スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

長い長い回り道

「やってきたようだね」

 

ドアを開けた叔母・充香(みちか)の言葉である。
叔母は、先に部屋の中に戻り、部屋に備えつけられた椅子に座っていた。

 

「おい杯治(ハイジ)、押すなって」
「兄貴、叔母さん、叔母さん。挨拶して、ほら」
「……」

 

部屋の入り口付近で、加藤兄弟はふたりでごちゃごちゃとダンゴになっていた。
そのせいで叔母の言葉をふたりとも聞き逃した。

 

「やっと挨拶に来たようだね!」

 

だから、ふたりの叔母・充香は、親切にも大きな声で、もう一度ふたりに声をかけた。
兄弟ふたりはビクリとしたあと、やっとおとなしく部屋の中に入り、ひとりで椅子に座っている叔母の目の前に立った。

 

「はい。挨拶が遅れてすみません。お久しぶりです、叔母さん」

 

加藤兄弟の「一番上の兄」こと叶太(かなた)が言った。
彼はこの宿泊施設「ログキャビン・イルズク」に会社の研修のために宿泊しているため、日中はだいたいスーツを着ていた。

 

「こんにちは、叔母さん。僕のほうはそこまで久しぶりじゃないよね、正月にも会ったし」

 

加藤兄弟の「末っ子」こと杯治が言った。
杯治は学校の行事であるオリエンテーション合宿のためにここイルズクに宿泊しているため、日中はだいたいいつも学校指定のジャージを着用していた。


叔母が、手をベッドの辺りに黙って動かす。
兄弟ふたりは、叔母が示したベッドに腰掛けた。

 

今は、ふたりとも、所属するそれぞれの団体で、自由時間になったタイミングだった。
たまたま同じ宿泊施設に居合わせた兄弟ふたりが、これまた、たまたま同じ宿泊施設に居合わせた叔母の泊まる部屋に挨拶しに来たのである。

 

こんな偶然があるのだろうか。

 

しかし叔母は強運の持ち主であった。
そういう偶然もあるのかもしれない。
兄弟ふたりはそう思っていたが、実は半分以上は偶然ではなかった。
叔母は説明した。

 

「うちのサークルは、毎年ここに泊まっててね。サークルって言っても、いつも地域センターで近所のみんなが集まって活動してるだけなんだけどね、そのサークルの年に一度の慰安旅行がこれさ」
「はあ、なるほど」
「うちのサークルには、石尾さんって人がいてさ。石尾さんといや叶太、おまえの会社の偉いさんらしいじゃないか。うちのサークルにいるのは、叶太の上司本人じゃなくて、奥さんのほうだけどね。それで叶太の会社が、うちのサークルの合宿と、泊まるところを合わせたらしいよ」
「え、そうなんですか」

 

なんだそれは。
なぜそこまで。
叶太は一瞬当惑したが、特に何も言うことはなかった。
実際問題、この近辺で、宿泊ありの研修に使えそうな宿泊施設を探そうと思ったら、イルズクくらいしかないような気もした。
奥さんがどう言っているかに関わらず。

 

「そう。だからこの3人の中で本当に偶然、ここに泊まってるのは杯治だけだね。ほかは全部誰かが日程と場所を合わせた結果だよ」

 

そこまで話したところで、充香はふだんから低い声を、さらに低くして言った。

 

「それでだ。極秘の情報がある」
「極秘」
「……というと?」

 

兄弟ふたりは、叔母のほうに身を乗り出しながら尋ねた。

 

「渡瀬のことさ」
「渡瀬」
「渡瀬(にい)?」

 

渡瀬とは、加藤家の「真ん中」にして、ただいま失踪中、つまり行方不明の23歳である。

 

「渡瀬の行方を知りたくないかい?」
「……それは……、俺からはなんとも」
「僕は知りたいな~」
「そうだろ? 杯治、知りたいだろ? 叶太はどうなんだい」
「……あいつが今のほうがいいなら、知らないほうがいいかと……」
「そうかい、まあそれも考え方だね。あたしゃ、あの子の居場所を知ってる。渡瀬からは、『居場所を加藤家の人間に教えないでくれ』とも言われてる。だけども、このままだとあの子は戸籍が抹消される。除籍される。今だって行方不明者届を出してから丸6年経ってるからね。あと1年で戸籍上は死亡扱いにできるのさ」
「あ、そうか……」

「そうなの?」

 

杯治の問いかけに、叶太も叔母も、うなずくだけにとどめた。

叶太は以前、ネットで調べたことがあった。それによると、行方不明者届を出してから丸7年が経過していて、裁判所で失踪が認められれば、失踪宣告を受けて法律上の死が認められる、とのことだった。

とは言っても、7年経ったからと言って、すぐに失踪宣告の申し立てをするわけでもない。

相続が発生でもしない限りは。

 

相続の発生は、叶太にとっては、家族の死を意味している。

あまり考えたくないことで、今はあまり現実味がないこともあり、叶太にとっては、「知ってはいたが考えないようにしていたこと」のうちのひとつだった。


「あの子はそれでもいいのかもしれないけど。まあ結婚もしない、子供もいらないというならそれでもいいのかもしれないけどね。でも、あたしにできることは何かと考えたらさ。渡瀬が加藤家に一度戻って、顔を見せて、行方不明者届を引っ込めさせることかな、と思ってさ」
「俺たちに渡瀬の居場所を教える、ってことですか?」
「あんたたちのほうが親たちよりもあの子に近いから、説得しやすいんじゃないかと思ってね」
「僕は渡瀬(にい)の思い出もあんまりないし、近いとも言えないんだけど」
「それでもほかの人間よりはあの子に近いさ」

 

沈黙が降りる。
うつむいて考え込んでいた叶太が視線を叔母に移し、口を開いた。

 

「で、渡瀬はどこにいるんですかね……」

 

語尾が弱く消えかけた。
心の中の迷いを反映するかのように。

 

「この宿さ。ここで渡瀬が働いている。あたしはその姿も見たよ。話もした」
「俺は見てないですね……」
「僕も、たぶん……。僕は学校の合宿で来てるから、旅館の人と話したりするチャンスがないってのもあるけど」
「まあ、昔とはちょっと雰囲気が違うからね。パッと見ではわからないかもしれない。名前は加藤姓を名乗っていたよ」
「加藤……。この旅館の従業員の加藤姓の人間を捜せばいいということですかね」

 

考えながら叔母に向かって確認した叶太に、杯治が横から口を出した。

 

「捜さなくても普通に名前で呼び出してもらえばいいんじゃないの、兄貴。フロントとかで。『加藤渡瀬はいますか』って」
「呼び出して本人が出てくると思うか?」
「うーん、どうだろう……」

 

悩む兄弟ふたりに、叔母が追い打ちを掛けるように言い放った。

 

「逃げられないことを祈るよ」
「……」
「あたしが苦労して見つけた渡瀬に、また逃げられないことを祈るよ」
「わかりました、すみません。教えてくださってありがとうございます、叔母さん。こっそり捜せばいいんでしょうか」
「そうだね。そのほうがなんか面白いし。あんたたちさ、杯治だけじゃなくてふたりともさ、あの子のこと何も知らないだろ? 近いけど、何も知らない」
「……はい」
「別に知らなくてもいいんだけどさ、仲の悪い兄弟なんて世の中にありふれてるし、あたしだってそうだ。だから見つけられなくてもそれはそれでいいと思うよ」
「いえ……、見つけますよ」
「おおっ、兄貴がやる気出した」
「俺は、いつでもやる気満々だ」
「あまりやる気出しすぎて、渡瀬を追い払ってしまわないようにね」
「そうだよ、渡瀬(にい)は兄貴のそういうとこが嫌で出てったんだよ、きっと」
「俺のせいか」
「そうそう」

 

杯治が、ここぞとばかりに叶太の責任にする、この兄弟のいつもの会話だった。
理不尽にひとりだけ責任を負わされるのは、渡瀬が出て行くまでは、家族の中で渡瀬が担っていた役割である。

 

ここで、渡瀬を見つけられれば、家に帰るよう本人を説得する権利を得られる。
家出人を連れ戻すためにどうするのが最善なのかわからなかったため、杯治も叶太も、叔母の申し出に乗ることになった。
各自のスケジュールを交換・確認して、その内密の親族ミニ会議は終わった。

 

その日から、研修の合間を縫って旅館の中を歩き回り、従業員の顔をひとりでも多く見る、叶太の日々が始まった。
杯治は、本人も言っていたとおり、学校の行事で来ているため、そもそも旅館の中で自由に動ける時間が少ない。
叶太はひとりで渡瀬を捜しだすつもりで動いていた。

 

しかし、見つからない。
5つある宿泊施設の建物、ほぼすべての従業員の顔を見たはずだが、見覚えのある顔はなかった。

 

かわりに叶太は、ここイルズクで販売している土産物、燻製の魅力に目覚めた。
イルズクで手作りしているものらしい燻製卵やジャーキーの燻製などを、土産物屋のスタッフの顔をチェックするついでに買ってみたのである。
人にあげる前に自分で味見してみようと、夜中に食べてみた。
そして虜になった。

 

人にあげる土産の分と、自分への土産の分を、どっさり買い込んだ。
買い込んでいるところを研修に来ていた新入社員に見られた。
そこで、どれだけ燻製が美味かを、とうとうと語った。本気で、である。


叶太の本気の語りは、新入社員の心を揺り動かした。
試食してみようという気にさせたのである。
そして、やはり新入社員も虜になった。

 

その静かな燻製ブームは、イルズクに泊まっている新入社員研修の参加メンバーのあいだで、じわじわと広がっていった。
燻製がいつか売り切れるのではないか、その危機感が社員たちの購買意欲をさらに加速させた。
今では、土産物の商品補充がなされるのを、研修メンバーが待ち構える事態になった……

 

「何を言ってるんだい、何を。渡瀬はどうしたんだい」

 

叔母が、自分が泊まっている部屋で、叶太が差し入れた燻製を食しながら言った。

 

「いえ、それが……。一向に見つからないもので。あいつ、ここにいますか? 非常勤とかですか? いつもはいない従業員ってことですかね?」
「これ、おいしいね。あたしも買って帰ろう」
「あ、今、売り切れ続出です、どこの棟でも。俺が買ったのをあとで持ってきます」
「そうかい? じゃあお金はそのときにでも……、で、なんだっけ?」
「渡瀬ですよ。あいつはどこにいるんです?」
「答えが知りたいかい?」
「……。いえ、自力で見つけます」
「そうかい」

 

土産物を入れてきた紙袋だけを持って部屋から出ようとした叶太に、叔母が部屋の中から声をかけた。

 

「ヒントじゃないけどね……。あの子とおつきあいしてるっぽい女性がいるよ」
「ここにですか?」
「そうさ。まあ、職場だからイチャイチャはしてないけど、あれはつきあってるね。あたしのカンでは」
「違ってたら相手に失礼この上ない気がするんですけど、大丈夫なんですか、そのカン」
「あたしのカンをなめてもらっちゃ困るね。というか、渡瀬本人に聞いたのさ。あたしのカンが合ってるかどうか」
「本人に」
「そうさ。合ってたよ。つきあってるって言ってたよ、渡瀬本人が」
「その『渡瀬本人』って、叔母さんの頭の中にしかいないとかじゃないですよね?」
「叶太……、あたしだからいいけどね、ほかの叔母にそんなこと言ったらぶち切れられるよ。頭かち割られるよ」
「すみません、言葉が過ぎました」
「『甘木』って子さ。いつも第2棟で働いてる子だよ。話してみたらいい子だったよ、ちょっと変わってるけど。かわいらしいし」
「話したんですか」
「そうだよ。毎年来てるからここの建物のことは何でも知ってるけど、何も知らないふりでトイレの場所を尋ねてみた。親切に教えてくれたよ」
「そら仕事でしょうから……」
「あんたも道がわからないふりで話しかけてみなよ」
「いえ、俺は……」

 

叶太は、もごもごと言い訳をしながら、叔母の部屋を辞した。

道を聞く。
いや、それよりも渡瀬のことを聞いたほうが早い気がする。
それでも何かがおかしい感じはぬぐいきれないが。
甘木、甘木。
渡瀬を捜すはずが、甘木さんを捜さなくてはならない。

 

長い長い、回り道をしている。
それを言うなら、はじめからそうだ。
渡瀬と自分がもっとうまくやれていたら、渡瀬は行方不明にもならず、ここで叶太が渡瀬を探すような事態にはならなかったのかもしれない。

 

それともすべて叔母の妄想なのだろうか。
渡瀬はここにはおらず、甘木と名乗る女性も存在しない、そういう可能性もある。
そのほうが可能性としては高そうだ。
叶太はそう思った。

 

大股に歩き、廊下を進む。
廊下はまっすぐだ。
だが、自分が進んでいるのは曲がった道だ。


横道にそれて、迂回しながら、大きなカーブを描きながら叶太の日々は進む。

 

(おわり 05/30)