スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

バタバタ・ルームメイク

今日もバタバタしている。
むしろ今日のほうがバタバタしている。
なにしろ、ふた組の団体客が来るのだ。
昨日よりもひと組多い。
ああ、なのになぜ彼女は。

 

「どういうこと? 約束してたのに」

 

なぜ彼女は、仕事の手を止めて怒っているのか。

 

渡瀬は、彼女、つまり甘木莉子が怒っている理由は理解していた。
というか、渡瀬が甘木を怒らせたということを、わかってはいた。

 

「ご、ゴメン。莉子ちゃんのほうが先に約束してたのに」
「そうだよね。私のほうが先だったのに。だから、どういうことなの」
「う、あの、ゴメン、説明するから仕事してほしい」
「……」

 

甘木は、しかめ面のまま、ベッドメイクの仕事を再開した。
渡瀬は、身につけたエプロンのヒモを結びながら説明した。

 

「えっと、昨日、団体さんが来たよね?」
「団体さん? ああ。地域のサークルの慰安旅行のお客さんだっけ。昨日、朝のミーティングで加藤さんがそう言ってた」
「うん、そのサークルの主宰者が俺の叔母なんだ」

 

そう言って、渡瀬はマスクと手袋を身につけ、シャワールームに入っていった。
もちろん、これで説明が終わりではない。
しかし、渡瀬も仕事をしなくてはならない。
そこで、仕事をしながら説明することにしたのだった。

 

渡瀬が現在やるべき仕事はシャワールームの清掃である。
シャワールームを清掃しながら説明する。
そんな渡瀬の計画は、ただちに崩れ去った。
シャワールームでマスク越しに話す渡瀬の声は、室内にいる甘木には聞き取れなかったのである。
どちらかというと、シャワールームの清掃をしている音のほうが、より大きく部屋に響き渡った。
部屋のドアは閉めてあるため、廊下に音が漏れることはないが、そういう問題でもなかった。

 

「ちょっとぉ! 何言ってるのかわからないって!」
「ああっ、もう。えっとぉ! だからぁ! 叔母がねぇ!」
「終わった! かんぺき!」

 

甘木は、いつもの数倍早く、ベッドふたつ分のベッドメイクを完了させた。

 

「シワなし、マットの位置よし、枕の位置よし、ファスナーの向きよし! パーフェクト!」

 

ベッドを指さし確認して、ミスがないことを確かめている。

 

「え、もう!? じゃあ! アメニティの補充!」
「やりますよ、言われなくても。で、叔母さんがどうしたの」

 

室内に持ち込んであった補充用の各種アメニティグッズを手に持ちながら、甘木がシャワールームの入り口に立った。
バスアメニティを置く棚がシャワールーム内にあるため、渡瀬がシャワールーム内の清掃を終えてから手渡すつもりのようだった。

 

渡瀬は、慌てて掃除を終わらせた。
シャワールーム内の水分を、仕上げ拭き用タオルで丹念に拭き取っていく。

 

「叔母に、『ここに滞在しているうちに休日にでも会いに来い、挨拶くらいしたらどうだ』って言われて」
「ふむ」
「俺の次の休み、明後日ならまだ叔母がここに泊まってるから」
「なるほど。だから私は連れていけないと」
「うん……、え?」

 

仕上げ拭き用タオルに、シャワールーム内の余計な水分をあらかた吸わせ、拭き跡が残っていないことを確認してから、渡瀬は甘木のほうを振り返った。
振り返った渡瀬の目の前に、小さなシャンプーや小さなコンディショナーなどの四角い袋が突き出された。

 

仕事のために体を動かしてはいるものの、話の内容に気を取られていた渡瀬は、少々困惑した。

困惑はしたが素直にそれらを受け取り、シャワールーム内の小さな棚に載せる。それからシャワールームの片隅に移動した。
シャワールームの片隅には、トイレがある。


渡瀬は、最初に部屋に入ったときにシャワールームに持ち込んだバケツから、ブラシやら洗剤やらを取りだし、トイレを掃除し始めた。
掃除しながら、背後の甘木に向かって声を投げかける。

 

「莉子ちゃんは俺の叔母さんに挨拶しに行きたいの?」
「行きたいかどうかはわからないけど、そうすべきだと思えば一緒に行く」
「……」

 

手に持ったブラシで、便器をゴシゴシこする。
力を込めすぎている。
ふと我に返り、渡瀬は力を緩めた。
緩めながら、また便器をゴシゴシやる。今度はやや優しく。

 

「すべき……かな、今」
「私は挨拶すべきじゃない、と?」

 

背後の「気」が恐るべきものに変化したことを敏感に察知して、渡瀬は妙な汗をかきはじめた。
中腰で便器をゴシゴシやりながら、背後に向かって言い訳を試みる。

 

「すべきかどうかはわからないよ、というか俺も挨拶に行っていいのかどうか、わからない」
「なんで? 叔母さんなんでしょ? あと、叔母さん本人が『挨拶に来い』って言ってるんでしょ?」
「そうなんだけど……。俺、6年前、実家を飛び出てて」
「え。家出?」
「うん。それでここら辺が地元なんだけど、最近戻ってきたばかりで」
「ほう。微妙な関係だと言いたいわけ、実家および親族と」
「まあ、そう。なんか……説明しないといけないことが山ほどある気がして、一度にいろんなこと言って、伝わるのかなと思って」
「そうか……。そうかもね。家を飛びだしたと思ったらカノジョ連れで戻ってきてコンニチハって、なんだか意味がわからないものね。『カノジョを探す旅に出てたのか、おまえは』って感じで」
「まあ、そう」

 

そこで渡瀬は、中腰だった姿勢をまっすぐにした。
一度便器の水を流し、その水でブラシをすすぐ。
すすいだブラシの水を切ってバケツの中に戻し、甘木が差し出した使い捨ての掃除シートで便器を拭く。
掃除シートを渡した甘木は、空になった手をひらりと振り、軽くため息をついてから、その息に乗せるような軽い口調で言った。

 

「まあ、次の休みダメなのはわかった」
「ゴメンね」
「うん、いい」
「あの」
「ん、なに」

 

渡瀬は、トイレの掃除を終え、ゴミを袋にまとめて、部屋の清掃で出たゴミとひとまとめにした。そのゴミ袋を廊下に出しておく。
手袋を取り、部屋の洗面台で手を洗う。

 

「俺の叔母に挨拶したいって、それってどういう」
「どういうも何もないけど……」
「俺の親族に会いたいってこと?」
「うん、まあ普通に」
「『普通に』」
「うん、『普通に』」

 

「普通」って何だろう。
それ以前に、自分は何を期待して、もしくは恐れて、そわそわしているのだろう。
渡瀬はそこのところが自分でもよくわからなくなり、なぜ自分がそわそわドキドキしているのか自問しかかり、そして今は忙しかったことを思い出した。

 

そわそわドキドキワクワクしている場合ではない。
まだルームメイクが終わっていない部屋が残っている。

 

渡瀬は、手を洗ったあと、タオルで手をぬぐい、そのタオルを回収し、使った洗面台の周囲を清掃したあと、仕上げ拭き用タオルで拭いた。
空になったタオル置き場に、甘木がクリーニング済みのタオルを置いていく。
渡瀬がワゴンに戻り、回収したリネンやゴミ箱の中身などをワゴンに入れ、ワゴン付近に置いてある掃除機を持ちだし、部屋に掃除機をかける。
ふたりでアメニティやコップなどの最終チェックをした後、客を迎える準備が済んだ部屋をあとにする。

 

「102、終わりっと」

 

甘木はそうつぶやきながら、廊下に置かれたワゴンの上に置いてある紙に、チェックを入れた。どの部屋のルームメイクが必要なのかが書かれた紙である。
紙によれば、自分たちの担当する次の部屋は、105号室らしい。

 

甘木が、ワゴンからいくつかのアメニティと、クリーニング済みのシーツ類をひと揃い取り上げる。
渡瀬は、ブラシや洗剤などが入ったバケツを持ち上げた。
それからふたりで、105号室に向かった。

 

「この部屋は学生さんたちが入るんだよね」

 

105号室の、使用済みのベッドの上の白い布をすべて引っぺがしながら甘木が言った。
渡瀬は、ワゴンに手袋をウッカリ置き忘れてしまっていて、いったん取りに戻り、もう一度、部屋に入り直してきたところだった。

部屋のドアをバタリと閉めると、渡瀬は甘木に向かって返事をした。

 

「うん。高校生のオリエンテーション合宿って言ってたっけ。俺はそういうのやったかなあ、たぶんやってないと思う」
「私もやってない。学校によってイベントもいろいろ違うってことかな」

「第1棟は、会社の新人研修の団体さんが来るって」

「ああ、そう言ってたね、加藤さん」

 

手袋を便器の上に置き、渡瀬はアゴの下に下げていたマスクを再び上げると、シャワールームの清掃を始めた。
甘木は、ベッドのマットをずらし、持ち込んだクリーニング済みのシーツを広げ、動きながら言った。

 

「で、なんだっけ。サークルの人と、会社の、新人さんじゃないほうの上司の人? が、ご夫婦で、部屋が近いほうがよかったのに棟が別れちゃったって加藤さんが嘆いてた。お客さんの要望を叶えられなかったってすごい凹んでた」
「そうだね!」
「うん。なんか、いい人だよね、加藤さんって」

「俺もそう思う!」

「うん」

 

シャワールーム(とマスク)に負けない大きな声で、ハキハキと渡瀬は答えた。
渡瀬が、がんばってハキハキ答えたかいがあったのか、部屋の中にいる甘木には聞き取れたようだった。
それでも廊下とのあいだを隔てる壁やドアには負けていて、廊下に声は漏れていない。はずだ。

 

外に漏れていないとは言っても、客のプライバシーに関わることをべらべらしゃべっているのはどうなのか問題は存在していたが、なにしろ外に声が漏れていないので、誰も指摘する者はなかった。

しかし、ふたりとも、客の悪口や陰口を言うために、この話をしているわけではない。

 

部屋(の壁)と無駄な勝負をしている渡瀬にはかまわず、甘木は作業の合間に言葉を続ける。

 

「あれ? 違ったっけ。サークルの人と、会社の人が親戚なんだっけ? 甥御さんがいるとかって」
「両方ほんと! で、サークルの主宰者は俺の叔母でもあるから、俺も甥!」
「……」

 

清掃しながらハキハキと説明していた渡瀬とは対照的に、甘木は黙り込んだ。
黙ってはいても、作業だけは続けている。
甘木はその無言タイムをしばし続けたあと、おもむろに口を開いた。

 

「どういうこと?」
「えっ」
「さっき言ってた『叔母さん』が、サークルの主宰者? ってそう、それさっき聞いたんだけど、あれ? ああもう、頭がこんがらがりそう! 渡瀬、もうちょっとわかりやすく説明してくれない?」
「そ」

 

そんなことを言われても。
そもそもがややこしい人間関係なのである。
しかも、ややこしいように見えて、実際はそこまで入り組んでいない人間関係でもあるので、理解できたとしても、そのこと自体にそれほどの快感は得られない。
ひとことで言うと、「気にしたら負け」なのである。渡瀬はそう思っていた。

 

「いや、別に仕事上必要ないというか、把握してなくてもいい情報だし」
「そんなことないでしょ。把握してたほうがいい情報でしょ、私にとっては」
「え。それってどういう」

 

またドキドキそわそわし始めて、いや俺はいったい何に対してドキそわしているのか、と渡瀬は思い直した。
仕事に集中せねば。
渡瀬がそんなことを考えているあいだも、甘木はテキパキと動きながら次々と言葉を発する。

 

「今日忙しいから、今を逃したら今日聞くチャンス、私にはないんだよね。このあと、渡瀬、厨房のヘルプにも行くんでしょ?」
「うん」
「今日の仕事終わってからややこしい話したいならいいけど、私はできれば今聞きたい。どういうこと? 渡瀬の叔母さんから見ると、甥がふたり、ここにいるの?」

 

甘木は、またもや自分の作業をいつもより数十倍早く終え、シャワールームの入り口で補充用のアメニティグッズを手に持ち、渡瀬の背後から渡瀬の言葉を待っていた。

 

「う、えっと。そうね、うん」

 

渡瀬は、「人間関係をわかりやすく説明しなければならない」という任務を唐突に課され、任務達成を目指したい思いと「本来の業務に集中しなければ」と焦る思いとのあいだで揺れ動いた。
揺れ動いた結果、渡瀬の口から飛び出したのが、この散文的かつ単発的な言葉の群れだった。

 

説明しなければならない。
わかりやすく。ルームメイクが終わるまでのあいだに。
なぜなら、甘木は把握しておいたほうがいい情報だから。
そう本人が言ったから。

 

ルームメイクタイムを引き延ばすことはできない。
なぜなら、チェックインの受付開始時間が迫っているから。
時間までにルームメイクを終えねば。

 

どう。どう説明すれば。

 

渡瀬は、シャワーを手に取り、泡を洗い流した。
ごぼごぼと、泡が排水溝に吸い込まれていく。
自分の考えがバラバラになって排水溝に吸い込まれていく錯覚に見舞われる。

渡瀬は仕上げ拭き用タオルを手に取った。
シャワールームの水分を拭き取る渡瀬を、甘木が背後から見つめている。

 

できることをするしかない。
そう、あきらめにも似た気持ちを抱きながら、渡瀬は小さく息を吐いた。
それから、甘木に説明するための言葉を探しながら口を開いた。

 

(おわり 02/30)