スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

ゴミを出さねばならぬ

ゴミを出さねばならぬ。
耳尾(みみお)洋志(ようじ)は決意した。

 
しかし、出勤前にゴミを出そうにも、ゴミ集積所が開いていなかった。
耳尾がゴミを出そうとした朝の6時台、ゴミ集積所には鍵がかけられたままだった。

 

ゴミ集積所は、金網で囲まれた大きな直方体をしていた。

コンクリート製の低い塀を土台として、その上に金網が張り巡らされた、全体的に四角いシルエットの建築物である。そこに波を打ったような金属製の屋根がついている。見ようによっては、鶏小屋のように見えなくもない。
金網が張られた扉には、南京錠がかかっていた。これが集積所の鍵である。

 

南京錠をこじ開ける、もしくは金網に穴を開けるなどすれば出入りできそうではあったが、明らかにゴミ集積所に損害を与えるやり方で出入りして近辺の住人に気づかれないわけがなく、またそれがどういう結果を招くのかわからないため、耳尾は絶対にそんなことをしたくはなかった。

朝6時の時点で、開かずの集積所の中にゴミ袋はなかった。


ゴミ袋を提げたまま寮に戻り、入寮した日に派遣会社から手渡された、ゴミ収集日が書かれたカレンダーを眺めながら、耳尾は思ったものだ。

 

いったいいつ、ゴミを出せばいいのか。

 

その後、一度だけ、耳尾の休日とゴミ収集日が重なったことがある。
その日に、たまりにたまったゴミ袋を持ち、ゴミ集積所で待ってみた。
念のため、朝の5時からである。

 

まだ開いていないゴミ集積所で待つこと2時間あまり、7時を少し回ったころに、ゴミ集積所の鍵を開けに管理者がやってきた。
ゴミ集積所の管理は、地域の自治体が持ち回りのボランティアでやっているものらしく、管理者と言ってしまっていいのかどうかは不明だった。しかし、ほかに呼びようもなく、耳尾は心の中で管理者と呼んでいた。
その管理者当人に聞いてみた。

 

「いつも、何時くらいに開けるんでしょうか?」
「だいたい今くらいの時間です」
「7時過ぎたくらい?」
「そうですよ。遅いですか? でも、早く開けすぎてもカラスが集まってきてしまったり、マナーの悪い人がだらしなくゴミを捨てたりするので、仕方ないんです」
「だ、だらしなく?」

 

自分はだらしないのだろうか。それとも、だらしなくないのだろうか。
どちらかというとだらしない気がするが、何をもってだらしない判定をしているのか。
疑問に思った耳尾は、率直に尋ねた。

 

「だらしないっていうのは、どういうことを言うんでしょうか」
「だらしないは、だらしないですよ。ちゃんと分別してないとか、散らかしてしまったりとか」
「そういう方がいるんですか?」
「ええ、今もいるかどうか知りませんがね」

 

話を聞いていくと、朝6時過ぎくらいにゴミを出しに来る住人が以前おり、その住人のゴミの出し方がひどいと、ご近所で話題になったらしい。
そして、それはどうやら、耳尾の前に工場で働いていた者だったらしい。

 

耳尾が住んでいるのはワンルームのアパート寮だった。
寮は、工場の近辺にある空き部屋を派遣会社が借り、それを派遣社員に提供しているものである。
間取りはさまざま、場所もあちらにぽつり、こちらにぽつり。そういう状態だった。
だが、耳尾が住んでいる寮の近所には、同じ派遣会社の人間はいないようだった。

 

耳尾はバスの運転手に確認した。

バスというのは、バス会社が運行しているものではなく、派遣会社が工場で働く者のために運行している送迎バスである。
いつもゴミのことが頭にあった耳尾は、そのバスを降りる際、運転手に聞いてみたのだった。

 

「いつも俺しか降りてない気がするんですけど、この停留所で乗り降りする人は、ほかにもいますか?」
「いや、いないですよ。ひとりのために停めていますね」

 

思いも掛けず、そのたったひとりになっていた耳尾は、「ああ、そうでしたか、すみません、なんか……」と、耳尾が悪いわけでもないのに謝り、運転手に苦笑いされた。

運転手は何人かいたので、違う顔を見かけるたびに同じ質問をした。
答えはいつも同じである。


耳尾が働く工場には複数の派遣会社が入っている。
ほかの会社の派遣社員の可能性はまだ残っていたが、耳尾はほかの派遣会社のバスを、寮の近辺で見たことがなかった。
この近辺に工場で働く者は耳尾しかいない。
ほかにも可能性はあるのかもしれないが、耳尾はとりあえず大雑把に結論を出した。

 

マナーが悪かった人間は、おそらく今は工場で働いていない。
その可能性が高いというだけで、住む場所を変え、まだ働いている可能性はあったが、耳尾が働く工場における人の流動性の高さを思うと、もうその人間はいないように思うのである。

 

しかし、実際に工場で働いている耳尾にも、そんな人間が今もいるのかいないのか、ハッキリとはわからないのだ。
管理者たちにだって、今もここにいるのかいないのか、わかっていないのではないか。

 

もう今はいない(かもしれない)人間が犯したマナー違反のために、今もゴミ集積所はギリギリにしか開かない。
なんという重い荷を背負わせるのだろう、耳尾の前の住人は。

 

つまり耳尾は、朝7時前後に、ゴミ集積所にゴミを出さねばならないということだ。

耳尾は工場で働いていた。その工場では、日勤と夜勤を交互に繰り返す。
日勤では朝の7時はすでにバスの中、出勤途中である。
夜勤では朝の8時ごろバスから降りる。そのころには、ゴミ収集車はすでに収集を終えている。

 

開く時刻はその集積所によるだろうし、常に開いているゴミ集積所もあるだろうし、ゴミ集積所がなく、ゴミ収集車が家の前まで来る自治体もあろう。だが、耳尾が住む寮の付近では、ゴミ収集車は家の周りには来てくれず、ゴミ集積所しか巡っていなかった。

 

よく考えてみると、ギリギリにしか開かないということは、耳尾の前の住人はゴミを捨てることができなかったはずである。
ほかの集積所に捨てに行けばいい話ではあるが、普通にゴミを捨てることも難しかった不器用な人間に、そんな機転を利かせることができるとは耳尾には思えなかった。


近所の住民によるゴミ・ブロック、「ゴミを捨てられないように、出勤のために家を出る時間が過ぎるまで、集積所を閉めておこう」作戦により、ここに住んでいられなくなったのではないか。
寮を出る羽目に、ひいては工場を辞める羽目に陥ったのではないか。

 

ゴミ集積所の管理者に、直接そんなことを聞くのもためらわれたために耳尾の想像でしかなかったが、上手にゴミを出すことひとつできなかったために仕事と住む場所を失った(かもしれない)想像上の耳尾の前の住人を思い浮かべると、耳尾はひたすら恐怖におののくばかりなのであった。

 

恐怖におののいてばかりもいられない。
生活していれば、ゴミはたまる。
このままでは耳尾の部屋がゴミ集積所になってしまう。
ゴミ収集車の来ない、ゴミを収集するだけの場になってしまう。

 

ゴミを出さねばならない。
ご近所の方々の迷惑にならないような出し方で。

 

また耳尾の休日がゴミ収集日と重なる日がやって来た。
今日しかない。
耳尾は決意した。


休日出勤に出れば少しはお賃金の足しになるが、そんなことをしている場合ではない。
なんやかやあって仕事と住む場所を失うかもしれぬ局面である。
仕事をしている場合ではない。
ゴミを捨てねばならぬのだ。

 

耳尾は鼻息荒くゴミ袋をつかむと、寮を出た。
しばらくは帰れぬ。
部屋を出る前に見たテレビの時間表示では、6時30分を少し回ったところだった。
寮から集積所までは徒歩3分ほどだが、30分から1時間くらいは家に戻れぬ。

それくらいの覚悟をせねばならぬ。

 

耳尾はゴミ袋をいったんドアの外の廊下に置き、ドアの鍵を閉めた。しばらく帰れぬのだから施錠は必須である。

そして鍵をポケットに入れ、ゴミ袋を複数ぶら下げて歩くうちに、ふとした疑問にとらわれた。

 

(ゴミの分別、合ってたか……?)

 

耳尾はこの町においては新参者である。

仕事のためにこの町にやってきた。
この町におけるゴミ分別の基準はゴミ収集カレンダーに書いてあったが、毎回厳しくチェックしていたわけではない。
ときには酔っ払いながらゴミを(ゴミ袋に)捨てたこともあった。

 

心配になった耳尾は、己のゴミをチェックしたくなった。
しかしどこで。
ゴミ収集カレンダーがなければ分別の基準がわからない。

まだゴミの分別を暗記できるほど長く住んではいない。

 

思いついて、ポケットから携帯を取り出し、チェックした。
あった。自治体のホームページに、ゴミの分別についてのページがあった。
そこまでたどり着いたところで、耳尾もゴミ集積所の目の前にたどり着いた。

 

耳尾はゴミ集積所の裏手に回り込んだ。

ゴミ集積所の裏には木が植えられていて、(多少は)目隠しになったのである。

耳尾はゴミ袋を地面に置いた。
目隠しになる木が植わっていると言っても「丸見えではない」という程度である。
手早く済ますに越したことはない。

 

ゴミを捨てに来た住民と鉢合わせてしまえば、不審に思われ、やはり自分も仕事と住む場所を失う羽目に陥るかもしれぬのだ。なんという厳しい自治体であろう。
これまでいくつかの町に住んだことがあった耳尾であったが、ゴミひとつでここまで大きなものを失う町に住んだことはなかった。恐るべし、伊名井市。

 

恐怖に震える手で、自分が封じたゴミ袋を再び開ける。
そもそも耳尾は自炊しないので生ゴミの絶対量は少ない。
その上、部屋に長くためることが多かったため、生ゴミは小分けにして、さらに小さなビニールに入れて封じてある。ゴミ袋を開けたところで、においはほぼない。

 

わからないのは生ゴミ以外である。
ペットボトルの蓋は何ゴミだろうか。
焼き鳥の串は何ゴミだろうか。
SDカードは何ゴミだろうか。
爪切りは何ゴミだろうか。
クリップは何ゴミだろうか。

 

疑問に思ったものを自治体の分別表でチェックし、やはり耳尾の分別は間違っていなかったことを確認した。
ひとつをのぞいて。

USBメモリである。

耳尾はUSBメモリを捨てた記憶がなかった。
そもそも、このUSBメモリを持っていた記憶がなかった。
これは自分の持ち物、いや、自分のゴミではないのではないか。
そんな疑問にとらわれた。

 

どういうことなのか。
誰かが耳尾のゴミ袋に自分のゴミを捨てたのか?
誰が?
いつ?
自慢ではないが耳尾は寮の部屋に誰も呼んだことがなかった。
他人のゴミが混入する隙はなかったはずである。

 

……そんなことを思っていると、ガシャン、という音が聞こえた。

ゴミ集積所の金網でできた扉を開ける音だった。
以前見た管理者とは違う、しかし同じ自治体の人間であろう管理者が、南京錠を片手に持ったまま耳尾のほうを見ていた。
裏手で見えにくいとはいえ、耳尾と管理者のあいだを隔てる物は金網しかない。
耳尾の姿はゴミ集積所の表から確認されてしまった。

 

「お、おはようございます」

 

耳尾はできるだけ不審に見えない笑顔を無理に作り、挨拶した。
だが、管理者は返事をしない。

 

その間にも、集積所の周辺の住民が続々とゴミを出しに来ていた。

ゴミ集積所が開いたと見るや家からゴミ袋を持ち出し、集積所内に運び、そこに置き、立ち去る。素晴らしい瞬発力であった。

挨拶以外の会話はほとんどない。ほぼ無言でゴミ出しは行われていた。


耳尾は居心地が悪くなったが、ゴミは捨てねばならぬ。
その決意をもって、金網を隔てたところにいる管理者に今一度、声を掛けた。

 

「あ、俺も捨てていいですか」
「どうぞ」

 

挨拶を返しもしなかった管理者は、なぜかにやりと笑った。
耳尾が困惑するさまを楽しむかのように。

 

気のせいだ。
耳尾はそう思い直し、ゴミ袋を持って裏手から入口方面に回り込み、ゴミ集積所の中に入った。集積所では入り口付近よりも、奥のほうにゴミ袋が高く積まれていた。そこに持参したゴミ袋を投げ置く。
 

(ここで閉じ込められたら、俺がゴミって事かな?)

 

そんなことを思い、つい笑ってしまっていると、背後から音が聞こえた。

 

ガシャン。

 

金網が閉まる音だった。

耳尾は驚いて振り向いたが、そこには誰もいなかった。

金網でできた扉には、南京錠が再びぶら下がっている。

周囲にいたはずのゴミを出しに来た住人は、いつの間にかいなくなっていた。

 

なんだ?

どういうことだ?

耳尾は混乱し始めた。

 

ガシャン。

 

金網が張られた扉を動かそうと試みるが、動かせない。

鍵がかかっている。

見ればわかることだったが、施錠を確認してから耳尾の疑問は大きくなった。

なぜ。


耳尾の耳に、ゴミ収集車が近づいてくる音が聞こえた。

落ち着け。
耳尾は自分に言い聞かせた。

 

ゴミ収集車が来たところで、耳尾をそのままゴミとして引き取るはずがないことはわかりきっている。
説明すればいい、なぜか閉じ込められたのだと。
そうだ。ゴミ収集車に乗った人に助けてもらえばいい。

 

大丈夫だ。

そうはわかっていても不安はぬぐいきれない。

さきほどの、にやりと笑う管理者の顔が脳裏に浮かぶ。

ポケットに手をやり、寮の鍵とスマホを持っていることを思い出した。

しかし、誰に連絡を取れば助けてもらえるというのだろう。

 

大丈夫だ、きちんと説明すれば大丈夫。

 

耳尾はそう自分に言い聞かせ、金網越しに、ゴミ収集車の助手席のドアが開くのを見守った。

 

(おわり 026/030)