スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

集積所に運ばれるあの子たち

「CBがどこに行くか知ってる?」


頭上からそう声をかけられ、渡利(わたり)日奈(ひな)はマスクをつけた顔を上げた。
渡利と同じく、作業服、そして帽子とマスクを身につけた音之木(おとのぎ)紗絵(さえ)がこちらを見ていた。声の感じはぶっきらぼうだったが、目は特に怒っているふうではなかった。

 

「知らない」


渡利は短く答えた。


仕事中だ。

この工場では、同じ作業をしている者同士が、作業をしながら話をすることはよくある。同じフロアで大きな機械が作動していることもあり、工場の中は常に音で満たされていた。多少おしゃべりしていても、誰かに聞きとがめられることもない。

 

だが、違う作業をしている者とあまり長話はできない。ほかにそういうことをしている者がいないというのは、暗黙の了解でやってはいけないということなのだろう、渡利はそう考えていた。

 

音之木は、立ち去るそぶりを見せながら言った。


「集積所だよ」

 

そしてワゴンを押しながら歩み去った。
音之木は、座って機械部品を組み立てる作業をしている渡利とは違い、工程を終えた製品(CB)を、次の工程の作業机まで運ぶ運搬役をしていた。

渡利のそばに音之木が来たのも、そのためだった。
前の工程を終えたCBを渡利の元へ運び、渡利が作業を終えたCBを次の工程の担当者の元へ運ぶためである。

 

ある程度、工場の規模が大きいこともあるのか、工場内の人間関係に圧力は少ないように渡利は感じていた。出て行く者も多いが入って来る者も多い。ある意味、風通しのいい職場といえばそうだった。
わかりやすい力関係やいじめがあるわけではない。ただ、集団の中で浮いてしまうことを渡利は少々恐れていた。恐れ過ぎて、少し疲れを感じ始めたころでもあった。

 

んふうー……。
渡利はマスクの中でため息をついた。
メガネが曇った。

 

マスクをつけていると、大きく呼吸するだけでメガネが曇る。
常に機械が動いているせいなのか、工場内は冬でも暖かい。それなのにメガネが曇る。

 

渡利はメガネの曇りのせいで前が何も見えなくなっていたが、いちいち拭く気にもなれず、顔を上げたままメガネから曇りが消えるのを待った。
徐々に曇りが消え、視界が開けていく。
音之木がほかの者に話しかけているのが遠くに見えた。

誰に対しても同じように話しかけているんだな、と渡利はなんとなく思った。

自由でいいな、と思ったのである。

 

昼休憩になった。
昼は社員食堂で食べる。工場以外の場所には食べに行かない。
それがここのルールらしかった。

渡利はそのルールに従い、マスクを取り外してポケットにしまい、社員食堂に向かった。食堂の外に設置してあるガラスケースで本日のメニューを確認してから、出入り口付近にある自動販売機で食券を買う。

 

食堂の中は人でごった返していた。
やっと食堂の職員に食券を手渡して希望のカレーを受け取ると、席を探した。


今日は人が多かった。

日によって、どういう理由なのか下っ端オブ下っ端の渡利にはよくわからなかったが、同じ日勤でも昼どきの人数が段違いのときがある。
生産数を増やしたくて増員しているのだろうか……と渡利は想像していたが、想像の域を出ない。なにしろ下っ端オブ下っ端だったから。

 

それでも、ひとりでテーブルに着くことができないというだけで、相席をするなら席はあった。
渡利は、始業から終業まで12時間以上、さらに寮の時間を含めると、寝ている時間以外ほぼ1日中他人と接しなければならない暮らしに疲れ始めていた。


ひとりで食べたい。

心の底からひとりでいたい。

昼食くらいはひとりで取りたい。

相席は、渡利にとっては厳しい現実であった。

 

だが仕方ない。

渡利は早々に踏ん切りをつけると、辺りを見回した。
どこに座ろう。

 

相席の相手は、できれば、他人の顔をしてくれる人がいい。

現在の渡利には、ニコニコ笑いながら社交辞令モリモリの会話をするエネルギーが残っていなかった。なにしろおなかが減っている。

というわけで渡利は、音之木がモリモリと大盛りカレーを食べている席に近付いた。


「ここ、いい? 誰か来る?」

 

音之木は、口いっぱいに頬張ったものをもぐもぐ噛みながら顔を上げた。
リスみたいだな、と思い、渡利の緊張が緩んだ。


「誰も来ないよ、あーあ、せっかくのひとりメシのチャンスが」


口の中の物を飲み込んでから音之木が言った。

 

「私だって嫌だよ。ひとりでご飯食べたいよ。しょうがないでしょ、席がないんだもの」


気付くと、渡利は言い返していた。
音之木はふっと笑った。


「渡利さん変な人だね」
「変じゃないよ」
「変だよ」
「あんまり人混みが好きじゃないんだよ、それだけ。人が嫌いなわけじゃないよ」
「へえ~」

 

適当な相づちを打ちながら音之木はカレーを口に運んだ。

今度はほっぺが膨らまなかった。

 

(会話する気はある、の、かな……?)


渡利はそう判断しながら、自分もいつもより少なくスプーンにカレーを載せた。
ひとりで食べるときと同じ分量を頬張ったら、先ほどの音之木のように口いっぱい頬張る羽目になり、会話ができない。

 

そこまで考えて、放っておいてくれる人がよかったはずなのに、会話することを望んでいる自分に気づいた渡利は、こそばゆくなった。なぜだか恥ずかしいような気持ちになり、今、私は顔が赤くなっているのだろうか、などと考えたりした。

 

音之木は制服の帽子をテーブルの上に載せていた。いつも仕事中は帽子をきっちりかぶり、マスクをビシッと装着している音之木の顔を、初めてきちんと見た気がした。
すでに食事を始めていたが、渡利も思い出して自分の帽子を取り、どこに置くか迷ったあげく、小さくたたんで制服のポケットに入れた。

 

そして、思い出した。そもそも人が多いから相席になったのだった。

早く食べ終えなければ。
渡利は、考えた末に、少しずつ口に運び、しかしながらいつもより早く咀嚼する、という方法を取るに至った。

 

(そうだ)

 

渡利は作業中の音之木の言葉を思い出し、尋ねてみた。

 

「さっきの、何だったの?」
「ん? 何だったって何?」
「『集積所』って」
「ああ。あたしの妄想」
「もう……」


妄想。実際に耳にすると、なんとなく恥ずかしい言葉だ。

そう感じた渡利は、また少し顔を熱くした。頬が赤くなっていないように祈っていると、音之木が言葉を続けた。

 

「あたしはさ、あのフロアのことしか知らないんだよね。運ぶ先のフロアが別になるときは、派遣じゃなくて社員さんが製品を運搬するから」
「あ、そうなんだ」

 

渡利はずっと座り作業しかしていなかったため、自分の作業している場所以外のことをよく知らなかった。だが、渡利よりは工場内の様子をよく知っていそうな音之木にすらよくわからないと言われて、少し意外な気がした。渡利は音之木に対して、工場内を自由に移動できるイメージを持っていた。

 

考えてみたら、音之木も渡利と同じ派遣社員である。同じ制服を着ていたし、名札にも派遣会社の名が書いてある。違う作業をしていても、知っていること、できることはそれほど変わらないはずであった。
そんなことを考えていた渡利のほうを見て、うなずいてから音之木が言う。

 

「うん。だからさ、あのフロアでやってる作業が終わると、別のとこに運ばれていくCBを見てさ、『ああ、どこに運ばれて行っちゃうんだろう、あの子たちは』とか思って」
「『子』って」
「『子』ってね」


自分でもおかしかったのか、音之木は軽く笑った。

 

音之木は渡利よりもひとあし早く食べ始めていたため、食事を終えるのもひとあし早かった。しかし、音之木はそれでも席を立たなかった。もう少しで渡利がカレーを食べ終わりそうだったからだ。
渡利はなんとなく焦りながら、今度は口いっぱいにカレーを頬張った。

 

食堂からは少しずつ人が減っていた。そこまで焦ることもないのかもしれない。
そうは思ってみても、渡利の焦りは消えない。

焦りながらカレーを口に入れ、細かく咀嚼する。

 

渡利がようやく食べ終わったころには、食堂のテーブルには空席が目立ち始めていた。

急ぐこともなかったのかも知れない。だが、食事を終えた渡利は、ひと仕事終えたような、謎の達成感に襲われた。

音之木とともに席を立つ。

 

「『集積所』って言い方、ゴミみたいだね」


食べ終わったあとの食器を、指定された場所に返却しながら渡利は言った。


「あ、ほんとだ。語彙力ゼロだかんね、あたし。ほかに言い方がわからないってだけで、別にCBをゴミ扱いしてるってわけじゃないよ」

 

音之木は、帽子を手に持って軽く振りながら言った。

渡利は、ずり下がったメガネを定位置に直しながら、音之木の言葉にうなずいた。

 

「あ、うん。でも、集積所かあ……。どこかに集まって何かに変身するのかなぁ」
「変身はしないでしょ。なに? 巨大ロボ?」
「うん。したらかっこいいなーと思って」
「確かにかっこいいよね。あたしたちのCBが巨大ロボに! って」

今では、食堂に入ってくる人はほとんどおらず、出てくる人ばかりになっていた。

 

そろそろ昼休みが終わる。

 

渡利は音之木と、工場の作業フロア付近まで一緒に戻った。
そして一緒にだらだらと話しながら、近くにあった洗面所の鏡を見て帽子をかぶった。


「工場の奥深く、『集積所』に製品を運び入れるために午後もやりますか」


音之木は、鏡で自分の姿を確認しながら言った。

音之木がいつもの顔に戻りつつある。
マスクをつけ終えれば、いつもの、仕事中の音之木の顔だ。

自分もマスクをつけながら、渡利はそう思った。

 

ふうっ。

 

気合いとともに息を吐いたら、やはりメガネが曇る。

いつもの通りに曇りが取れるのを待っていると、その隣で音之木が、渡利を見ながら軽やかな笑い声を上げた。

渡利は少し顔を赤らめて、自分も笑った。

 

視界は徐々によくなっていく。

渡利は照明で明るい作業フロアに入る前に、暗い廊下でまたひとつ、呼吸をした。

 

さあ、午後の作業が始まる。

 

(おわり 024/030)

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆

 

↓内容は直接つながっていませんが、食堂で食事しながら、職場ゴシップを消費する人たちの話。

suika-greenred.hatenablog.com

↓こちらも内容はつながっておりませぬ。「CB」という名前を、よく覚えていなかったふたり組の話。

suika-greenred.hatenablog.com