつぶやいた鳥手に、鳴瀬は言葉を返した。
どちらにしろ興味はない、とでも言いたげに鳥手は前を向き直した。
そろそろ休憩が終わる。
鳥手の右隣の作業机の人間も、ふたりが話しているうちに席についていた。作業フロア内の作業場所に、その場を担当している者が各々戻ってきていた。
班長が作業再開の号令を掛けた。
作業を淡々と進めながら鳥手は考える。
作業を進め、刻々と積み上がっていく数値を確認しながら、その隙間に考える。
必殺技ならもう発動しているのではないか。
鳥手の左隣の作業机では鳴瀬が今も作業しているはずだが、そちらを見ずに考え続ける。
鳴瀬は今日初めて言葉を交わした人間である。
鳥手は目木と話をすることですら、1日ではできなかった人間である。
最後にやっと話をすることができたが、その時点で目木から掛けてくれた言葉は山のように積み上がっていた。
あの目木ですらそうだったのに、鳴瀬という人間は。
たった1日で、ひとことふたこと言葉を掛けただけで鳥手から返事を引き出した。
特に悪気はないが会話をする必要性も楽しさもうまく理解できない鳥手が、返事をする気になった人間なのである。
目木さんとはまた違う人間なのだな、と当たり前のことを鳥手は理解した。
鳥手のそばにいると言っていた。
そうすればいつか必殺技が出せると。
あるいは必殺技で違う自分に生まれ変われると。
そんなことを本気で信じているのだろうか。
そんな日は来ない。鳥手は確信していた。
鳴瀬が自分で思っているような必殺技のゲージで必殺技を出すとは思えなかった。
鳴瀬が思っている自己像はあまり精度が高くない。
鳴瀬はきっと、うらみで動いているわけではない。
他人のいわゆる「長所」に気づきやすい人間だというだけのことではないか。
必殺技のようなものがあるとしたら、それ自体が必殺技のようなものだ。
そこまで考えたところで、鳥手は、鳴瀬の机の方向を一瞬見た。
鳴瀬と目が合った。
視線を鳴瀬のLED情報板にやってから、自分の作業机に戻す。
今見た数字を覚えていなかった。
そもそもなぜ情報板をはじめから見ずに鳴瀬の方向を見たのか、自分でもよくわからなかった。
なんだこの必殺技。
不意に目が合ってしまい、ドギマギさせるという技なのか。
違うとはわかっていたが、手が震えた。
笑ってしまいそうになるのをこらえながら、考える。
鳴瀬、この必殺技、なに?
(おわり 004/030)
☆☆☆☆☆☆☆
工場編の中でつながっている話はどれだろか~どれだろか~。
どれだろうがどうでもいいですが、リンク貼っておきます。
よろしければこちらもどうぞ。
↓鳴瀬がバチバチに意識していた(そしていなくなられると寂しくなった)目木さんの話はこちら。
↓隣の机の鳥手くんの話はこちら。
↓途中でチラッと出てきたトイレの番人の話はこちら。