スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

羽男に惑わされる夜

ファイル名を間違えた。
7番めのファイルに「9」という名をつけていたようだ。
加藤叶太(かなた)は、9番めのファイルを作るときにようやくそのことに気づいた。

 

なぜこんなミスをしたのか、自分でもよくわからない。
自分では気づいていないが、疲れているのかもしれない。
叶太はため息をつき、そんなことを思った。

 

叶太が今いるのは、宿泊施設「ログキャビン・イルズク」の会議室、の控え室だった。
叶太の所属するトラーリ株式会社は、4泊5日の新人研修でイルズク第1棟に宿泊していた。
その間、第1棟・1階にある会議室を借り切っている。控え室も同様である。控え室には共用のプリンタがある。


明日の研修の企画のために、QRコードのファイルを11個作り、それを印刷する必要があった。

 

「Hang in there」

 

……という英文のアルファベットを、1文字ずつQRコードにする。
QRコードは、新人研修の明日の企画で使うものだった。
この研修に入る前から準備はしていたが、本来の仕事をしながらの準備だったために十分ではなかった。
結果、一番手軽に終えられそうな作業が最後まで残ってしまったのである。

 

QRコードをWeb上で作成し、ファイルに保存、そしてシールに印刷して貼る。
ラベルプリンタがあれば簡単に印刷できるのかもしれなかったが、トラーリ株式会社は、そんな便利なマシンを所有してはいなかった。


というわけで、叶太は宿泊施設から借りた古いプリンタで、ハミ出さないようチマチマと手動で設定をしながらシールに印刷する作業を、ひとり進めていた。

 

叶太は、部屋の隅にまとめて置いてある、11本のポールに目をやった。
車止めなどに使われる、背の低いポールである。自立している。
地面に埋めずとも使えるタイプで、色は黒だ。


そう、トラーリ株式会社の新人研修チームは、わざわざ会社から宿泊施設に、11本のポールを持ってやって来たのだった。

このポールに、QRコードを印刷したシールをひとつひとつ貼り終えれば今日の叶太の作業は終了である。

 

間違っていることが今しがた判明したファイル名を直すべきかどうか、叶太はぼんやり考えた。
ファイル名は、ファイルを作成したときの、最初の名から変更している。

ファイル名も一緒に印刷する設定になっているからである。
すべては、QRコードの順番を間違えないためだ。

 

しかし、ファイル名を直す必要はない。叶太はそう判断した。
ファイル名を誰が確認するというのか。
シールさえきちんと印刷できていればいいのである。

 

さらに言えば、明日だけしか使わないシールである。
間違いがあっても、後々までそのミスが尾を引く、ということもない。
というわけで、叶太はQRコードの9番めのファイルに「7」という名をつけた。
7番めのファイル「9」とまったく同じ名だと、9番目のファイル名がつけられないからだ。

7と9で、ファイル名が入れ替わってしまったが、印刷するときに間違えなければいい。


叶太はそう思うことにした。
夜も更けてきて、くたびれていた。細かいミスを直すよりも早く終わらせたい。
小さいとはいえ、ミスの判明と、それをどうするか迷ったせいで、ふと休憩したい気分になった。

 

叶太はノートパソコンから目を上げた。
腕時計を確認する。
23時10分。
窓の外を見た。
特に意味はない。ずっと近くを見て作業をしていたため、なんとなく遠くを見たくなったのである。
しかし窓の外はとっぷりと暮れており、暗闇しか見えない。

 

遠くで、車がゆっくりと走行する音がした。
叶太たちトラーリ株式会社の人間は、今、新人研修のためにイルズクに宿泊している。
といっても、叶太は新入社員ではない。
研修を滞りなく遂行するために同行した、勤続5年のトラーリ株式会社の社員である。

 

新人研修にやけに力を入れる会社だった。
叶太が新入社員のころからそうだった。
外部に研修業務を委託しているのかと思ったが、違った。
先輩社員が、上司の監督のもと、せっせと準備して実施しているのである。

 

今回、研修をおこなう側の立場になって、ようやく叶太はそのことを知った。
特に力を入れているのは座学よりも、体を動かすイベントであった。
力を入れる場所が違うのではないか、と思わないでもなかったが、これも仕事である。

 

そんなことを思いながら叶太が窓の外の暗闇をぼんやり眺めていると、窓の外の走行音が近づいてきた。
駐車場から宿の正面入り口に車を回すときに、ここ第1棟・会議控え室のそばを通る。
今日は夜になってからずっとここで作業していたため、もはや何度目かわからない車の音だった。

 

窓にヘッドライトが当たる。

カーテンを閉め忘れていた。
照らされた部屋の一角が強い光で浮かび上がる。
光は平行四辺形の形になり、部屋の中で天井にまで伸びた。
そこに、影が映った。
影は、窓と、室内の平行四辺形の光の中で、ゆがみながら伸びた。

 

「……!?」

 

今のは何だろう。
叶太がそう思って椅子から立ち上がりかけたときには、もうすでにヘッドライトも謎の影も見えなくなっていて、辺りには暗闇が戻っていた。

 

何か、人ではない影が見えた気がした。

 

手がふさふさとした何か。
巨大なふさふさとした手。
リスの尻尾のような形の、巨大な手。
違うのだろうか。手ではないのか。

 

「あいた」

 

窓の外で声がした。
立ち上がりかけの中途半端な姿勢でいた叶太は、思い切って立ち上がった。
窓に近寄り、鍵を開ける。
そして勢いよく開けた。

 

「わっ」

 

窓の外、下の方で声がした。
叶太の腰くらいの高さにある窓の外側、1.5メートルほど離れたところに誰かがうずくまっていた。


両腕で何かを抱えている。
その何かは羽に見えた。巨大な鳥の羽の飾りだ。カーニバルで見るような羽である。
手に見えた何かは、手ではなく、手で持った巨大な羽だった。

 

「どちら様?」

 

叶太がどう聞いたものか考えながら問うと、巨大な羽を抱えたその男は、ゆっくりと立ち上がった。
だが、黙っている。叶太が戸惑うほど、顔をじろじろと見つめてくる。

 

(イケメンだ)

 

叶太は、羽男の顔を見てそう思い、次に何を聞くべきか、わからなくなった。
警戒なのか、緊張なのか、嫉妬なのか判然としない感情がわき起こりそうになり、無理矢理に、目の前の男に注意を戻す。

 

イルズクの客だろうか。それともスタッフだろうか。
それともそれ以外の何者かだろうか。

 

男の服装はラフなものだった。
怪しいと言えば怪しいが、イルズクのスタッフには制服がなく、動きやすいであろうラフな服装をしていることが多かった。
服装からは判断できない。

 

叶太がそんなことを思っていると、思う存分叶太の顔を眺めて満足したのか、羽男はようやく口を開いた。

 

「あ、俺。宿の者です、すみません、お騒がせして。つまずいてしまって……転んだだけです」

 

叶太は目の前の羽男がしゃべり始めてすぐに、どこかで見たような印象を覚えた。
しかし、カン違いだろうとすぐに思い直した。
なにしろ顔に見覚えがない。
返事をしないのも変かと思い、最初に目に飛び込んできたものについて尋ねてみることにした。

 

「宿の人がなんで羽を?」
「なんでかは俺にもわかりませんが、これがちょうどぴったり来る花があって……。あ、今、第2棟のロビーで花を展示している最中なんですよ。造花を作るサークルの方々の作品なんです。明日には見られると思いますので、ぜひ見にいらしてください」

 

羽男は唐突にロビーの花展示を売り込むと、ぺこりとお辞儀をして立ち去ろうとした。

 

「あ、ちょっと待って」

 

叶太が思わず呼びかけると、羽男はピタリと立ち止まり、振り返った。

 

本当に宿の人間なのだろうか。
宿の人間が、夜中に巨大な羽を持ってウロウロするだろうか。
叶太はそんな疑問を感じていた。
かといって、どういう立場の人間だったら、夜中に巨大な羽を持ってウロウロしていても自然なのかはわからない。
叶太は羽男に尋ねた。

 

「お名前、教えていただけますか」
「は……、えっと」

 

口ごもった。怪しい。
叶太は反射的にそう思ったが、次の瞬間、男はあっさり名乗った。

 

「渡瀬です」
「……」

 

男を怪しむことも忘れ、叶太は黙った。
数年前、突然家を飛びだした弟の名と一緒だった。


だが違う、顔が違う。

 

声も記憶の中の弟よりも、しゃがれている。
そもそも弟は下の名前が渡瀬なのだ。
この人物は、おそらく名字が渡瀬なのであろう。

 

下の名前を聞こうとして、叶太は途中でやめた。
職務質問のようだったからだ。
そんなことができる立場ではない。
そこまで考えてから、自分が名乗っていないことを思い出した。

 

「あ、申し遅れました、私は加藤と申します。えーと、名刺、名刺」
「あ、えっと、おかまいなく」
「あれっ、うんっ? あ、ない……。新人研修の準備するだけだから、使わないと思って部屋に置き忘れてきたのかも」

 

叶太はがっくりと肩を落とした。

そして、とても正直に忘れた旨を伝えた。
精神論を語る上司がここにいたら叱り飛ばされていただろう。いついかなる時も名刺を持ち歩けと。忘れたときには、「あいにく切らしている」などの、ふんわりした言い訳をしろと。

 

「俺も持ち歩いてないです、名刺」

 

なんだか少し悲しいような表情をしながら、自称・渡瀬は言った。

 

「こんなこと言ったらいけないのかもしれないけども、早く紙の名刺を持ち歩く必要がないくらいに、電子的な名刺交換システムが発達すればいいのにと思ったりします」

 

自称・叶太も、やや遠くを見ながらさみしく言った。

その言葉を聞き、渡瀬は目を細めて、笑っているような、そうでもないような表情になった。
叶太は、その表情に見覚えがあった。

 

「あの。渡瀬さん。ちょっと手伝ってもらえません?」

気づくと、叶太はそう言っていた。

 

***

 

「俺が手伝っていいんでしょうか。俺、トラーリさんに何も関係ない人間ですけど」

 

イルズク第1棟・会議控え室の中に招き入れられると、渡瀬は戸惑ったような口調でそう言った。
叶太は、声をかけた手前、「思わず言ってしまっただけで特に手伝うことはない」と本当のことも言えず、とりあえずニコニコした。
渡瀬に準備室の椅子を勧めてから、言い訳を試みる。

 

「いえ、話し相手になってくれるだけでいいんです。眠くなってきてしまって、ひとりで作業していると」
「はあ。では、すみません、ちょっと失礼して」

 

渡瀬は椅子に座って、そう前置きすると、腕に抱えていた巨大な羽を背負った。
背負うためのベルトがついていたらしい。

 

「なんで背負うんです」

 

光の下で見ると、ラメもしくは金糸が使われているのか、やたらとギラギラしてみえる、目に突き刺さるようなターコイズ・ブルーの羽である。

 

「ここに置いて、置いたまま忘れてしまってはいけないと思いまして」

 

渡瀬は、クソ真面目な顔でそう言った。
ドジっ子なのか。
叶太は自分のことを棚に上げて、そう思った。
叶太の弟の「渡瀬」も、相当なドジっ子だった。

 

そう思って目の前の羽男を見てみるが、顔の後ろに、背景のように巨大な羽がギラギラわさわさしているため、どうにも弟とイメージが重ならなかった。ハデすぎる。

 

「えーと。そうだ、ファイルをあと2個作るんだった」

 

叶太はそう言って、ノートパソコンでQRコードのファイルを作る作業に戻った。

 

「すみません、渡瀬さん、ポールを持ってきてくれませんか」
「あ、はい。どのポールですか」
「全部です」

 

渡瀬は、言われたとおりに、部屋の隅に置いてあった11本のポールを持ち上げ、叶太のいる作業机のそばにそろえて置いた。
ポール自体はそれほど重くなく、渡瀬は、脇に数本挟んだりして2往復でその作業を終えた。

 

「えーと、最後はなんだっけ、『e』か。『e』は……、『H,a,n,g,i,n,t,h,e』9番目のファイルと同じのをもう1回、で、ファイル名は11」

 

先ほどファイル名を間違えたことを渡瀬の出現によって忘れてしまったのか、叶太はそうつぶやいた。

 

「で、プリンタに白紙のシールをセットして、印刷、と……」

 

叶太は、作業机に載っていた台紙付きの白紙のシールを持ち上げると、机の上、ノートパソコンの横に置いてあったプリンタにセットした。
機械が作動する音がして、印刷が始まる。

 

出てきた印刷済みシールを見て、叶太はうなずいた。
シールには、ひとつひとつ違う番号がふってあり、その下にQRの模様のようなコードが印刷されていた。
渡瀬が見ていることに気づくと、叶太は、できたてのシールを見せながら言う。

 

「できました」
「おお。……と、言われても、俺にはQRコードだとしかわかりませんけど、はい」

 

渡瀬は、とても正直に感想を言った。
QRコードを読み取れる人間のほうが少ないであろう。

 

「はは、まあそうですよね。これをポールに貼れば終わりです」
「手伝いましょうか」
「あ、じゃあ、お願いします」

 

ぺたり、ぺたりと貼っていく。
来年の新人研修も、前の年のシールを剥がすところから始めるのだろう。今年と同じように。
叶太はそんなことを思った。

 

シールはあっという間に貼り終わった。
これで叶太の本日の作業も終わりである。

 

「これで終わりです。ありがとうございました。すんませんね、引き留めて。花の準備してください」
「あ、はい。それでは」

 

言葉通り立ち去りかけた渡瀬だったが、ドアを開いてから振り返った。
後ろに背負った羽が、わさわさと動く。

 

「QR、読み取れるかどうか、チェックしなくて大丈夫ですかね」
「あ、そうですね。んじゃ、最後にそれやります。ありがとう」
「じゃあ、俺はこれで」

 

渡瀬が羽をわさわさ言わせながら部屋を出て行くと、叶太は椅子の中で息を吐いた。
途中で心配になったのだった。
社外の人間の前でこの作業をしていていいのかどうか。
特に見られて困るものでもないが、わざわざ見せるものでもない。

 

花の展示をしていると言っていた。
向こうも仕事がまだ残っていた。
それなのに、なんだか強引に引っ張り込んでしまった。

 

それもこれも、渡瀬という男に感じた、どこかで見たような妙な印象のせいだったのだが、結局どこで見たのかわからずじまいだった。
たとえば、テレビの中で見た誰かとか、ほかの人間と混同しているのかもしれない。

 

そうなのかどうなのか、叶太にはよくわからなかった。
常に渡瀬の後ろでギラギラわさわさしていた巨大な羽に目が行ってしまい、それどころではなかったのである。
アレがぴったりくる花とは、いったい何なのだろう。

明日には見られると言っていた。
手伝わせてしまったこともあるし、見に行ってみようか。

 

作業を終えたポールを、ドアの脇にまとめて置く。
この部屋は今、トラーリ株式会社社が借りているので、ポールは明日の朝、設置するまで、置きっぱなしでもいいはずだ。
会議控え室に広げていた物をまとめながら、叶太はそんなことを考えた。

 

むろん、QRコードが読み取れるかどうか、確認をすることは忘れたままである。

 

(おわり 11/30)