スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

芋虫が集まる部屋

「あれ」

 

どこかで見た後ろ姿だった。
宿泊施設「ログキャビン・イルズク」のロビーで、杯治(ハイジ)はそれが誰だったか思い出そうとした。
兄貴に見える。
でも違う。

 

同じ宿泊施設には、杯治の叔母、不破充香(みちか)も宿泊していた。叔母は地域のサークルの慰安旅行で、ここに泊まっているらしい。
その叔母からの情報によると、今、杯治の兄・叶太(かなた)もまた、イルズクに宿泊しているらしい。
新人研修、の付き添いだったか何だったか。


叶太はすでに実家を出てひとりで暮らしていて、杯治とは、ふだんマメに連絡を取り合っているわけではない。そのため、杯治は叶太に関して、大雑把な情報しか知らなかった。

 

みなそれぞれ、違う目的でイルズクを訪れたはずなのに、杯治とその親族がここに集結してしまっていた。
なぜなのかは杯治にはよくわからなかったし、あまり知りたくもなかった。

 

杯治は、高校の合宿でこのイルズクに宿泊していた。入学したばかりの高校である。
授業が始まる前の、「オリエンテーション合宿」らしい。
クラスメートと親睦を深める目的だとか何とか。

 

今の時点で、親睦が深まっている実感を杯治は特に持っていなかったが、とにかくこれからどこかの山に登るらしい。


イルズクは低い山々に囲まれていた。
そこにあるのは「山」というより「丘」と言ったほうがしっくりくるような、なだらかなものばかりだったが、とにかくそこを踏破しなくてはいけないらしい。

 

山を歩く前に集合しなければならなかった。

イルズク正面入り口前のロータリーが集合場所である。
杯治は部屋から出て正面入り口に向かう途中、ロビーでその人物を見かけたのだった。
後ろ姿が兄に似た人物。

 

髪型は、普通。

杯治の思う「普通」が何を指しているのかは杯治本人にも不明だったが、特に言うこともない、長すぎることも短すぎることもない髪型だった。
服装は、ラフ。

カーキ色の上着の下に白いセーター、そして黒いカーゴパンツ。

 

イルズクのスタッフは皆ラフな私服で仕事をしていた。
客室整備などの作業するときには、その上にエプロンをして作業をするようだった。
こぢんまりとした旅館のため、アットホームな雰囲気を感じさせる格好でもしなければいけないのだろうか。
杯治はそんなことを考えた。
後ろ姿が誰かに似ている男は、イルズクのスタッフ(の後ろ姿)に見えた。

 

なぜ見覚えがあるのだろう。
それとも、兄貴がラフな私服を着ている、ということなのだろうか。あれは兄なのか。
杯治がぼんやりとその男の後ろ姿を見つめながらロビーを横切ろうとすると、男が振り返った。
正確には、斜め横を向いた。
誰かと話している。

 

斜めからではあったが、杯治はその人物の顔を見て確信した。

 

知らない人だ。

 

顔に見覚えがない。
そして兄貴よりもイケメンだ。

 

杯治はなぜか「うちの兄貴なんかと間違えてごめんなさい……」と、心の中で謝った。
顔の美醜が基準なのか、身内ではなく他人だからなのか、謝った理由は本人にも判然としない。
謝りながら杯治はロビーを横切って、集合場所に向かったのだった。
そして山を歩いた。

 

その夜、食事と入浴のあいだに、学校側から自由時間が与えられた。
しかし、杯治は自由に動けなかった。
杯治だけではない、杯治と同室の3人も同じ様子だった。
昼間の山歩きが効いていた。
杯治とほかの3人は、部屋のベッドの上に倒れ込んだまま、芋虫のようにうごめいていた。

 

「いでで。中学の部活引退してからまったく運動してなかったっつうのに、いきなりこれはひどくねえか……」
「初日からすでに筋肉痛なんだけど……」
「明日も歩くんだよな……、はあ~」

 

芋虫のような体勢で痛みに耐え、うぞうぞとベッドの上でのたくりながら、ぶつくさと文句を言う。
杯治は、ベッドの上でうねりながら携帯をチェックしていた。
合宿中、写真を撮ることは許されていて、携帯の持ち込みも禁じられてはいない。
その携帯を見ると、叔母からLINEが来ている。

 

「あ~、叔母さんが怒ってる……」
「おばさん? どのおばさんだよ」

 

杯治のひとりごとを、隣のベッドでのたくっていた床沢(ゆかさわ)が聞きとがめた。

 

「うちの叔母。親戚だよ。今、この宿に泊まってるらしくて、『挨拶しに来い』って言ってる」

 

杯治はそう説明した。

 

「へえ~、親戚がここに泊まってるんか。しかしどうなん、挨拶っつっても、部屋を勝手に抜け出していいんかね?」

 

床沢がベッドに寝たまま言葉を発した。

 

「先生に聞いてみようかな。『ダメだ』って言われれば叔母さんも納得してくれるのかもしれないし」

 

杯治もベッドに転がったまま返事をした。

 

「点呼でーす」

 

軽くドアをノックをしたのち、返事も聞かずに数人の教師が部屋に入ってきた。

名前を呼ばれて返事をする、「点呼」という名の謎の儀式が一通り行われた。

 

「全員いますね。食事は7時です。7時には1階のホールに集まるようにね」
「はーい」

 

全員が返事をした。
点呼が終わり、立ち去ろうとする教師の一団に、杯治は寝転がったまま声をかけた。

 

「先生、親戚がここに泊まっていて、『挨拶しに来い』って言ってくるんですけど、部屋を抜け出したらダメですよね?」
「いや、別にいいですよ。7時にホールに来られれば」
「……マジですか」
「マジです。というか、寝転がったまま会話しないように。せめて体を起こしなさい」

 

杯治は携帯で時間を確認した。7時まであと30分ほどしかない。
叔母のLINEは、兄についても触れていた。兄が同じ旅館に泊まっていることを叔母は知っているのである。
30分で、兄の部屋を訪ね、兄を連れて叔母の部屋に挨拶しに行かなくてはならない。
この芋虫のようにしか動けなくなった今の体で。

 

「無理です。先生、禁止してください、部屋から出たらダメだって」
「いや、別にいいですって。挨拶は大事ですよ。時間さえ守ればね。途中まで教師が付き添いますけど、特に禁じはしません」

 

むやみに寛大な教師は、そう言うと、杯治を見つめて待った。
挨拶に向かう杯治を待っている。
ベッドの上でごろ寝したまま困惑する杯治に、教師はさらに言った。

 

「叔母さん、不破さんとおっしゃる方ですよね。事前に学校に連絡をくださったんですよ」

 

叔母は根回しをしていた。
どうやら、本気で、ここで杯治たち兄弟を呼び出したいらしい。

 

なぜ。
挨拶なんて、家に帰ってからでもいいじゃない。

 

杯治はそう思ったあと、叔母が住んでいる場所と、自分たちの家がある場所は、あまり近くないことを思い出した。
ついでに言えば、兄の暮らす場所はどちらからも距離がある上に、兄は家にほとんど寄りつかない。
確かに、今がいい機会ではあるのかもしれなかった。

 

杯治は、大きなため息をついた。
そして、芋虫でいたいと願う体をむち打って、なんとか起き上がろうと無駄な努力をしはじめたのだった。

 

(おわり 03/30)