ひとことで言うとハデですね
「これはまた……ハデですね、ひとことで言うと」
「だろ?」
「いえ、あの、褒めてるわけではなく」
「なんだって?」
夜更けである。
宿泊施設「ログキャビン・イルズク」はすでに消灯時間を迎えていた。
これから充香は、サークルで作った造花を、イルズクの玄関ロビーに飾りつける予定だった。
その手伝いとしてイルズクが寄越したのが渡瀬だった。渡瀬は、充香の甥である。
花を運ぶ前に、まず充香の部屋でふたり、ロビーにどう配置するかを話し合った。
花には運搬用に覆いをかけていたため、充香が携帯で撮った花の写真を見ながらの相談である。
花の種類は、胡蝶蘭や薔薇など、華やかかつ気品を感じさせるものばかりだった。
だが。
大きさに問題があった。
ひとつだけ、やたらと巨大な薔薇があった。
写真には、偶然なのか比較用にわざわざ入ったのかはわからないが、人が隣に映っていた。
その薔薇は、人間の頭よりもはるかに大きかった。
「これから、ひとりでに動き出す」と言われても驚かないくらいの大きさだった。
「ああ、その薔薇かい? あたしが作ったんだけどさ。材料がやたら手に入ってしまって、消費しないといけなかったんだよ。小さな薔薇をたくさん作るのも時間が足りなくて」
「で、こんなに巨大になったんですか……」
「まあね。作ってるうちにノリノリになってしまったのもある。ハデでいいだろ」
「ハデ好きなんですね……」
「まあね」
渡瀬は、携帯の画面の中の巨大薔薇をしげしげと眺めた。
そして、思いついたように言う。
「あ、そうだ。アレが合うかもしれない」
「なんだい、アレって」
「えーと、飾りです。羽の飾り。俺が昔舞台で使ったもので、去年の忘年会のときに持ってきたものです。使ったまま持ち帰るの忘れてたんで、まだイルズクの倉庫にあると思うんですけど」
「舞台?」
「あ、はい。昔ですけど、はい。じゃあまあ、持ってきます、その飾り。ハデにハデをぶつければ何かが相殺されるかもしれない」
「ちょっとお待ち、舞台って何だ」
「昔の話です。まあ、その話は今度また、時間があるときにでもゆっくり」
そう言って、渡瀬はそそくさと部屋を出て行った。
あとには充香と花だけが残された。
「舞台って何だ……」
返事はない。
ノックの音がした。
充香がドアを開けると、加藤という名のイルズクのスタッフがそこにいた。
充香が予約を取るときに話した、およびロビーに花を飾るための交渉をした相手が、この加藤だった。面識がなくもない。
「お待たせしました」
加藤は言う。
かつて充香が聞いたこともないほどかすかな話し声だった。
その声を不自然に感じた一瞬ののち、「夜中の廊下だからか」と気づいた充香は、加藤を部屋に入れるべく、開いたドアに寄って場所を開けた。
「すみません、消灯時間が過ぎているもので。廊下でできるだけ物音を立てたくないんです」
部屋の中に入ってから、加藤はやはり小さな声で、しかし先ほどよりは若干音量を上げて言った。
部屋のドアを閉めてから充香も返事をする。
「ああ、それはそうだね。うちのサークルの面々ももう寝てるに違いないさ。中高年が多いからね、途中で起こして寝不足になられて、それで何か事故が起きても困るから、ここは宵っ張りのあたしひとりで飾りつけを終えようと思ってね。こっちの人手が少なくてすまないね」
「いえ、それはかまいません。うちからはもうひとり来る予定です」
「ああ、すでに来たよ。もうひとりって渡瀬だろ? なんだか羽飾りを取ってくるって言って出てったよ」
「そう……でしたか」
戸惑ったような表情を見せた加藤に、充香は言った。
「渡瀬とは顔なじみでね。顔なじみと言っていいのかどうかよくわからないけど」
「ああ、彼をご存じでしたか」
「まあね。だけどね、そうは言っても過去のことはあたしもよく知らないんだ。『舞台』って言ってたけど、あの子は舞台に立つような仕事をしていたのかい?」
「さあ……、どうでしょう、私もあまり渡瀬の昔のことは、よくは存じ上げません」
加藤は言葉を濁すと、部屋を見回した。
「では、運びましょうか」
「ちょっとお待ち、台車があるからね」
充香はまるで秘密道具を取り出すかのような厳かな口調で言うと、花に埋もれていた台車を発掘した。
「さあ、運ぶよ」
そう宣言すると、メガネをかけ、スカーフを頭に巻いた。何か作業するときの、充香のいつものスタイルだった。
どことなく「お忍び」な雰囲気を漂わせながら、充香は台車に花を載せていく。
「私が台車を運びましょう」
「いや、悪いが台車はあたしにやらせとくれ。両手に花を持って運ぶよりは転ぶ危険が少なそうだからね」
「失礼しました。そういたしましょう」
そこから1回目の運搬を終えるまで、いっさい会話がなくなった。
ロビーは暗かった。
消灯時間が過ぎているため、点灯している照明の数を減らしているのである。
ロビーに着いてから初めて加藤が口を開いた。
「照明をつけてきます。それと、うちにも台車があるはずなので、それも持ってきます。すみません、段取りが悪くて」
「かまわないよ」
なんとなくだが、加藤は自分の責任であるかのように言っているが、台車を持ってくるのを忘れたのは渡瀬なのではないか、という思いが充香の脳裏をかすめた。
確かに、充香の記憶にある渡瀬もそんな感じだった。
そんなドジっ子で大丈夫かと言いたくなるが、たぶん大丈夫なのだろう。
意外となんとかなる。
充香はそう考えていた。
フロントの裏に行った加藤を待っていると、充香の脳裏に、さきほどの渡瀬の言葉がよみがえってきた。
「昔の話です」
舞台とは何だろう。
舞台に立つような仕事をしていたのだろうか。
充香は、家を飛び出してからの渡瀬のことを何も知らないことを、今さら実感した。
ロビーの、充香がいる周辺にだけ照明がついた。加藤がつけたのだろう。
スポットライトで照らし出されたかのように、充香がいるそこだけが、薄闇の中で浮き上がった。
加藤を待っているのもバカバカしくなり、充香は台車を押して、もう一度部屋に戻ることにした。第2回運搬である。
イルズクには、こじんまりとした建物が何棟かあり、そのひとつひとつの建物は2階建てである。客用のエレベーターはない。
しかし、リネンルームの隣に作業用エレベーターがついていた。エレベーターと言うよりもリフトである。
基本的に緊急の出来事があったときに乗るものなのだろう、と充香は推測した。そうでないなら客用のエレベーターがない理由がよくわからない。
充香はロビーに行くときにも乗ったそのリフトに乗り、再び台車とともに自分に割り振られた部屋に戻った。
そうして、第2回運搬を滞りなく済ませた。
途中で台車を押す加藤とすれ違った。
廊下ですれ違ったため、お互い言葉を交わさず、目で挨拶を交わしたのみだった。
第5回運搬、加藤と合わせると第何回なのかわからなくなっていたが、何往復かして、ようやくすべての花を運び終えた。
充香が最後の運搬の果てにロビーにたどり着くと、加藤は、すでに運んだ花の覆いを取っているところだった。
その加藤が、口を開く。
「……これはまた、なんというのか」
「ハデかい?」
「いえ、生き生きとして……まるで生きているかのようですね、躍動感が素晴らしい」
巨大薔薇を目にした加藤がひねりだした言葉である。
巨大な薔薇が生きていたら恐怖でしかないような気がしたが、その恐怖の巨大薔薇を作った張本人である充香は、意地でもそんなことを言う気はなかった。
「渡瀬は? まだ戻ってこないのかい」
「そうですね……、ちょっと遅いですかね」
辺りを見回しながら加藤は、充香の言葉にうなずいた。
充香は、少しずれていた花の配置を整えた。これでよし。
渡瀬はまだ戻らない。
やることもなくなり、ロビーには静寂が訪れた。
「……で、渡瀬の昔の話なんだけどね」
充香が加藤のほうに向き直って言った。
「舞台って何だね。あの子は舞台に立っていたのかい?」
「いえ、私もよく知りませんので」
「そうかい。まあ、本人が帰ってきたら本人に聞きたいんだけど、あの子はいつ戻ってくるんだね」
「ははは……、すみません、どうでしょう、われわれのほうでで飾りつけを終えることもできますが。もう夜も遅いですし」
「あたしの目はギンギンに冴えてるよ。もともと夜行性だからね」
「そうですか……、渡瀬に連絡を取ってみましょうか」
「ああそうだね。やってみとくれ」
加藤が携帯を取り出して操作する。
その作業をぼんやり眺めていた充香は、ひとりごとのようにつぶやいた。
「地味な子だとずっと思っていたんだよ」
加藤は、充香のほうをチラリと向いたが、指は携帯を操作し続けていた。
充香の独白は続く。
「親族で会う機会があっても、まあ挨拶くらいはするけども、それ以外はダンマリさ。どういう子なのかなんて、考えるきっかけもなかった」
「……」
「親族」という言葉に反応したのか、加藤は携帯を操作する指を止めて充香を見た。
「今の環境に特に不満もない子なんだろう、そう思ってた。興味もなかった。あの日までは」
「……」
「あの子が家を出てね。突然に。それで、ああ、あの子は居心地が悪かったのか、と知ったのさ。俄然興味がわいてね。あたしも居心地悪いんだ、あの家は」
「は、そうですか、ええ」
むしろ加藤は、自分のほうが居心地の悪そうな相づちを打った。
「まあ、いいんだよ、舞台に立ってようが立ってなかろうが。でもさ、あたしが知ってるあの子だったらやらないようなハデなことを、誰も自分を知るものがない場所で、思い切ってやっていたのかなって思ったらさ、痛快じゃないか」
充香は含み笑いをしながらそう言った。
充香の独白は終わり、そこでまたロビーに静寂が訪れた。
加藤はいつの間にか携帯の操作を終えていた。そして携帯を見たまま、傾いたような奇妙なほほえみを見せ、その表情のまま充香に向き直った。
「渡瀬はすぐに戻るそうです。今まで第1棟で、ほかのお客様のご要望にお応えしていたらしく」
「なんだい、こっちだってお客様だろ。あの子はまったく……」
ため息をつきかけた充香に、加藤がさらに説明した。
「第1棟には、今、会社の研修のために宿泊されているお客様がいらっしゃるんです」
「それって、叶太の会社のことかい?」
叶太は渡瀬の兄である。
「お客様のお名前は私からは申し上げることができませんが、ええ、はい。新人さんではない社員の方に」
「兄貴につかまってたのかい、渡瀬は」
充香は、吹き出した。大笑いである。
「どこまで運が悪いんだ、あの子は! ああ楽しみだ、何を話したんだろう、ふたりで。ああ、わかってるよ、本人に直接聞くよ、仕事じゃない時間を狙ってね」
充香は、そう言ったあとも、涙が出るほど笑い続けた。
笑いがようやく収まり、涙を拭き終わったころ、ロビーに渡瀬本人が戻ってきた。
なぜか背中に巨大な羽飾りを背負っている。
これが渡瀬が言っていた羽飾りなのか。
これはさぞかし舞台映えしただろう、充香はそう思った。
そして、「この格好で兄と再会したのか」と思うと、また笑いがこみ上げてきた。だが、かろうじてこらえた。
羽を背負ったまま、渡瀬が口を開く。
「すみません、遅くなりまして……ってもう終わりですか?」
「終わりだよ。で? 羽飾りってそれかい?」
充香は、渡瀬が背中に背負っている巨大な羽飾りを見ながら言った。
「そうです。ハデでいいでしょう」
「ああいいね。ハデだね!」
充香は親指を突き出して言った。
渡瀬は背中から羽飾りを下ろすと、ロビーに展開している花の群れに近づいた。
そしてひときわ巨大に、異彩を放っている巨大薔薇の左右から羽が見えるように、羽飾りを置いた。
「この大きな薔薇を固定してるとこに羽も固定すればいいんじゃないでしょうか」
渡瀬はそう言いながら固定する作業をし始め、すぐに終えた。
「ああ、いいじゃないか。孤独だった薔薇がひとりきりじゃなくなったね」
「ハデをハデで相殺してみました」
夜も更けてきて、残業が長引きすぎたせいなのか、加藤が吹き出した。
奇妙に傾いたような顔で笑いながら、加藤は言った。
「相殺されてはいませんよ、でもいいですね、ひとことで言うと」
そこで息を整えた。
そして、まだ笑いの残る顔で言った。
「ひとことで言うと、ハデですね」
(おわり 10/30)