スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

頼れる壁と「ぼう険」しない3兄弟

「あ、兄貴……、僕だよ、僕」
「誰だよ」
「僕だって」
「いや誰だよ」
「加藤さん、弟さんですよ」
「誰ですかあなた」
「ドア開けてよ、僕だってば僕」
「ボクボクって、誰だよ」

 

そんな珍問答を、ドアを隔てて気が済むまで繰り広げたのちに、兄弟は再会した。

 

「やっと入れた、はあっ……」

 

宿泊施設「ログキャビン・イルズク」第1棟の兄の部屋に通され、杯治(ハイジ)は部屋のベッドに倒れ込んだ。
杯治を連れてきた男性は、教師だったらしい。
教師は叶太(かなた)が杯治の兄であることを確認をした。
具体的には叶太の運転免許証をチェックし、杯治と叶太の家に連絡を取って叶太の身元を確かめた。
そのあと、教師は挨拶をしてから部屋を出て行った。

 

兄・叶太は、杯治に何か言おうとして、やめた。
杯治が倒れ込んだ手前のベッドが自分のベッドだったからだ。

 

この部屋はふたり部屋で、叶太は上司と同室だった。
奥のベッドは上司のもので、そこに倒れ込んだわけではないから特に言うこともなかった。今は、上司は部屋を出てどこかに行っている。
「同じ宿泊施設に妻が泊まっている」と言っていたから、奥さんに会いに行っているのかもしれない。

とにかく、今はこの部屋には兄弟ふたりしかいなかった。

 

「オレオレ詐欺かと思った。俺じゃないか、ボクボク詐欺」
「ううっ……」

 

杯治は、ベッドの上で姿勢を変えようとしてブルブルと震えたのちに、力尽きたかのように、またベッドに大の字に寝転がる姿勢になった。


「なんだ、どうしたんだ」
「山の神のたたりだよ」
「たたられるようなことをしたのか」
「何もしてないよ、ただ山を歩いただけ。筋肉が痛い」
「筋肉痛かよ」

 

杯治はプルプル震える手で上体を支え、ようやくベッドの上に体を起こし、それからブルブル震える足で立ち上がった。
なぜ山を歩いただけで腕まで筋肉痛になるのか叶太にはよくわからなかったが、立ち上がった杯治が叶太に向かって発した言葉を聞いて、自分の身に起きているわけではない筋肉痛のことは忘れた。

 

「さあ、行こうか、兄貴」

 

杯治はそう告げたのである。

 

「行くってどこへ。そんなプルプルした体でどこに行こうってんだよ」
「叔母さんの部屋に」

 

杯治はそれだけ言うと、息を吐き出した。

体が微妙に左右に揺れている。

 

「叔母さん? ああ、ここに泊まってるんだっけ」
「兄貴、LINE見てないの? すんごい怒ってる、挨拶しに来いって」
「んな無茶な。俺だって研修の手伝いするためにここに来てるし、おまえだって学生なのに。学校の合宿なんてほとんど自由時間ないよな? よく先生がOKしたな」
「僕にもよくわからないよ。叔母さんが根回ししたみたいなんだけどさ。先生に行っても絶対断られると思ったら、『どうぞ行ってください』って……。そのかわり、兄貴が身分証明させられたけど」
「いや、それはいいんだけど」
「とにかく行かないと。食事の時間までに戻らないといけないんだ。あと20分」
「えっ、マジ? 何なの、そのタイムリミット」
「だから食事の時間だよ。それまでに戻らないといけないんだ」

 

そう言いながら、杯治は、のそのそと部屋の出入り口にまた戻ろうとしていた。
叶太は、ドアのカードキーと財布と携帯をスーツのポケットに入れ、スリッパを脱いで靴に履き替えた。
それから椅子に掛けていたスーツの上着を取り、それを着ながら杯治を追いかける。
叶太はドア付近でようやく杯治に追いつき、兄弟で同時に部屋を出た。

 

「食事の時間は何時?」
「19時半。7時半だよ」
「あと18分か。一応連絡しておくか」

 

叶太は、職場のLINEに、20分ほど鍵を持って部屋を出るので、部屋に戻ってくるならそれ以降にしてほしい旨のメッセージを送った。

 

叶太が携帯の操作を終えて目を上げると、杯治が、廊下の壁に寄りかかりながら移動していた。
これほどまでに壁を頼りにして生きている人間を初めて見た叶太は、思わずそのままの感想を口にした。

 

「おまえ、壁を信頼しすぎじゃないのか」
「ほっといてよ、壁は僕を裏切らない、大丈夫だ」

 

何が大丈夫なのかよくわからなかったが、叶太は杯治の隣で、杯治の歩幅に合わせて歩くことにした。

 

「おい、壁曲がるぞ」
「わかってるよ、階段だね」

 

ここイルズクの建物は、3つの棟に別れていた。
すべての建物は2階建てで、建物の中の移動にはそれほど苦労しないが、一度外に出ないとほかの棟に行くことができない。
杯治が宿泊しているのは第3棟で、叶太は第1棟、叔母は第2棟に泊まっていた。

 

階段を1階分降り、第1棟の玄関口までたどり着いた。
ここから第2棟の入り口まで、外を歩く。

 

「ここから壁なくなるけど、どうすんのおまえ」

 

叶太は、聞いてみた。
杯治は何も言わず、叶太の左肩につかまった。

 

「壁よりは信頼度が劣るけど、この際しかたない」
「俺は壁以下かよ」

 

そんな会話をブツブツかわしながら、歩く。

 

「雪、今は降りやんでるな」

 

叶太は、ふと空を見上げてつぶやいた。
暖冬であるはずの今年だが、どういう気圧配置の気まぐれなのか、ここのところ、この宿泊施設の周辺だけが雪に見舞われていた。

 

「ああ、そういえばそうだね。空は降りそうな色してるけど」
「夜に降るのかな。おまえ風邪引かないようにしろよ」
「この上、風邪引くとか……、地獄でしかない」

 

心の底からのうめき声で、杯治はそう言った。
車が後ろからやってきて、ふたりを追い抜き、通り過ぎていく。
車のマフラーからは、水蒸気を含んだ排気ガスが白く出ている。
その、かき消える煙を見ながら、叶太は言った。

 

「今年は暖冬だってのに、この辺だけ普通に冬だし、春来るの遅いな」
「ほんとに冬が長いとこはもっと長いだろうけど。雪ももっと降るだろうし」
「まあな。厳しい寒さとも言えないのかね。それでも寒いけど……。まだこの辺の動物とかは冬眠してるのかね」
「虫もね。虫って冬眠するんだっけ?」
「どうだっけ」

 

そんなことを言いながら、第2棟を目指す。

 

「叔母さんが泊まってる部屋の番号、おまえ知ってる?」
「えーと。確か213」
「合ってるんだろうな」
「兄貴がLINEで確かめてよ、そうだ、それより叔母さんに『今から挨拶行く』って言った?」
「言ってない」
「LINE送っといてよ」

 

叶太は携帯を取りだして、杯治がつかまっていないほうの手で持ち、画面を操作し始めた。

 

「213で合ってるな。んで、今から、挨拶にうかがいます……と」

 

ブツブツ言いながら操作を終え、携帯をポケットにしまう。
そうこうしているうちにふたりは、第2棟の玄関口にたどり着いていた。
建物に入るときに、しばし黙っていた杯治が口を開く。

 

「『こうして、兄弟の活やくにより、毛虫は退治されたのでした』」

 

叶太は、歩みを止め、杯治のほうを向き、その顔を見つめた。
建物の中に入ったため、杯治は叶太の肩から離れ、近くにあった壁にもたれた。

 

「兄貴が昔、書いた絵本。僕も見せてもらった」

 

杯治も叶太のほうをチラリと見てからつぶやくように言う。
叶太は、止めていた足を再び動かした。
杯治は、そのあとに続くように、壁を頼りに歩く。

 

杯治が先ほど口にした一節は、叶太が作った絵本に出てくる文章だった。
叶太が小学生だったころ、自分で絵本を描き、製本する授業があったのである。
その際に作った絵本が、「3兄弟のぼう険」であった。
タイトルの割に、特にこれといった冒険が出てこない不思議な話ではあったが、家族には大好評だった。

 

叶太たちは3人兄弟だった。今もそうだ。
長兄の叶太、末弟の杯治、そのあいだに兄弟がもうひとりいる。
次兄の渡瀬だ。

渡瀬は、今は家を出ていて行方不明になっていた。

 

その3兄弟と両親が暮らす加藤家に、ある日、毛虫が迷い込んだ。
ふだん虫と戯れる生活をしていないせいで、家は大騒ぎになった。
その虫が、当時まだ生まれたばかりだった杯治が眠るベビーベッドに近づいていった。

 

そこで、勇気を出したのが長兄の叶太と、次兄の渡瀬だった。
とは言っても、毛虫を倒したりはしていない。
渡瀬が持ってきたスケッチブックを、叶太が支え、毛虫をその上に誘導することに成功した。
そして、外に逃がした。

 

そのときの様子を「冒険」と称して絵本にしたのが、「3兄弟の冒険」だった。
叶太が絵本を作った当時、3兄弟のうちのひとりは赤ん坊だった。その赤ん坊だった杯治が、絵本を見たと言う。
叶太は小学生時代を含め、学生時代のものはすべて部屋に置いたまま、ひとり暮らしを始めていた。
何かの拍子で、家に残されていた絵本を、成長した杯治も見たということなのだろう。

 

叶太が絵本に関することを思い出しているうちに、ふたりは第2棟の階段にさしかかっていた。
今度は手すりを頼りながら、杯治がぎこちなく階段を上る。

 

「上りはまだ楽なことに気づいた」

 

杯治がそんなことを言う。
下りているときは何も言わなかったが、第1棟の階段下りのほうがきつかったらしい。

 

「帰りどうするんだ」
「帰りたくない」
「筋肉痛が治るまで叔母さんの部屋にいるつもりか」
「そうしたいよ。できるんならね」

 

心底嫌そうに杯治が言う。
叶太は腕時計を見た。あと14分。
戻るための時間を考えたら、叔母と話す時間は10分もなさそうだ。
挨拶だけであれば、それで十分なのか。

 

階段が終わった。
杯治は2階の壁を頼りに歩き始めた。
しかめ面をしたまま杯治が言う。

 

「あの絵本さ」

 

叶太は、杯治のほうを見た。
杯治は前を向いて歩きながら言葉を続ける。

 

「『3兄弟』って書いてあるから、あの3兄弟が僕らのような気がしてしまうけど」

 

杯治はそこで息をついた。
叶太は杯治に合わせてゆっくりと歩きながら部屋番号を見ていた。

207、208、209。

 

「実は赤ん坊じゃない兄弟は全部兄貴……、叶太(にい)でさ」

 

210、211、212。

 

「渡瀬(にい)は毛虫だったんだよ」

 

213。

叔母の部屋の前で、ふたりは足を止めた。

 

「だから渡瀬(にい)は戻ってこないんじゃないかなって、あの絵本読んで、僕は思った」

 

どういう意味なんだ。
叶太が問いかけるよりも早く、杯治は213号室のドアをノックしていた。

 

俺たちが、いや、俺が追い出した毛虫が渡瀬だった?
家中が悲鳴を上げた毛虫の正体が渡瀬だった?
それは。
それは、渡瀬があまりにも。
そういう扱いを、俺たちがしていた?

 

叶太がドアの前で考え込んでいると、杯治の手が叶太の腕に触れた。
呆然と考え込んでいるのが、目に見えてわかってしまったのだろう。

 

今は叔母に挨拶をしに来たのだ。
渡瀬のことを考えている場合ではない。
叶太はまだ考えようとする自分を振り切った。

 

213号室のドアが開く。

叶太は叔母にどう挨拶すべきか、頭の中で反芻した。

 

(おわり 04/30)