スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

元の顔に戻れるのか

甘木は目を疑った。
卒業アルバムをもう一度見て、それから目の前にいる渡瀬の顔と見比べた。

 

違う。
顔が違う!

 

ことの起こりは、甘木と渡瀬、ふたりが働く宿泊施設「ログキャビン・イルズク」に、渡瀬の叔母・充香が泊まりに来たことだった。

叔母自身が主宰する「Fake flowers」という地域のサークルの慰安旅行で、イルズクに宿泊しているのである。

 

実家を飛びだした渡瀬が、地元であるこの町に戻り、イルズクで働き始めたのは2年前のことだ。
そして、すぐに叔母に見つかった。
叔母は強運の持ち主で、渡瀬はハズレを引くことにかけては、他の追随を許さぬハズレ運を持ちあわせていた。
つまり、見つかったのは偶然である。

 

しかし叔母は、渡瀬の希望を聞き入れた。

実家に居場所を教えないでくれ、という希望を。
そのかわりに、叔母は、なにかというとイルズクに泊まりに来るようになった。
叔母の目的が何なのかは渡瀬にはよくわからなかったが、とにかく渡瀬の希望は聞いてくれている。
渡瀬は実家に戻る気はなかった。
戻ることは許されないと思っていた。

 

そんな渡瀬の事情とは関係なく、昼ごろ、イルズクでは雷が原因の停電が起きた。

停電とはいっても、非常灯がついていて、廊下も室内も真っ暗ではない。
その中で、渡瀬は上司の加藤とともに、客室を回り、現在の状況を説明して回った。
その中には叔母の泊まる部屋も含まれていた。


叔母は、説明を聞き納得すると、渡瀬を呼び止めた。
そうして、封筒に入った重い何かを渡瀬に手渡して言ったのだった。

 

「テレビ見てるとさ、犯罪を犯した人は、みんな小学校とか中学校の卒業アルバムと文集を勝手にさらされるそうだよ。あんたも気をつけるんだよ。『今、何かやらかすと、これが日本中に報道されまくる』って常日頃から自分に言い聞かせな」

 

封筒の中身は、小学校と中学校の卒業アルバムと文集だった。
ろくに荷物も持たず実家を飛びだした渡瀬は、それらを実家の自室に置きっぱなしにしていた。ホコリをかぶったアルバムと文集を、なぜか叔母は発掘して、宿泊施設に持ちこんでいたらしい。

 

渡瀬に犯罪を犯す気はまったくなかったが、周りから見ると、いつか何かをしでかしそうに見えるということなのだろうか。


しかし、なぜ停電時に渡すのだろう。
そう疑問に思った渡瀬が叔母本人に尋ねると、

 

「おまえの顔を見て『そういえば』って思いだしたんだよ」

 

とのことだった。

いつものごとく、渡瀬には叔母が何を思っているのかよくわからなかった。
わからないまま、渡瀬は重い封筒を受け取った。

 

幸い、数時間で電気は復旧した。
泊り客への説明が終わったため、渡瀬は加藤と別れてスタッフルームに向かっていた。

卒業アルバムと文集の入った封筒を持ち、1階の廊下を歩いていたときだった。

廊下の照明が数秒間消えた。

思わず渡瀬は天井を見上げ、立ち止まった。照明がまた点灯した。

非常用ではない、通常の照明で、廊下がいつもの光に照らされた。

 

停電が終わった。

渡瀬はそう思いながらまた歩き始め、階段を下りた。

1階の廊下で、甘木と出くわした。
出くわしたのが従業員用のトイレの脇だったせいなのか、辺りにほかの人影はない。

 

「あ、莉子ちゃ……じゃなかった、甘木さん、お疲れ様」
「お疲れ様~。やっと停電終わって、エレベータ使えるようになった~」
「ワゴン、戻せたんだ。早いね」
「うん。あれ、何持ってるの?」
「あ、これ……、卒アル」

「誰の」

「俺の。叔母が発掘してきたみたいで」

 

甘木は目をキラキラと輝かせた。

 

「見たい!」

 

そして見た。
停電復旧後の廊下にて、アルバムを見たのだった。

そして気づいた。
渡瀬の顔が、中学時代と違うということに。

 

「なんで? 成長したから?」
「いや、成長してもケツアゴは変わらないと思う」
「ちょっと待って、え? 名前を変えたとか?」
「いや、整形。変えたのは顔のほう」
「……」

 

驚きの表情のまま、甘木は動きを止めた。
しばらくすると、息を吐き出し、脱力した。

 

渡瀬は少しだけ不安になった。
自分にとって顔を変えることなど大したことではないのだが、ほかの人間にとっては違うのだろうか。
顔を変えたことが理由で、今まで上手く行っていた、ふたりの関係が悪くなったりするのだろうか。


いや、まさか。
そんなことで気が変わるなんて、自分たちはそんな薄っぺらい関係ではないはず。

 

渡瀬は、自分を信じることはあまりない、つまり自信があまりない人間であったが、自分が好意を持った人間に対しては、根拠のない信頼をやたら篤く持ってしまう癖があった。
だから今回も、そんなことで嫌われるはずがないという、根拠のない自信があった。
甘木は、そんなに簡単に自分を嫌うような人間ではない、そう信じていたのだ。

 

が、甘木の反応は渡瀬の思いに反して、好意的とは言いがたいものであった。
甘木は眉と眉のあいだにしわを寄せた、しかめっ面で渡瀬の顔を眺め回した。
そして視線をそらせると、ため息をついた。
その動作を何度も繰り返した。

 

何度も繰り返されるうちに、渡瀬は悲しくなってきた。
このままでは泣いてしまうのではないかと思ったので、本人に尋ねてみることにした。

 

「あの……、この顔、気に入らない?」
「え、うん」

 

はっきりと断言され、なんとも言いようがなくなった渡瀬は黙った。
黙った渡瀬に向かって、甘木はゆっくりと説明を始めた。

 

「いやぁ、違くてさ。最初から顔が好きではないなと思ってた。けど、渡瀬が好きだったから、顔は別にいいかって」
「……じゃあ、なんで」

 

顔が好きで付き合っているわけではないのなら、顔を変えていようが何だろうがかまわないはずである。
それなのになぜ、「気にくわない」を絵に描いたような顔に、態度になるのか。
甘木はアルバムを見ながらひときわ大きくため息をついたあと、渡瀬に視線を戻して言った。

 

「こっちのほうが好き」
「え」
「昔の……、元の渡瀬の顔のほうが、私の好み」
「……ケツアゴだけど」
「それの何がいけないの。パーツじゃなくて、全体のバランスが超好きなんだけど、渡瀬の顔」
「そ、それはどうも」
「いや、昔の渡瀬の顔のほうね」
「今は」
「今ぁ? 今ねぇ……。まあ、好みじゃないなって……」
「……この顔、実はお金かかってるんだけど」
「そうかぁ、無駄だったよねぇ……」
「……」

 

甘木の言葉に、渡瀬はうなだれた。


なんという。
何という思いやりのない言葉。
でも嫌われたくない。

 

そもそも当時の知り合いに影響されて整形をしたため、渡瀬は昔の自分の顔が憎いわけではなかった。
憎いわけでもない昔の自分(の顔)を褒めちぎられてよろこべばいいのか、それとも金と手間のかかった今の顔をけなされて怒ればいいのか。
どちらかに感情を振り切ることもできず、渡瀬はぼんやりと床を眺めた。

 

「だからさぁ……」

 

うなだれて床を見つめていると、甘木が続けた。

 

「なんで顔変えちゃったのよって、渡瀬の顔見るたびに思ってしまう」
「……」
「まだわからないけど、これから先もそう思ってしまうのなら私どうしたらいいのか」

 

どうしたらいいのかわからないのは自分のほうだ。
渡瀬は「嫌われるくらいなら、先に嫌ってやろうか」とチラリと考えた。
先に別れを切り出せば、心が引き裂かれるような思いからさっさと離れられる。

 

……ダメだ、言えない。
別れなど切り出せない。
甘木と会わない休日をどう過ごせばいいのかわからない。
それだけではないが、それがすべてを象徴しているかのようだと渡瀬は思った。

 

ずっとうつむいて涙をこらえていたせいで、鼻水が出てきた。
鼻水くらいで甘木が自分を嫌うとも思えなかったが、整形のこともある。
何が甘木に嫌われるのか、もはや渡瀬にはよくわからない、罠だらけの床を歩いている心持ちだった。

 

とにかく鼻をかもう。
かんだらかんだで、鼻をかんだ紙が汚いだの、手が汚いだの言われるのかもしれなかったが、人からどう見えるか以前に、自分の鼻がむずむずして耐えられそうもなかった。
ポケットからティッシュを取り出そうとした瞬間、鼻水が垂れた。

 

(あっ)

 

恥ずかしいような、情けないような、消え入りたい気持ちになった。

 

「ふはっ」

 

笑い声が聞こえた。
鼻水を垂らしたまま見ると、甘木が笑っていた。

 

「ああ、もう、鼻たれてるって……はい、チーン」

 

渡瀬よりも早く、ポケットからティッシュを取りだしていたらしい甘木が、渡瀬の鼻水をぬぐった。
なんだろう。
なんだろうこれは。

 

子供扱いなのか。
怒るべきなのかもしれなかったが、そう考えてみるとずっと子供扱いされてきたような気もする。どこから怒ればいいのかわからない。

 

いや、それはいい。そんなことより甘木の笑顔だった。
莉子ちゃんが笑っている。
ニコニコしている。
かわいい。
いや、そうではない。

 

「莉子ちゃん、機嫌直った?」

 

職場では名字で呼ぶことにしていたことも忘れ、渡瀬は尋ねた。
辺りにだれもいないせいなのか、甘木もそれをとがめなかった。
かわりに、甘木は、器用にも顔を瞬時に真顔に戻して言った。

 

「いや、それとこれとは別」

 

わからない。
甘木の考えていることがよくわからない。

 

渡瀬は、甘木にその後も鼻をティッシュで優しく拭かれながら、よりいっそう困惑を深めたのだった。

 

(おわり 16/30)