集合写真を撮りましょう
カメラが計算している。
光と影、色と色。距離と距離。
カメラの中にもうひとつの世界があるかのように。
もうひとつの世界を、カメラのこちら側にいる、撮っている者の世界になるべく近づけるように。
餅居一馬は、植矢高校のオリエンテーション合宿(という名の1学年全員参加の旅行)にカメラマンとして付き添っていた。
合宿の4泊5日のあいだ中、植矢高校の今年の1年生が山を登り、山を歩き、山から下りてくる写真などを撮り続けた。
とにかく山を歩く合宿だった。
その山の名は
山と名はついていても、実際は小高い丘と言ってもよいほどのなだらかさで、その山を歩くのは、登山とも言えぬような、坂をハイキングしているようなものだった。
しかし、とにかく歩く。
どういう理由なのか知らないが、合宿には、全日程通して山を歩く以外のイベントがない。餅居が写真を撮ったのも、生徒が山を歩いているシーンばかりだった。
そんな、カメラマンの腕の見せ所のような、いくら腕があってもやっていることが平らな山を歩くことだけではどうにもこうにも盛り上がりに欠けるような、なんとも言いようのない合宿は本日で最終日だった。
やっと山以外の写真を撮れる。
餅居は、この合宿のあいだ中、筋肉痛に悩まされていた。
筋肉痛に悩まされるのは、自分が中年だからなのだろうか。
高校生であれば、体力があるだろうから筋肉痛などとは無縁なのではないか……と思っていたが、実際は高校生ですら筋肉痛になっているようだ。
まったくもって意味がわからない。
この合宿は、人を筋肉痛に陥れるためだけにおこなわれているのだろうか。
そんなわけはない。
餅居は、辺りを見回した。
宿泊施設「ログキャビン・イルズク」の、正面入り口前のロータリーである。
ここで、帰りのバスに乗る前に、クラスごとの集合写真を撮るのである。
教師たちが生徒を整列させていた。
列ができると、餅居は三脚に載せたカメラのファインダーをのぞいて調整した。
2階建ての、宿泊施設としては背の低い建物を背景に入れて撮るために、三脚を低い位置に固定していた。
その低い三脚に載ったカメラのファインダーをのぞくことは、筋肉痛の足腰に地味に響く動作だったが、餅居は顔に出さずにこらえた。
「少しかがんでくださーい」
かわりに、列になった生徒と教師にそう声をかけた。
「背景に宿泊施設を写してくれ」との学校側の要望だったが、建物がこぢんまりとしているため、生徒の影に隠れて見えなくなる。
餅居は、自分の立ち位置を調節することで建物を画面に収めようとした。しかし、ロータリーで撮っているために場所の融通が利かない。あまり生徒たちから離れすぎると、車の通行の邪魔になる可能性があった。生徒たちにかがんでもらったほうが手っ取り早かった。
餅居が言わんとするところを理解すると、静かなどよめきがクラスのあいだを駆け抜けた。
なにしろ筋肉痛なのである。
しかし、かがむのに使う筋肉は、山を歩くのとは別の筋肉なのか、すぐに中腰体勢の列ができた。
低い建物を背景に入れながら、中腰の生徒を全員画面内に入れる。
全員の顔をハッキリ映さなくては。
この合宿中に、餅居はコンタクトをなくすアクシデントに見舞われたが、メガネを持ってきていたので事なきを得ていた。
ふだんはコンタクトをして写真を撮っているため、カメラを若干調整する必要があったが、それももう済んだ。
ふだんかけていないメガネが、ファインダーに取りつけたアイカップに予想外に当たり少々驚くという、ささやかな事件を乗り越えて餅居は慣れてきた。
太陽は低い建物の影に隠れているが、被写体のうしろから光が差す、逆光になっていた。
絞り優先モードにしたカメラの、絞りを大きくし、ISO感度を調節する。
カメラの調整OK、自分も慣れてきた、OK。
「はい、撮りまーす」
全員にピントがあっていることを背面液晶を見て確認したのち、数枚撮る。
三脚に合わせた中腰に、餅居の足腰が悲鳴を上げる。息を止める。
立ち上がり、餅居は息を吐いた。OKだ。
「はい、終了でーす、お疲れ様です」
撮り終えたクラスが立ち去り、次のクラスが整列するのを待つ。
次のクラスは、多少もたついた。
ひとりが間に合わなかったのである。
「間に合わないとは……、体調不良ですか? その生徒さん」
教師の言葉の意味がわからず、餅居はそう問いかけた。
「ええ、おそらくは」
「そうですか……。どうしましょう、その生徒さんの場所を空けて撮りましょうか。あとでその生徒さんだけ合成することにして。欠席の生徒さんと同じ処理ならできますが」
「あ、いえ……、あと少しだけ待ってあげてくれませんか。せっかく合宿に参加したんだし」
「あ、そうですよね、はい」
餅居は待つしかなかった。
手持ち無沙汰な時間が過ぎていく。
整列していた生徒は、ざわざわと列を乱しながら待機の態勢に入っていた。
餅居も雪が残る地面から忍び寄ってくる冷気と戦いながら待った。
曇っていた空が、唐突に明るくなった。
雲が流れたのだろう。
低い建物の上から太陽の光が差し込んでくるようになった。太陽が動いている。
逆光だ。
ほかに雲が見当たらない。
しばらく太陽を隠す雲は期待できそうにない。
餅居が、筋肉痛の体をプルプルさせながら、背面液晶を確認すると、逆光のせいで画面全体が灰色に染まっていた。
これ以上カメラの調整をするよりは、ストロボを使おう。
餅居は、持参していた収納ポーチからストロボを取り出してセットした。
「すみませーん、遅くなりました」
教師がそう言いながら、ひとりの生徒を連れてくる。生徒が列に加わる。
生徒を連れてきた教師は、養護教諭らしかった。その後、ほかのクラスと合流した。
餅居はまた足腰をプルプル言わせながらファインダーをのぞいた。
遅れてきた生徒を見ると、顔色が悪い。写真を撮っている場合なのだろうか。
餅居は心配になったが、できることと言えば早く撮り終えることくらいしかない。
「じゃあ、撮りまーす」
かけ声をかけて、シャッターボタンを押す。
数枚撮った。1枚を除いてだいたい誰かしらが目をつぶっていたが、1枚は全員が目を開けている写真が撮れた。OKだ。
ふだんだったら、OKの基準は目を閉じているかどうかだけではないはずだったが、体調の悪い生徒がいることと、時間が予定よりも遅れていること、そして、自分の足腰が誰にも聞こえぬ透明な悲鳴を上げていることなどから、少しだけ判断基準が甘くなっているかもしれなかった。
「帰る前に全クラス分の、イルズクの建物入り集合写真を撮らなければいけない」という餅居の使命感がそうさせた。
とはいっても、クラスは全部で4つだ。あとふたクラス分、撮ればいい。
先ほど撮り終わったクラスが、バスが泊まっているロータリーに向かうのを見送る。
体調が悪かった生徒も歩いてバスに向かっている。
そのスタスタとした歩きぶりを見ると、顔色ほど体調は悪くないのだろうか、という感想を持った。真偽はわからない。
餅居が前に向き直ると、イルズクの正面入り口の前に次のクラスが整列を始めていた。
太陽は動いている。
動いてはいるが、先ほどとあまり光は変わっていない。
相変わらずの逆光である。
餅居は、引き続きストロボを使うことにした。
「撮りまーす」
生徒が並び終わるとすぐに声をかけた。
先ほどと同じように数枚撮る。
ダメだ。
どの写真でも、誰かしらが目をつぶっている。
ストロボのせいだろうか。
しかしストロボなしだと生徒が影人間のようになる。
影人間というものが何なのか餅居にもわからなかったが、とにかく被写体が影に覆われる。
また数枚撮る。
また誰かのまばたきを撮ってしまう。
「すみません、目が閉じて映ってしまって。みなさん、いったん目をつぶってください」
試しに言ってみる。
生徒たちと教師が、目を閉じる。
「開けてください」
生徒と教師が、一斉に目を開ける。
その瞬間にシャッターボタンを押す。
また数枚。
それでも、まだ誰かのまぶたを撮っていた。
「弱ったな……」
もういっそ、できた写真の、目を閉じている者のまぶたに、あとから目を描き足したらどうだろう。
あとから欠席者の画像をはめ込むくらいなのだから、目ぐらい描き足してもそれほど目立たないのではなかろうか。
少なくとも表面積は目の方が小さい。
餅居がそんな思いに駆られていると、そのクラスの教師がすまなそうに言った。
「すみません、もう1回チャンスをください」
そう言われて、餅居は気を取り直した。
投げ出してはいかん。
餅居は自分を励ました。
おそらく励ましてほしいのは生徒と教師のほうだろうということもわかってはいたが、それでもとりあえず自分を励ました。
「先生もあまり硬くならないで、じゃあ行きましょう。もう一度目を閉じてくださいねー」
また生徒と教師が目を閉じる。
自分は今いったい何をやっているのだろうか、という思いに駆られる。
「開けてくださーい。撮りまーす」
集団の目を閉じさせ、また開けさせ。
なんらかの催眠術をかけているような気持ちになりながら、数枚撮る。
今度は全員が目を開けている。
やや不自然なぱっちりとした目の開き方と言えなくもなかったが、これはこれで全員の努力の結晶のような気がしてきた。すばらしい。
「OKです、お疲れ様でした」
われ知らず笑顔になりながら、そう声をかける。
安堵の笑い声が生徒や教師から漏れる。
撮り終えたクラスはバスに向かい、次のクラスが……、やってこなかった。
クラスは4つあるはずだ。
次のクラスはどうしたのだろうか。
餅居が気づかぬうちにすでに4クラス分の写真を撮り終えていたのだろうか。
そんなバカな。
「あの、もうひとクラスありますよね?」
周囲にいた教師に尋ねてみる。先ほどの、養護教諭だった。
「はい。すみません、さっきの待ち時間で、ちょっと」
「ちょっと?」
「はい、あの、すみません、すぐ呼んできますので」
そう言った養護教諭は動かない。
すでに呼びに走っている教師がいるということなのか。
「さっき待ってるあいだに、ロータリーから出て行く車がいたので生徒たちを移動させたんです。今呼びに行ってて、すぐ戻ってくると思います」
養護教諭は申し訳なさそうにそう言った。
餅居が写真に集中しているうちに、車の通行の邪魔になっていたらしい。
今は通常のイルズクのチェックアウトの受け付け時間よりは早い時間帯のはずだが、客の車とも限らない。
餅居が文句を言う筋合いもなく、それ以前に餅居も、まぶたに気を取られているうちに通行の邪魔になっていた可能性に気づき、なぜか若干しょんぼりした。
しょんぼりしながら待っていたが、呼びに行ったという教師も生徒たちも、なかなか戻ってこない。
餅居は思い出す。
筋肉痛の生徒の、教師の、そして自分のゆるやかな動きを。
痛くてゆるやかにしか動けない。
その現象が今も生徒たちを襲っているとしたら、あとどれだけ待てばいいのだろう。
餅居は、白い息を吐きながら、ぼんやりと遠くを見た。
太陽は動いている。
雲は今もまだない。
やはり逆光だ。
ストロボを使うと、またまぶたの写真が増えるのだろうか。
もう。
餅居は思った。
もう、建物の写真だけを撮ればいいのではなかろうか。
そこに、あとから生徒と教師の写真を撮り、全員分を合成すればいいのではなかろうか。
ダメだ、それでは。
餅居は自分に反論を試みた。
そうしてできた写真は、誰も参加していない、存在しない合宿の写真と何が違うというのか。
バーチャル合宿だ。
仮想上の合宿だったのだ。
そうあきらめてみたらどうか。
心の中で、自分の反論に対しぼやき返してみたものの、そんなことを口に出して言えるはずもなく、ただ餅居は白い息を鼻から出した。
餅居がくだらない想像をして時間を潰しているあいだに、生徒のゆるやかな歩みがここまで届くことを願うしかなかった。
(おわり 29/30)