スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

それじゃ、また工場で

小雨が降っている。
細かい雨がフロントガラスに当たって跡を残す。


派遣会社のワゴン車を運転しながら、場藤 (ばとう)乙夏(おとか)は迷った。
ワイパーを動かそうか、どうしようか。
迷った末に間欠ワイパーを動かすことにした。
数秒おきにワイパーが弧を描く。


後部座席には、場藤が勤める派遣会社「インダストリアム・ファクトリアス」の派遣社員、皆見(みなみ)数豊(かずとよ)がしょんぼりと座っていた。

「『必要がない』なんて、そんなことは誰も言ってないんだけどね」

場藤は前方を見つめたまま、つぶやくように言葉を発した。

「すみません」

皆見は、とりあえず、といった感じで後部座席から謝った。

「『早く帰っていいよ』って言うのは、工場のスケジュールもあるし。あの日はテレビがあったんだよね」
「テレビ」
「そう。皆見さん、見なかった? 皆見さんがいつも仕事してる第1フロアで、工場を見学するテレビ番組の撮影があったんだよ。だから周りのラインをちょっと止める必要があった」
「でも、帰らされる人と帰らなくて仕事してる人がいて、僕はそれが気になってしまって……」
「まあ、それは、完全に止めるのも不都合があったんで、ベテランさんにだけ残ってもらったんだけど。でも、べつに伊名井工場がどうにかなるってことじゃないんだよ」
「そうでしたか……」

皆見は、場藤の説明を聞いて、かすかにうなずきながら、ぼんやりと相づちを打った。

信号が赤になった。
場藤は、車を停めた。
前方の信号機を見つめながら、後方の皆見に向かって声を掛ける。

「本来こんなこと派遣さんに説明しないんだけどね。うちは、工場の都合で早退させられても、その理由を教えないから。皆見さん、伊名井工場を本当にやめたいの?」
「……わかりません」

信号が青に変わる。
場藤は周りを素早く見て、車を出した。


雨の量が増えていた。
フロントガラスに当たる水滴の数が増えている。
視界が悪い。
場藤は、ワイパーの段階を2段階めに入れた。

ワイパーが、ゆっくりと、連続で動き始める。
まだ日が沈む時間ではないはずだが、辺りが暗い。ライトをつける。
早く皆見を寮に送り届けなくてはいけない。


皆見を乗せたまま事故を起こすわけにはいかない。
ひとりであっても事故を起こすわけにはいかないが、同乗者がいる状態での、雨の日の車の運転というものは、場藤にとって、よりプレッシャーを感じさせるものだった。

 

「まあ、よく考えてみて。……で、皆見さんの寮ってこっちで合ってるよね?」
「あ、はい」


急速に雨足が強くなる。
場藤は、ワイパーを3段階めに入れた。

ただでさえ悪い視界の中で、ワイパーが高速で振れる。
前が見えない。
いや、まだ見える。
しかし、これ以上雨が強くなったら前が見えなくなる。


これは通り雨なのだろうか。
いったん車を停めるべきなのか。


場藤が判断に迷っていると、道路の斜め前方に自転車が見えた。
正確には、自転車に乗った人間である。
後ろ姿では、青年と中年のあいだ、そんな年齢の男性に見受けられた。


視界が悪いせいで、いきなり自転車と人間が現れたように、場藤には思えた。
場藤は人間のほうはよく見ていなかった。
よく見えなかったのだ。


「あの自転車、うちの自転車じゃない?」


場藤が、前を向いたまま疑問を発した。


「あ、ほんとだ」


場藤が所属する派遣会社インダストリアム・ファクトリアスでは、派遣社員に、寮やレンタル自転車を提供していた。
自転車はすべて同じ型、同じ色で、車体には盗難防止のため、派遣会社名「インダストリアム・ファクトリアス」が油性マーカーで堂々と書いてあったが、見慣れた者には、そのマーカー社名が見えなくとも、パッと見ただけで見分けがついた。


「誰だろ。つうか、あの人、ずぶ濡れなんだけど」
阿野田(あのだ)さんですかね。あ、やっぱり阿野田さんですよ、僕と同じ班の」
「え、やっぱりうちの派遣さん? これ阿野田さん拾わないといけないやつ?」
「いえ、自転車ですからね。自転車、ここに放置するわけにもいかないですし」
「そうだけど~。阿野田さん、ずぶ濡れだし、ほっとくわけにも」

ざあっ


雨脚はさらに強くなっていた。
場藤は腹を決めた。
場藤が運転する車はスピードを落としてはいたが、いつのまにか自転車の阿野田を追い越してしまっていた。
場藤は周囲にほかの車がいないことを確認して、ゆっくりと道路の端に車を停めた。
やや後方に、雨に打たれながらのろのろと進む自転車が見える。


「阿野田さーん! おーい!」

 

場藤は車の窓を開け、雨の音に負けない大声で叫んだ。

 

「すみません」


停車中のワゴン車内で、阿野田は、しずくを滴らせながら謝った。
阿野田が座っているシートの上には、ビニール袋がいくつも重ねて置いてある。
車内をひっかきまわして場藤が発見したビニール袋群である。
阿野田はそのビニール袋群の上に座っていた。ビニールの上には、阿野田を中心とした水たまりができつつあった。

「いや、まあ、仕方ないですし、謝らないでくださいよ。タオル、タオル。誰か入れてないかなぁ、あ、何だこれ」

場藤はガチャガチャと音を立てて、ダッシュボードや収納スペースを開け閉めした。

そして、その途中で何かを発見した。


「何だろうこれは。誰が入れたんだろう。まぁいいや、阿野田さん、これで体、拭いちゃってくださいよ」

場藤がそう言いながら阿野田に放り投げたものは、Tシャツだった。
誰のものなのか、そして使用前なのか後なのかもわからない、クシャクシャのTシャツを受け取り困惑した阿野田に、皆見が声を掛けた。


「僕、ハンカチあります」

そう言って、阿野田にハンカチを手渡した。


阿野田は、右手にTシャツ、左手にハンカチを握りしめ、全身から滴る水でシートの上のビニール袋群をぬらしつつ、さらに困惑を深めた様子だった。
とりあえずハンカチのほうで顔をぬぐう阿野田の耳に、場藤が、運転席でブツブツ言う声が聞こえた。

「このまま車に自転車を乗せて阿野田さんごと寮に送り届けるか、ここで雨が上がるのを待って阿野田さんに自力で自転車こいで帰ってもらうか、それが問題だ」


当の阿野田は、右手にハンカチを握り直し、左手に持ち直したTシャツに服の水分を移しながらそのつぶやきを聞いていた。

しかし途中でたまりかねたのか、ハンドルにもたれながらブツブツ言っている場藤のつぶやきに口を挟んだ。


「いえ、自力で帰ります。この雨の中、車の外に出て自転車乗せる気ないでしょう、場藤さん」
「まあね……」
「ですよね」
「雨が上がるの待つのも面倒だし、どうだろうか阿野田さん、あとであなたが自力でここまで自転車を取りに来ることにして、今は私が車であなただけを寮まで送り届けるというのは」
「雨が上がるのを待つのも面倒なんですね……。いえ、いいですけど、俺、寮に帰るとこじゃないんですよ。これから行くところで」
「どこによ。そこに送りますよ、じゃあ」
「それは言えません」
「何よ、どこ行くってのよ。この工場以外に何もない伊名井市の、どこに行くとこがあるってのよ。あ、駅ですか。自転車で向かってたの、駅の方向ですよね」
「そういう言い方が嫌なんですよ、干渉しないでください」
「あ、ひっどいなあ。干渉じゃないですよ、親切ですよ」
「場藤さんの親切って、なんか」
「何ですか」
「いえ、何でもないです」

それから阿野田は、黙って服の水分をTシャツになすりつける作業に戻った。
しばらくその作業を続けたあと、ふと思いだしたように、横に座った皆見に言った。


「これから目木(めぎ)さんの送別会やるんだけど、皆見くんも来る?」
「目木さんの?」
「そう、ちょっと遅いんだけどね、目木さんやめちゃったあとだし。でも本人、来てくれるって言うから、1班の有志で飲みに行こうかってことになってさ。まあ飲み会だよ」
「あ、え、でも、僕、目木さんとしゃべったことないんだけど……。というか、飛び入り参加して大丈夫ですか?」
「あ、どうだろ。確認しないとわからないな」
「どしり屋でやるんだったら追加料金を取られますよ。伊名井市で何らかの会合をやるとなったら、あの店くらいしか駅前にはないですけど、なぜかあそこのご主人、伊名井工場で働く人を目の敵にしてるから。バカみたいに高い追加料金を取られますよ」


場藤が運転席から、前を向いたまま口を挟む。
そしてそのまま振り返り、阿野田に向かって吠えた。


「というか阿野田さん、私には言えないけど皆見さんには言うって何ですか。失礼でしょう」
「まあ、社員と派遣の溝ってやつですよね……」


阿野田は適当にあしらった。


車体に当たる雨の音が弱くなり始めている。
急速に強まった雨が、やはり急速に通り過ぎていきそうな兆しを見せていた。


「あ、えっと、僕、今回はやめておきます」
「そう? 残念」
「だけど」

皆見は、隣に座る阿野田の方に体を向け、言った。

「だけど、また誘ってください」
「おっ」

なぜか会話に参加していなかった場藤が声を出した。

「何ですか、場藤さん」
「いや、こっちのことはお気になさらず。続けてください、派遣さん同士の交流を」

阿野田は場藤の嫌味に反応せず、皆見に向かって答えた。

 

「わかった、じゃあまた今度」
「はい」

会話が途切れた。雨の音は静かになっていた。
車の外は、ほとんど目に見えないほど細かな雨に変わっている。
阿野田は携帯を取り出し、気象情報を確認した。

「これたぶん、このまま上がりますね。警報とかは出てないし。このくらいの雨だったら自転車で行けると思います。場藤さん、すみませんでした」
「そこはすみませんじゃないですよ、阿野田さん」

場藤が前を向いたまま、阿野田にダメ出しをした。

「ありがとうございました、場藤さん」
「はい。どういたしまして」

今度こそ満足したのか、場藤は前を向いたままうなずいた。

そのあと、皆見と場藤は、阿野田が車から出て、自転車に乗って走り出すところを見守った。

走り出した阿野田の後ろ姿を見ながら、場藤が宙に向かってぽつりと言葉を発する。


「『今度』があるってことでいいですかね、皆見さん」
「あ」

皆見は、今気づいたかのような表情で、目を見開いた。


「いえ、あれは……。追加料金を取られるとか、目木さんとしゃべったこともないのにいいのかなっていうのがあって断ったんですけど、誘ってくれたのはうれしかったんで、つい言ってしまったんです……。というか、阿野田さんだって社交辞令で言ってたんだと思うし」
「どっちでもいいじゃないですか、社交辞令だろうが何だろうが。参加してしまえばこっちのものですよ。誘われもしない私にこそ、『かわいそうの神』が舞い降りるべきですよ」
「何ですか、『かわいそうの神』って……」
「みんなが『かわいそう』って言ってチヤホヤしてくれる、そんなチカラを持った神様ですよ」
「場藤さんには一生縁がなさそうな神様ですね……」

場藤がその言葉に対して何かを言い返そうと、皆見の方に体を向けようとして何かに気づいた。

「あ、戻ってきた」
「え、あ、阿野田さん」

自転車に乗った阿野田が、反対車線を走り、戻って来た。
阿野田は周囲に車がいないことを確認すると、すいすいと車に近寄り自転車を停めた。
パラパラとした雨がまだ阿野田に当たってはいたものの、雨はすでにその勢いをなくしていた。

皆見は自分の席のそばにある窓を開けた。
阿野田が自転車に乗ったまま、車内の皆見を見上げながら、早口で言う。

「ゴメン、ハンカチ借りてく。今度、洗って返すから」
「あ、別にいいですよ。100均のハンカチだし」
「まあまあ、返すから。じゃあ、また工場で」
「あ、はい。工場で」

今度こそ阿野田は走り去った。

その背中を見ながらワイパーを間欠式に戻すと、場藤は、車をゆっくりと出した。
タイヤが道路の水を撥ね上げる音が聞こえる。


「まあ、ハンカチはね、どうしてもって言うなら送ってもらってもいいし。そんな理由でほかのとこ行くのやめたりしないよね」


場藤が、いじけたような口調でつぶやく。

 

「いえ、僕、もうちょっと伊名井工場で働きたいです」
「えっ」

 

場藤はしばらく絶句した。その間も車は走り続けている。

絶句した自分に気づいた場藤は、車内の音の空白を埋めようとしたのか、思わずワイパーのスイッチを切った。

ワイパーが止まっても、フロントガラスには水滴の跡がつかなかった。

 

ようやく気を取り直した場藤が、皆見に問い掛ける。


「そんな理由? そんな理由で職場決めていいの? 今、工場はどこでも人手不足だから、選び放題だよ? ほかの所へ行くって言われたら止められないんだよ、私たちとしては」
「いいんです」

 

皆見はそれ以上説明しなかった。

 

「まあ、はい。そうですか。わかりました。じゃあ皆見さんは続投ということで」
「はい……。あ、Tシャツ」

 

先ほどまで阿野田が座っていた座席には、ビニール袋群が置き去りになっていた。

ビニール袋群の表面には水たまりができ、その中に水分をたっぷり吸ったTシャツがぐったりと取り残されている。
前を向いたまま、皆見の言わんとすることを理解した場藤は、やはり前を向いたまま顔をゆがめた。

「Tシャツは要らんっつうことかい、ハンカチは要るけどTシャツは要らんという」
「別にこれ、場藤さんのTシャツじゃないでしょう」
「違うけどさ、何だろう、ワシの出すTシャツが飲めんのかっていう」
「飲めないでしょう、Tシャツは」
「まあそうなんだけど」

場藤はその後も、ブツブツと文句を言い続けた。
それを聞き流しながら、皆見は窓の外に目をやった。


雲のあいだから、晴れ間がのぞいている。

雨はもう、すっかり上がっていた。

(おわり 030/030)

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆

 

↓場藤さんが出てくる話。慣れない業務に四苦八苦しながらも、周りからそうとは悟られぬように、脳をフル回転させる場藤さんなのでありました…。

suika-greenred.hatenablog.com

↓なぜ皆見さんが、場藤さんに詰められ(ているわけではないが、そんな雰囲気で)派遣会社の社用ワゴンに乗っているのか…その一因となった出来事の話です。

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↓阿野田さんが自転車に乗る話。迷います。タイトル通りですね。迷った挙句、不安男に出くわします。

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