スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

ハズレのマドレーヌ

甘木莉子は迷っていた。

 

そもそもの始まりは、去年のバレンタインだった。
バレンタインにチョコをもらってしまったのである。
もらってしまった、と言っても、迷惑だったわけではない。
むしろ、うれしかった。
男性から女性にチョコを贈る、という発想そのものが甘木にとっては好ましかった。

 

くれたのは渡瀬という人物である。
そこから、お付き合いと言えるのかどうかよくわからない行き来が始まり、今に至る。
今年のバレンタインもチョコをもらった。
ホワイトデーに何か返さなくては。

 

そう思っていた甘木は、渡瀬から、とある告白をされた。
愛の告白ではない。不倫でもない。ウィルスも関係ない。
そうではない告白をされてしまい、甘木は衝撃を受けた。

そして根本的な疑問に行き当たり、迷った。

 

今は、告白の内容については語らない。
語るべきは、甘木が行き当たった根本的な疑問である。


「私は、この人のどこを好きなんだろうか?」

 

好きだと思っていた部分は、どこだったのだろうか。
好きなところは、どこにある?

 

甘木は考え込んだあげく、よくわからなくなり、やけくそでお菓子を作りたくなった。
揚げ物をひたすら揚げるのもよかったが、今の甘木はお菓子を山ほど作っては食べたいという欲求に駆られていた。
そして作った。

 

途中でだんだん飽きてきた。
ただ甘い物を作って食べることに飽きたのである。
そこで、お菓子の中にクジを入れた。


甘木が作っていたのは主に焼き菓子だった。
今日の運勢を食用インクのペンで書いて、菓子の中に入れて焼く。
どの結果を引くかは運次第。

 

それはそれで楽しくもあったが、甘木は次なる問題に行き当たった。
ひとりでは食べきれない問題である。
食べることも目的のひとつではあったが、そもそもがやけくそで作っていたものだ。
作る量が多すぎて食べる量が追いつかない。
くわえて、これ以上作ったら材料費で破産する。
スイーツ破産である。

 

さらに言えば、太りはじめていた。
スイーツ増量である。
普通といえば普通だし、そうでもないといえばそうでもない。

 

しかし、このまま体重が増え続ければ、持っている服が入らなくなり、総買い替えが必要になるだろう。
スイーツで増量&破産したのちにファッションでも破産しそうな勢いである。
そう何度も立て続けに破産できるものでもないだろうが、甘木は出費を控える決意をした。

 

ここら辺でやけくそも切り上げねばなるまい。
しかし、答えはまだ出ていない。
まず答えを出さなくては。
自分はどうしたいのか。
考え始めるとまたわからなくなり、甘木はさらにお菓子を作った。
大量のお菓子を目の前に途方にくれた甘木は、作ったお菓子を職場におすそ分けすることにした。

 

悩みの元凶の渡瀬は、同じ職場の人間である。

甘木と同じく、宿泊施設「ログキャビン・イルズク」で働いている。
イルズクには、職場恋愛についての掟は特に存在しなかった。
しかし、職場には、ふたりの関係を特に大っぴらに言ってはいなかった。
最初は特に意味もなく、そして今では、どこが好きなのかもよくわからなくなっている状態で大っぴらにしても、という思いが働き、積極的に隠すようになっていた。

 

甘木は焼き菓子を作り始めてから、プライベートで渡瀬と会うのを避けていた。
だから渡瀬は、甘木が焼き菓子をがむしゃらに焼いては食べる、むやみに甘い日々を送っていたことは知らない(はずだ)。
体からバニラエッセンスとシナモンとキルシュワッサーが混ざったにおいを発しながら甘木は思った。
運を天に任せよう。

 

具体的には、渡瀬がどのマドレーヌ(のクジ)を引くかで、この先の自分の行動を決めようという方針である。
迷うくらいであるから、どういう結果が出てもいいのである。
選択肢の均衡が取れているときにしか迷いは生まれない。
甘木はそう考えた。

 

なぜマドレーヌなのかといえば、最近作ったのがたまたまマドレーヌだったからだ。
甘木はマドレーヌの型を持っていなかった。
代わりに、アルミの型を買ってきて使った。
円形の底に、蛇腹のようなひらひらが横についている、使い捨ての型である。
形だけで言えば、店で売っている弁当に付け合わされているポテトサラダやゴマ和えなどが入っている、小分けカップあるいはフードカップと呼ばれるアレに似ていた。
もしくは、カップケーキのカップ部分である。

 

そのアルミの型が、50枚セットで売られていた。
だから甘木は、何も考えずマドレーヌを50個焼いた。
手袋をした手で、中にクジを入れて。
できたマドレーヌを小さなビニール袋に個別に入れ、密封する。
イルズクの職員は50人以上いたが、甘木が毎日顔を合わせるイルズク第2棟の人間は50人より少ない。
少し多いが、差し入れの数としては妥当なのではなかろうか。甘木はそう考えた。

 

というわけで、甘木はマドレーヌを焼いた翌日の昼、イルズクのスタッフルームで差し入れを声高に宣言した。
一番食べてほしかった渡瀬とはまだ顔を合わせていなかった。それでも、いつかはスタッフルームにやってくるだろう。
渡瀬はいないものの、昼休憩で食事をしていた数人のスタッフたちが甘木の差し入れをよろこんで受け入れてくれた。

 

「クジが入ってるのか」
「フォーチュン・マドレーヌ?」
「はい。あまり小さい紙だと飲み込んでしまうかと思って、けっこう大きい紙が折りたたまれて入ってます。飲みこまないように気をつけてくださいね」
「へえ。何が書かれてるんだろ」
「私の本心が」
「ぶほ」

 

それまで和気藹々としていたスタッフルームの雰囲気が一気に重くなった。
何が書かれているというのか。
バレンタインもすでに終わっていて、特に何のイベントでも行事でもない謎のタイミングで何を伝える気なのか。
そういった戦々恐々とした気持ちに、一同たたき落とされたのである。

 

周囲のそんな思いとは裏腹に、甘木はそわそわしていた。
渡瀬はいつやってくるのだろう。

 

「あ、入ってた」

 

ひとりが、手でマドレーヌを割って中のクジを取り出した。
脂でテカった紙が折りたたまれた状態になっている。

 

(マドレーヌはクジを入れるには向いてなかったかな)

 

甘木が心の中で反省していると、クジの第一発見者が折りたたまれた紙を開き、中に書かれた文章を読み上げた。

 

「いつもお疲れ様です。感謝しております。今日はハッピーな1日」

 

一瞬静まりかえったあと、スタッフルームに「おお~」という謎の歓声が響いた。
クジのメッセージの方向性がつかめたからである。
ほかのスタッフが、マドレーヌを食べながら紙を口の端でキャッチして、取り出す。

 

「どれ、僕のは……。『恋人が迷っています。どうか話を聞いてあげて』? 僕、恋人なんていないけど」
「あはは」
「あたしは……『来年も一緒にいられればいいと思ってたのに』……。『のに』って何」
「ふ、不吉」
「ははは」

 

存在しない恋人が迷っているらしいことがわかったり、誰だかわからない相手と来年一緒にいられないフラグを立てられたりしながら、ランチタイムは過ぎていく。

 

「お疲れ様です」
「お疲れ様です。あ、加藤さん、甘木さんがフォーチュン・マドレーヌ差し入れてくれたんですよ」

 

スタッフルームに入ってきた加藤に誰かが声をかけた。

 

「フォーチュン? 未来のマドレーヌですか?」
「クジが入ってるんですよ」
「どれ……、いただきます、甘木さん」
「あ、はい。どうぞ」

 

加藤はマドレーヌをひとくちかじり、紙を取り出した。もぐもぐと口を動かしながらメッセージを読み上げる。

 

「『いつも働く姿に元気をもらっています。体調に気をつけてすごすといいかも』」

 

加藤は、傾いたような奇妙な笑顔を見せ、残りのマドレーヌを平らげた。
加藤が読み上げたメッセージを聞いていて、甘木はあることに気づいた。

 

そうなのだ。
クジを書いたときは、すでに差し入れをするつもりでいた。

渡瀬が引いても、職場の人間が引いてもいいように書いた。
甘木は自分の運命を試したかっただけで、特に誰かほかの人間を試す意図はなかった。嘘は書いていない。渡瀬を含め読んだ人が、少しだけでも楽しい気持ちになればいいな、と思ってはいた。
何も匂わせてはいないし、本人の意思に関わらず何かが匂ったとしても、正直に話せる範囲のことしか書いていない。

 

しかし、甘木が作ったクジは、どれもひとつの未来しか指し示していなかった。

自分の運命を試すつもりでいたのに、そもそも別れを選ぶ文章を書いていなかった。
クジの文面を読み上げられたことで、ようやく甘木はそのことに自分でも気づいたのだった。

 

「あ、渡瀬くん、お疲れ様です。甘木さんが差し入れしてくれたんですよ」

 

スタッフルームに入ってきた渡瀬に、加藤が声を掛けた。

 

「え、甘木……さんが?」

 

なぜか動揺したかのように、渡瀬が恐る恐る甘木に向かって問いかける。
甘木もまた、なぜか必要以上に堂々と胸を張って答えた。

 

「はい。おひとつどうぞ、渡瀬さん。くじが入ってるので、それは飲みこまないようにしてくださいね」

 

マドレーヌが入った箱を渡瀬の目の前に差し出す。
半分以上がすでになくなっていたが、まだ選ぶ余地はある。
とはいっても、もう甘木は渡瀬がどのマドレーヌを選んでもいいと思っていた。
自分は迷っているつもりで、迷っていなかった。そのことに気づいたからだ。

 

「……」

 

渡瀬がマドレーヌをひとつ選び、手に取った。それをかじる。
もぐもぐと口を動かし、やがて不思議そうな顔になった。
マドレーヌのかじり口を見つめたあと、もうひとくちかじりついた。
そしてやはりもぐもぐと口を動かしながら、不思議そうな顔をする。

 

「……?」

 

どれを選んでもいいとは思っていたが、こうも不思議そうな顔をされる理由がわからなかった。
甘木は少し不安になった。
不安になったので、直接本人に不思議フェイスの理由を聞いてみようとした。

 

「あの、渡瀬さ」
「あ、私のクジ、ふたつクジが入ってますね」

 

甘木の言葉の途中で加藤が言った。

そのままもうひとつのクジの紙を広げ、読み上げる。

 

「『落とし物が見つかるかも。捜してたものは意外と身近にあるのかも』。ほう」
「あ、それでですかね。俺の、クジ入ってないです」
「え」

 

甘木は、渡瀬の言葉に呆然とした。
渡瀬は加藤に向かって言葉を続ける。

 

「いや、クジ飲みこんでしまったのかと思ったんだけど、たぶんこれ、俺のには最初から入ってない感じですね」
「……あ、すみません。私のミスですね」
「え、いや、えっと甘木さんを責めてるわけでは」

 

いいのだが。
もはやどれを選んだところで自分の行動は変わらないであろうことには気づいたから、いいのだが。
しかしそれにしても。
人為的ミスにより、予期せぬ「ハズレ」になったクジをドンピシャで引いていく渡瀬の、ある意味強運ぶりを思い知ることになった甘木だった。

 

チラリと渡瀬が甘木のほうを見た。
甘木はその視線を受け止めた。
たぶん、これだろう。
ハズレのないクジのハズレを発生させているかのような力と。
あとは得体の知れない感情を呼び起こさせる何かと。

 

好きなところはそこなのだろう。
考えてもよくわからない、ということだけしかわからない。

 

甘木は渡瀬に向かって少しだけ微笑むと、視線を外した。
ホワイトデーに何を贈ろうか、考えながら。

 

(おわり 24/30)