スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

カトウは5人いる(his aunt said)

「また降ってきました」

 

叔母の部屋で、窓から外を眺めていた渡瀬が言った。

 

「おや。あたしはいいけど、渡瀬、あんた帰れるのかい」

 

ここは宿泊施設「ログキャビン・イルズク」の第2棟213号室だった。
「今度時間があるときにでもゆっくりとその話をしましょう」と以前ウッカリ言ってしまった渡瀬は、ゆっくりと話をするために、今回叔母の部屋を訪れたのだった。

 

渡瀬はふだん、このイルズクでスタッフとして働いている。
本来、宿泊客でない渡瀬が叔母の部屋を訪れるのは、イルズクの宿泊規約に抵触していた。
が、イルズクはこぢんまりとした規模の宿泊施設だったため融通が利いた。前もって申し出ておけば、そして短時間であれば部屋での面会が許されることもあった。
渡瀬は、スタッフとして働いていることもあり、その許可は簡単に出た。
しかし、あまり長居はできない。規約は規約だ。

 

渡瀬がこの部屋に長居できない理由はもうひとつあった。
ふだんの勤務時は上司である加藤に、帰りだけ車に同乗させてもらっている。
しかし、加藤と渡瀬は同じ日に休日になるシフトで働いているため、今日は自力で帰らなくてはならない。

 

今日は渡瀬(と加藤)の休日に当たる日で、バスを利用した。

最終バスが出るまでに帰れるはずだ、渡瀬はそう思って家を出た。
だが、雪が降ってきた。
渡瀬は、にわかにバスの運休が心配になり始めた。
自分は今日、帰れるのだろうか。

 

イルズクには、夜勤スタッフ用の仮眠室があった。
渡瀬は日勤専門で働いているため使ったことはなかったが、もし帰れなくなった場合、仮眠室を使わせてもらうわけにはいかないだろうか。

 

バスが運休した場合だ。
渡瀬は思い直した。
まだこの雪がバスの行く手を阻むと決まったわけではない。

 

窓辺で外を見ながら渡瀬がそう思っていると、部屋のふっくらした椅子に腰掛けた叔母が、携帯の画面を見ながら言った。

 

杯治(ハイジ)叶太(かなた)は連絡がつかないね。ここに呼んでやろうかと思ったのに」
「やっぱりここにいるんですね、兄さんも杯治も」
「何を今さら。防災訓練のときに気づいてただろう、渡瀬」
「いえ、あのときは見間違いかと思ったんですけど。見間違いであってほしいと」
「おあいにく様。あんたの目は確かだよ、渡瀬。叶太も杯治もここに泊まってる」
「どういう偶然なんですか……」

 

渡瀬が嫌そうに言うと、叔母は声を上げて笑った。

 

「偶然は杯治の学校が泊まってるってところだけさ。ほかは偶然じゃない。叶太の会社の偉いさんの奥さんが、うちのサークルにいるからね。新人研修と、うちのサークルの慰安旅行の日程を合わせたらしいよ」
「ああ、聞きました。石尾さんご夫妻ですね」
「そう」

 

部屋に沈黙が訪れた。
渡瀬は、これから雪がどれくらい降るのか、天気予報を調べたくなった。
しかし、叔母と話をしに来たというのに、携帯をいじっていていいのだろうか。
渡瀬が叔母に携帯を操作することを告げようかどうしようか迷っていると、叔母が不意に言った。

 

「ここは毎年こうかい? あたしらの町ではここまで雪は降らないよ」
「そうですよね。おばさんの町とはちょっと離れてるけど、俺の実家の辺りも似た感じですかね。ここよりは降らない感じですね。寒さはあまり変わらないと思いますけど」
「確かにね。どこも寒いよ、まったく。今は4月だよ、啓蟄(けいちつ)も過ぎたっていうのに」
「何ですか」
「温かくなって虫が表に出てくる季節だってことさ」

 

渡瀬は、わかったようなわからないような顔で、何度かうなずいた。

 

「最近ではあまり毛虫も見ないですね」
「そうかもしれないね。……って、毛虫限定なのかい? 毛が生えてない虫は」
「いえ、あの、毛虫というのは……、昔、兄が絵本を描いたことがあって」
「ああ、小学校の授業で絵本を描かされたってやつか。あたしも見たよ、あんたんちに行ってあんたのアルバムを借りたときにね」
「あれ、実話なんですよ。うちに毛虫が出て、大騒ぎになったときの話なんです」
「なんだい、虫くらいで大騒ぎしたのかい、あんたんちは? へえ、ずいぶんヤワな話だ」
「なにしろ見慣れていないもので」

 

渡瀬は、なんとなく笑いながら言った。

 

「俺、最初、スケッチブック持って行ったんです。毛虫を描こうと思って。初めて見たんですけど、黒っぽい中に黄色い模様が並んでて、なんとも言いようのない毛が生えてて、描いてみたくなった」
「へえ」

 

叔母は、興味を引かれたように椅子から身をやや乗り出し、目を見開いて相づちを打った。

 

「そうしたら、兄がスケッチブックを受け取ってしまって……、その上に毛虫を載せて、家から出してしまって。結局、描けずじまいでした」
「おや。そういうことだったのかい。残念だったね。あたしも見たかった、そのハデそうな毛虫」

 

渡瀬は叔母の言葉に、にこりと笑った。

 

「はい。俺も見たかった。大人になったときに、どういう虫になるのか。蝶の幼虫だったのかな」
「そうかもね。蛾かも知れないけど。似たような感じなのに、蛾だけ印象が地味なのは何だろうね」
「地味ですかね。俺は地味かハデかだけで決めはしないですけど、好きかどうかって」
「ああ、まあ、たぶん蛾も蝶も似たようなもんだろうし、どっちでもいいけどね。蛾にもハデなのがいるだろうしね」
「相変わらずのハデ好きなんですね……。あ、でも、逆によかったのかもしれないとも思って。誰にも見張られずに自由に羽化したほうが、蝶でも蛾でも気楽でしょうから」
「なるほど。確かにね」

 

天から降り注ぐ雪が渦を巻いている。
風が出てきたようだ。
建物と建物のあいだを吹き抜ける風に乗って、雪が渦を巻いているのが窓から見えた。

 

「そういうのを全部、今もあんたは根に持ってるってことなのかい?」

 

叔母が、腰かけた椅子の背に、ゆっくりともたれながら問いかけた。

 

「いえ、根に持つとか、そういうんじゃないんです。途中、思惑が食い違ったけど、結局なんか丸く収まってよかったねとは思ってます」
「なんだい、ケンカもできないのかい、あんたら兄弟は」
「いえ、だからあの、兄とは別にケンカするって感じじゃないんですけど……。仲が悪いとかって意味でもなくて……」

 

なぜかケンカをゴリ押してくる理不尽な叔母の言葉に困惑した渡瀬は、ほかにどうしようもなく、窓の外を再び見下ろした。
イルズクの敷地を囲む生け垣と、その向こうに道路を走る車が見える。
見慣れたバスが通った。
バスはまだ止まっていない。
だが、これから雪が降り続いたらわからない。

 

渡瀬は、天気予報を調べるつもりで手荷物から携帯を取り出した。
叔母に一声かけてからにしようと思ったところで、さっきもまったく同じことを思った記憶がよみがえった。
先ほどは、なぜ中断したのだったか。
渡瀬が先ほどのことを思い出そうとしていると、手の中で携帯がブルブル震えた。

 

「あ、すみません、何か連絡が入りました。携帯見ていいですかね」
「勝手におし。いちいちあたしに聞かれても困るよ」

 

あきれたように突き放す叔母の言葉を受け、渡瀬は携帯の電源を入れた。
通知は職場のLINEグループのものだった。

 

「カトウさんだ」
「おととい花の展示を手伝ってくれた人かい?」
「いえ、その加藤さんとは別の『歌藤』さんです。耳木兎(ミミズク)山にある、イルズクの駐車場の管理をやってる方で」
「あんただって名字は加藤だろう。この宿には何人のカトウがいるんだい」
「俺を含めて3人です」
「イルズクはカトウを集めてどうするつもりなんだ……。いや違うね、今は客としてあんたの兄弟も来てるから、5人だね。この宿には今、5人の加藤がいる」
「お客様を含めるならもっと多い日もありそうですけどね」
「まあそうかもね」
「はい……」

 

渡瀬は、話の途中で、手に持った携帯の画面に気を取られた。

渡瀬のぼんやりとした声に、叔母が怪訝な顔をする。

 

「どうしたんだい」
「いえ、歌藤さんが、『加藤という名の職員はいないか』と言って耳木兎山の駐車場に来たふたり組がいたと」
「ややこしい」
「はあ、すみません。とにかく、山に『加藤』を訪ねてきたふたり組がいるそうです。これって、叶太兄と杯治ですかね?」
「たぶんね。聞き込みに行ったんだろうさ」
「あの……、本当に俺に気づいてないんでしょうか、ふたりとも」
「まあそうだろう、顔は違うし、呼ばれてる名も違うし」
「いえ、名前は同じですけど」
「でも『加藤』とは呼ばれていないだろう、周りの人間に」
「はあ、まあ読みが同じ名字の人間が3人いますので。なので俺は下の名前で呼ばれてるんですけど、それだって生まれたときから使ってる名前ですよ。俺の名前、覚えてもいないってことなんでしょうか」
「『渡瀬』って、名字みたいな名前だからね、名字だと思い込んでるんだろうさ。『おかしな偶然もあるもんなんだな~』とかなんとか言って」

 

叔母は、叶太の口ぶりを真似るようでまったく真似ていない、独自の口調で言った。

 

「そんなことってあるんでしょうか……」

 

渡瀬が心底呆然として言った言葉に、叔母は平然と返事をする。

 

「似たもの兄弟ってことだろう。あんたほどじゃないけど、兄貴は兄貴でドジっ子なのさ、おそらくね」
「はあ……」

 

「兄もドジっ子」宣告をされて、どうにも返事のしようがなくなり、渡瀬は気の抜けたような返事をした。
叔母が窓の外を遠く見やり、思いをはせるように言葉を発する。

 

「しかし、山に行ったのかい、あのふたりは」
「そうらしいです」
「大丈夫なのかい、この雪の中」
「あ」

 

渡瀬はLINEで、駐車場の歌藤を訪ねたふたり組は、その後どこに向かったのかを尋ねた。
しかし返事はない。既読にもならない。

 

「仕事中ですからね、歌藤さん……。LINEをそんなにマメにチェックできないのかも。これ、もはや俺にはどうしようもないですね」

 

淡々と渡瀬が告げると、叔母もまた携帯を服のどこかから取り出し、スリープ中の真っ暗な画面を堂々と渡瀬に見せつけた。

 

「どこから取り出したんですか」
「秘密のポケットさ。詮索無用だよ。このたび、あたしはLINEグループを作ったのさ。渡瀬、あんたを捜索するための独自グループをね。メンバーはあたしとあんた以外の加藤兄弟のみ。電波が届けば連絡は取れるはずだ」
「捜索も何も、俺ここにいますけど……」

 

渡瀬の声もむなしく、叔母は携帯の操作を始めた。
考えたら20代前半の渡瀬、の親と似た年代である叔母の年齢で、LINEをやすやすと使いこなしているのはすごいことなのではなかろうか。渡瀬がひそかに叔母のポテンシャルに底知れぬものを感じていると、当の叔母が素っ頓狂な声を上げた。

 

「バカなのかい!」
「どうしたんです」

 

渡瀬は、自分の携帯を手に持ったまま、叔母が腰かけている椅子のそばに歩み寄った。

 

「どうもこうも、まだ山にいるみたいだ。雪が降ってきたから雨宿り……じゃない、雪宿りをしてたはいいけど、どんどん日が陰ってきてこのままじゃ凍えるかもしれないってんで、山を下りてくる途中……だと思うんだけど」

 

最後のほうで、叔母の言葉が急に勢いをなくした。

 

「あの子たち、今どこにいるんだろう」

 

話がよく飲み込めなかった渡瀬に、叔母は携帯の画面を、これでもかと言わんばかりに見せつけた。おまえがどういうことなのか説明しろ、とでも言いたげに。
見せつけられても、その場に居合わせたわけでもない渡瀬としては、何とも言いようがないのは同じことだった。が、とりあえず疑問に感じたことをポツポツと挙げてみた。

 

「このLINE、いつの話なんだろう。表示されてる時間は1時間くらい前だけど、その時点でちょっと前の話をしている、ような」
「あたしもそう思ったけど……。でも、そんな言葉尻に神経を使ってる余裕がなかっただけなのかもしれないし、意味はないのかもしれない」
「俺がメッセージを打ったらダメですかね、これ?」
「え。あんたがかい? いいけど……。あたしの名前になるけど……というか、これあんたの捜索用のグループなんだけどね」

 

叔母は珍しく困惑して、ブツブツ言いながら携帯を渡瀬に手渡した。

 

「……何を言えばいいんでしょうか」
「考えてなかったのかい」

 

叔母は、椅子の中で軽くズッコケた。

 

「LINE送ったところで携帯見てる余裕があるんでしょうか、兄たちは」
「ブツブツお言いでないよ。渡瀬、ここは腹を決めてズバーンとメッセージっちゃいな。『俺だぁ!』って」
「『俺って誰だ』って、絶対に兄貴は言うと思います」

 

叔母にそう返しながらも、渡瀬は叔母の携帯を操作し始めた。

 

充香「叫太(サケタ)」
  「間違えた」
  「キョウタ」

  「今どこにいる?」

 

叔母は渡瀬が送ったLINEを見て、不審な顔をした。

 

「なんだい、これだけかい?」
「ええ、あの、ほかに思いつかなくて。昔、俺が兄貴の名前間違って書いてしまって、『叶太』を『叫太』って。それで微妙な空気になったことがあって」
「兄貴の名前を間違えるって……。しかも訂正したのにまだ間違えてるじゃないか。『キョウタ』ですらなくて『かなた』だろう、あいつは。どんなドジっ子なんだ、おまえはまったく」

 

叔母があきれたようにブツブツ言っているうちに、新たなメッセージが表示された。

 

ハイジ「叔母さん?」
   「渡瀬兄?」

 

「杯治だね」

 

叔母が渡瀬の持つ携帯の逆側に手を添えた。渡瀬は、携帯を持つ手を少しずらした。
その後もメッセージは続く。

 

ハイジ「僕はよくわからないんだけど叶太兄が」
   「『渡瀬だ』って言った」

   「叔母さんのLINEを見て」
   「今僕たちは駐車場の灯りを目指して進んでる」
   「もうちょっと距離がある」
   「と思いながらけっこう時間経った」
   「と思ったらあまり時間経ってなかった」
   「そんな感じ」

 

最後に画像が表示された。
雪まみれでスクワットをする叶太の写真だった。
ごくり。
叔母と渡瀬は、固唾をのんで写真を見つめた。

 

「……なんで叶太はこんなに薄着なんだい」

 

腑に落ちぬ顔で、気が済むまで携帯の画面を眺め回したあと、ようやく叔母が言った。

 

「薄着と言っても、スーツは着てますけど」

 

叔母の携帯を支えていた手を離して、一歩下がってから渡瀬は言った。
叔母は、携帯を両手で握りしめた。

 

「そうは言ってもコートはどうしたんだい、コートは。もっとモコモコわさわさ着込まないと凍えるだろう。というか、なんで雪の中でスクワットしてるんだい。バカなのかい、やっぱりバカなのかい?」

 

携帯に向かって毒づく叔母をなだめるように、渡瀬が口を開く。

 

「あの……、天気予報を調べてみましょうか。もともと今日は大雪降る予報、出てなかったと思うんですけど。いつぐらいまで降るかだけでも」
「予報がどれだけ当たるのかわからないけどね」

 

なぜか天気予報に流れ弾を当てつつ、叔母は、机の上に置いてあるリモコンを手に取った。そして、部屋に備え付けられたテレビのスイッチを入れる。テレビで気象情報を調べるつもりらしい。
渡瀬は、自分の携帯で調べるつもりでいたが、その手を止めた。そのままテレビの画面を、叔母が地域別の気象情報に切り替えるのを見守った。
しかし、叔母は急にテレビの操作をやめた。

 

渡瀬がテレビから目を離し、叔母のほうに目を向けると、叔母はリモコンとは逆の手に持ったままの携帯の画面に見入っている。
叔母は、やがて息を吐き出した。

 

「たどり着いた。駐車場にたどり着いたようだよ。駐車場の入り口の建物にはまださっきの歌藤さんがいて、歌藤さんにここに送ってもらえることになったとさ」

 

心底安心したように叔母が言う。
渡瀬も、ほっと息を吐き出した。

 

「無事でよかったです」
「まだわからないけどね。おうちに帰るまでが旅行だ」

 

叔母は、どこかで聞いたような、そうでもないような警句を発しながらテレビのスイッチを切った。

渡瀬は安堵の気持ちに浸りながら、切られたテレビの画面を見た。
雪はどうなるのだろう。
これからも降り続くのだろうか。
バスが止まるかどうか、自分は知らなければいけなかった気がする。

 

「ふたりが帰ってきたら、ここに呼ぼうか。あんたがここにいるってことは知ってるんだし、もう面倒だからここで会って和解しておしまいよ」
「いえ、あの、和解するも何も、ケンカをしてないんですけど、そもそも」

 

先ほども似たような会話をしたような気分に襲われながら、渡瀬はそう返した。
兄弟ふたりがイルズクに戻ってきて、この部屋にやってくるのを待っている時間の余裕はあるのだろうか。
宿泊客でない渡瀬は、もともとこの部屋に長居はできない。
早めに言い出さなくてはならない。
まだ帰れるうちに。
バスが動いているうちに。

 

上機嫌でこれからの予定を立てている叔母に、渡瀬はどう話を切り出したものか迷った。

 

外ではまた、建物と建物のあいだをすり抜けた突風が渦を巻いている。
降り続く雪がその風に乗せられ、渦に巻き込まれて飛んだ。

 

(おわり 22/30)