スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

またお越しくださいませ

旅はいつか終わる。
新たな旅に出るという形で。
日常に旅に出る。
つまり、家に帰る。

 

台めのバスの中で、加藤杯治(ハイジ) の隣の座席の床沢(ゆかさわ) 健吾が、うつろな目で前を向いたまま言った。

 

「筋肉痛が直らない……。4泊5日のあいだ、ほぼずっと筋肉痛だった」

 

高校生たちの集団はバスに揺られながら、思い思いの会話を交わしていた。
オリエンテーション合宿と銘打った、クラスメイトとの親睦を目的とした行事の帰途である。
行きのバスは静かだったことを思うと、行事の目的は達成されたといってもいい……のかもしれなかった。

 

「わかる。僕もいまだに筋肉痛だよ」

 

杯治も、座席に座って前を向いたままつぶやくように言う。
隣の席の床沢は、宿泊施設でも杯治と同じ部屋だった。
そこで、ともに芋虫のように自由時間をうねうねゴロゴロして過ごすことにした同士だった。
杯治は途中、何度か兄と会うために芋虫を脱皮せざるを得なかったが、同じ部屋で芋虫になったメンバーを、心の中では同士だと感じていた。

 

できればもうちょっとカッコいい同士のほうがよかった気がするが、こんなものなのだろう。
杯治は、ゆるゆるとため息をつき、目を閉じた。
筋肉痛のせいなのか、やたらと眠い。

 

***

 

台めのバスの中では、前のほうの座席に座ったカメラマン餅居(もちい) 一馬が、女子生徒・佐凪(さなぎ) 花穂に困惑させられていた。

 

「カメラマンさんさぁ」
「餅居です、何度も言ってるけど」
「餅居さんさぁ、つきあってるの?」
「つきあってないから。もう席に戻って」
「えぇ~、つきあってないの~? じゃあなんで洗濯室で音田(おとだ) 先生と一緒にいたの~」

 

バスの一番前の座席は、空席だった。
佐凪は、そこに置かれている荷物などをよけて、バスの進行方向とは逆の方向を向いて座席に膝立ちしていた。
そして真後ろの席の餅居に、座席の上から身を乗り出して繰り返し尋ね、話しかける。

 

「『コンタクトォー!』」
「もう勘弁して……。君、顔色悪いのに元気だね」
「顔色マジでさぁ、凍えて以来、なんか戻らないんだよね。今日寝坊したのは悪かったと思ってる、ごめん。朝ごはんのあと2度寝しちゃって。でさぁ、あれは結局、何だったの? コンタクト、先生のだったんでしょ?」
「ああ、洗濯室に落ちてたコンタクト? そう、宿の人がせっかく拾ってくれて、落とし主を捜そうとしてくれたんだけど。音田先生のコンタクトは使い捨てレンズだったから意味がなかったという」
「『捨ててください……』」
「うん」

 

ウワサに上っている当の教師・音田は、1台めのバスに乗っていた。
このバスに乗っている教師ふたりは、互いに何かを話し合っていて、佐凪たちの会話を聞きとがめはしなかった。

 

「なんでふたりで洗濯室で会ってたの?」
「別に会ってたわけじゃないんだよ、音田先生も洗濯してたってだけ。行きのバスの中で、戻した生徒さんがいたとかで服が汚れたと言っていたよ」
「えぇ~。なにそれ、つまんない。じゃあもうさぁ、これを機につきあっちゃいなよ」
「つきあわないよ……」
「つきあっちゃいなよ、餅居」
「なんで呼び捨てにされてるんだか……。つきあいません」
「えぇ~」

 

***

 

台めのバスの中では、真ん中付近の座席に、女生徒4人がぐったりと座っていた。
4人は、ミカンに思いを残していた。
この合宿でミカンに対する執着が生まれた4人組である。

前の座席で4人組のうちふたりが語り合っていた。

 

「来るとき、道の駅で休憩したよね。帰りも寄るみたいだし、道の駅にミカン売ってないかな」
「売ってたら買う。けど、道の駅で買い物してもいいのかな?」
「さあ」


そのふたりの後ろの座席で、目を閉じ、眠っていたかのように見えた三串(みくし) 香織が唐突につぶやいた。

 

「ミカン」

 

三串の隣に座っていた品子(しなこ) 絵里は、その言葉につられて三串のほうに顔を向けた。
三串は目を閉じている。
品子は、なんと声をかけていいのかわからず、ただ三串の頭をなでた。

 

***

 

台めのバスの中では、一番前の座席で、養護教諭・淵見(ふちみ) 梨穂が、メガネの女生徒・小崎衣緒と言葉を交わしていた。

 

「酔い止め、効いてきた?」
「わからないけど、眠くなってきました」
「そう。眠れるなら眠ってしまったほうがいいかも」
「あの宿の人、何だったんだろう……。イケメンだったけど、怪しかった……。もあい
「モアイ?」
のすんごくしい、ケメンのスタッフ」
「ああ」

 

養護教諭・淵見は、それ以上何も言わなかった。

 

***

 

宿泊施設「ログキャビン・イルズク」のスタッフルームでは、スタッフの加藤渡瀬が、上司・加藤兼人(けんと) に報告をしている。

 

「もうすぐトラーリ株式会社さんがチェックアウトするそうです。俺、ちょっとここ抜けて良いですか?」
「え、今ですか? 第2棟の植矢高校のチェックアウトが済んだので、ルームメイクのヘルプに入ってほしいんですけどね」
「すみません、5分だけ」
「ああ、トラーリ株式会社さんの新入社員……、じゃなかった、上司の方が渡瀬くんのお兄さん、でしたっけ」
「いえ、役職ついてない先輩社員のほうが兄です」
「え、そうだっけ。ややこしいですね」
「すみません」
「いいですよ、5分くらいなら。第2棟は甘木さんがいますからね。彼女ならひとりでルームメイクできるでしょうけど、でもヘルプには行ってください」
「はい。すみません、行ってきます」

 

***

 

ルズク第1棟のロビーでは、新人社員のあいだでいさかいが起きていた。

 

「覚えてるがいい、湾田。われわれを罠にかけたことは忘れない」

 

女性の新人社員・英川夏海が、男性の新人社員・湾田翔介に宣言した。

 

「なんで俺だけなんだよ。塔野だって取井だって俺と同じチームだったのに」
「それはもう、なんというか人徳だな。マイナス人徳。あんたがいなきゃ、必要のないリプを延々して先輩にご迷惑をおかけするという事件は起きなかった」
「いや、あれはもう俺らだって信じ込んでたんだよ。罠ではまったくないって。しつこいなもう」
「私の長所は最後まであきらめないことだ」
「あんたもかよ。俺もだよ」
「もうやめときなって……。研修も終わったし、あとは帰るだけだし。ほら一時休戦。続きはプライベートでやってください」

 

言い合うふたりのあいだに、同じく新人社員の椎原澪が割って入った。
しぶしぶ引き下がった英川に、椎原が付き添う。
英川から解放された湾田は、ロビーの隅でのんびり話をしていた同期の新人社員・塔野雪晴と取井一太郎のあいだに割り込んで言った。

 

「帰ったら寿司だぞ塔野、忘れんな」
「わかってるって……。またモメてたのか?」
「モメてない。一方的にイチャモンつけられただけだ」
「ああ帰りたくない」

 

ラウンジからロビーにつながる入り口で、3人の上司・石尾伝二が、大きな声でつぶやいた。入り口付近にいた湾田と塔野と取井が、振り返る。

 

「どうしたんです、石尾さん」
「いや、どうもしない。帰ったら絶対奥さんに怒られるから、帰るのが憂鬱になってただけ。君たちはいいよな」
「またまた」
「燻製食べたら奥さんのご機嫌直るんじゃないですかね、おいしいから」
「どうだろう、奥さんもここに泊まってるから、同じ土産物買ってたりして」
「あ、そうなんですか」
「そう。だけど、見送りにも来ないよ。奥さんのほうがあと1日長くいるのに。そんなもんだよ。ああ憂鬱」
「まあまあ、石尾さん。新商品が出たらしいですよ、土産物屋に」
「そうなの?」
「はい。この棟だけで売ってるらしいので、それだったら土産かぶりもないんじゃないですかね」
「見に行ってくる」

 

石尾は、部下がフロントでチェックアウトの手続きをするのを横目で見ながら、土産物屋に向かって歩いて行った。

 

***

 

が飾られたイルズク第2棟のロビーで、土産物屋の袋を提げた石尾は、不破充香(みちか) に尋ねた。

ロビーに飾られているのは造花だ。充香が主宰する地域サークル「Fake Flowers」の作品たちだった。

 

「花の展示はいつまでですっけ」

「今月いっぱいは置いてくれるそうですよ。ああ、石尾さん、奥さん……志乃枝さんはさっき散歩に行くって言って出て行ってしまったよ。呼び戻そうかい?」
「いえ、いいんです。会っても怒られるだけだし。土産物も買ったし、帰る前にちゃんと展示を見ておこうと思いまして」

 

石尾は、土産物屋のロゴが入ったビニール袋を軽く持ち上げながらそう言った。
充香はそれを見て、鷹揚にうなずいた。

 

「ああそうかい。それはありがとうございます」
「む……、あれですかね、志乃枝が作った花は。なんだか巨大でハデで、うちの奥さんっぽい」
「あれはあたしですね。志乃枝さんが作ったのは、あの蘭」
「……。また外しました」
「そうかい……。まあ、うちのサークルにいる女性はだいたいハデ好きだから、作るものも似てしまうのもあるのかもしれないね」
「なるほど、華やか好きなサークルなんですね」
「主宰者がハデ好きだからかね」
「なるほど」

 

石尾は、充香の服が発する、謎の光に目を向けないようにしながらうなずいた。
そろそろ戻らないと時間的にまずい。

そう思った石尾は、充香に丁寧に挨拶をして、スパンコールが甚だしく主張する服から逃げるように第2棟を出た。

 

***

 

叶太(かなた) は、フロントで渡瀬を呼び出してもらおうとしていた。

イルズク第2棟のロビーである。
しかし、呼び出せたのは渡瀬ではなく、渡瀬の上司・加藤だった。

 

「えっ、渡瀬はいない……?」
「いえ、いないわけではなく……、お兄さんに会いに行くと言っていました。途中で会いませんでしたか?」
「いえ、あ、もしかして」
「会いました?」
「あれが渡瀬だったのかな、さっき自分の服をやたらチェックしながら歩いてる人がいた」
「な……、何でしょうかそれは。渡瀬……ですかね」
「渡瀬だと思います、また後ろ前に服を着てないかどうか、自分でチェックしてたんだと思います」

 

加藤は、いくら服を見ていたからと言って、最近会ったばかりの弟とすれ違っても気づかない、叶太の度を超したおおらかさに関しては触れなかった。
しかし、微妙な表情にはなった。

が、叫太は加藤のそのような表情には気づかないままに話を続けた。

 

「確か第1棟に向かってました。じゃあ俺は第1棟に戻ってみます。あ、研修中、いろいろとお世話になりました、加藤さん」
「ああ、いえ、とんでもございません」

 

叶太は加藤に会釈をすると第2棟の入り口を出て、第1棟に向かった。
外は晴れていた。
まだ雪は残っているが、日差しが温かい。

 

***

 

太は第2棟と第1棟のあいだの道で、探していた人間をやっと見つけた。
第1棟を出て、こちらに向かって歩いてくる渡瀬に声をかける。

 

「渡瀬」
「あっ……にき」
「やっぱりさっきのはおまえだったのか、渡瀬」
「え、どういう」
「いや何でもない、あー、なんだ、その……」
「兄……じゃなくて加藤さん。今、第1棟に行ったらトラーリ株式会社の方たちが加藤叶太待ちになってましたけど、大丈夫……ですかね」
「え、俺? 俺が待たれてた? あ、やべえ、もたもたしてると帰りの特急の時間に間に合わねえ」
「あ、では、はい」
「そうだな、うん。まあ、そうなんだけど。あ、これ」

 

叶太は、スーツのポケットから名刺ケースを出し、そこから名刺を1枚出すと、渡瀬に差し出した。

 

「俺の名刺。俺の名前も勤務先も、もう知ってるだろうけど」
「あ、はい。どうも」
「じゃあ、今は時間ないし、これで。元気でな」
「あ、はい」

 

叶太は第1棟に向かうべく、歩き出した。
が、途中で思い出したように後ろを振り返り、渡瀬に言った。

 

「いいわけ考えとけよ」

 

受け取ったばかりの名刺に両手を添えて、それをぼんやり見つめていた渡瀬は、その言葉に顔を上げて叶太を見た。
唐突な叶太の言葉に、すぐには言葉が出てこない。
叶太は黙っている渡瀬に向かって、さらに言葉を続けた。

 

「休みくらいあるんだろ、1回飲みに行こう。飲まなくてもいいけど。俺の部屋に来るとかでもいいし」
「あ、はい」
「うん、あとで連絡する、ほんじゃな」
「はい……あの」
「ん?」
「またイルズクにもお越しください、お待ちしておりますので」
「おう」

 

渡瀬は受け取った名刺をどこにしまうか迷ったあと、服のポケットにそうっと入れることにした。


このまま仕事をしていたら絶対にヨレヨレになってしまう。
あとでスタッフルームに戻って、いったん名刺をポケットから避難させなければ。


渡瀬がそんなことを思いながら第2棟の入り口から中に戻ると、ひとりロビーで自分たちの作った花をあちらこちらから眺め回していた叔母・充香に話しかけられた。

 

「おや、さっき叶太がこっちに来て、フロントで何か話したあと急いで出てったけど、会えたのかい? あの子はあんたを探しにここに来たんじゃないのかい?」
「あ、はい。そうです。会えはしました」
「そうかい。何か話せたかい?」
「いえ、まだ何も。兄貴は会社の研修でここに来てますし、帰りの時間があるそうで」
「ああ、まあそうだね。あんただって仕事中だろうし。ゆっくり話せるとこで話したほうがいい」
「はい」
「それで兄弟ゲンカでも何でも好きなようにしたらいい」
「いえ、たぶんケンカはしないですけど」
「なんだい、つまらない兄弟だねえ」
「いえ、あの」

 

またもや叔母に理不尽にケンカを勧められ、渡瀬は戸惑った。
叔母は不敵に笑いながら言う。

 

「あたしたちのサークルの旅行も明日までだ。みんな帰るね。寂しいかい、渡瀬?」
「いえ、寂しくは。あ、いえ、はい、寂しいです」
「どっちなんだい。まあ、あんたにとっちゃ仕事だからね。別れも仕事のうち、かね」
「いえ。あ、はい。でもまたお会いできることを望んではいます。自分としても、仕事としても」
「そうかい」

 

叔母は少し笑うと、ロビーから見える外に視線を移した。

 

「ああ、いい天気だね。春の日差しだ。あたしも帰る前に少し外を散歩しておくかね」
「ええ。ロータリーのそばのツツジが花を咲かせはじめているので、見ていただきたいです。……付き添えないのが残念ですが」
「ああ、いい、いい。仕事に戻りな、渡瀬。あたしはひとりのほうが散歩がはかどる。次に作る花の構想も練りたいからね」
「はい。それでは」

 

渡瀬はその場を辞すと、スタッフルームに戻り、そこに置いていた自分の荷物に名刺を移した。

 

***

 

瀬はスタッフルームを出て、静かな早足で廊下を歩き、階段を上る。

 

「あ、渡瀬。今、1部屋終わったとこ」
「うわ、ごめん、莉子ちゃん……じゃなくて、甘木さん」
「うん。いい。それより早く支度して」
「うん」

 

渡瀬は廊下に置かれたワゴンから、ブラシや洗剤が入ったバケツを取った。
それから、エプロンと手袋とマスクを逆の手に取った。
そしてバケツワゴンに戻した。
急ぎすぎて手に取る順番を間違えた。


些細なミスに慌てる渡瀬を、微笑みたいのをこらえているような表情をした甘木が見守っていた。
渡瀬は、あたふたとエプロンを身につける。

その横から、甘木が言った。

 

「次の休みは会えるのかな~」
「あ、え、や、やすみ?」
「1回キャンセルされた私との約束は守ってもらえるのかな~」

 

渡瀬から目を反らし、そっぽを向きながら軽い調子で甘木が言う。

 

「うん、たぶん大丈夫」
「そう」

 

渡瀬の方を向いて、甘木がにっこりと笑った。
かわいい
いや、そうでなく。

 

プルプルと首を振る謎行動を始めた渡瀬に向かって甘木が尋ねた。

 

「準備できた? じゃあ、次の部屋行きますか。次に来るお客様のために、部屋を準備しましょうか」
「はい」

 

渡瀬はバケツと手袋とマスクを手に取った。

 

またお越しくださいませ。
そう言って別れを告げる。
そして次の客を迎える。
また来る客も、初めての客も。

 

ここへとやって来る旅。
ここから家に帰る旅。
ここからどこかへ向かう旅。
旅の中途で、ひとときの安らぎを提供する。

 

そうして旅立ちを見守った客の気配を部屋から消し去ってから、また次の客を迎える。
次の客の安らぎのために。

 

チェックアウトが済んでいる部屋は、すでに鍵を開けられている。

甘木と渡瀬は、次の部屋のドアに向かった。

 

(おわり 30/30)