スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

あのころの彼らはどこへ

気になる。
塩分が気になる。
あの客たちは、塩分を取り過ぎているのではないか。

 

宿泊施設「ログキャビン・イルズク」の厨房担当・西間紀夫は、燻製工房の入り口で、立ったまま顔をしかめた。
そこには西間ともうひとりの人物がいた。
加藤兼人である。

 

加藤は、イルズクのフロント、コンシェルジュ、備品管理、営業、その他諸々、いくつもの役割をひとりでこなしている。
イルズクは宿泊施設としては規模が小さいため、スタッフひとりが何役かこなすことが多かったが、加藤はその中でもひときわ役割が多かった。

 

「このところ、土産物の燻製が飛ぶように売れています」

 

その加藤が西間に報告する。
西間が、厨房と土産物(食品)の製造を担当しているからである。
加藤はイルズクの建物の中にある、すべての土産物ショップの商品管理をも担っていた。

 

「ああ……、それが問題だな」

 

西間は自分の懸念が当たっていることを予感し、ため息をついた。

 

「これを見てください、西間さん」

 

西間が加藤の差し出す携帯の画面をのぞき込むと、Twitterの画面が表示されていた。

 

「ツイッタってやつか」
「はい。昨日、うちの公式アカウントがした、燻製についてのツイートに彼らがリツイートしていて、そのリツイートに大量のリプライがついています。すべて彼らがつけたものです」
「全部『燻製食った』っつってるな」
「はい。さらに、第1棟の客室担当の千代田さんにも話を聞きました」
「お。千代田さん、なんて?」
「ふだん、お客様のゴミをのぞいたりはしないのに、ゴミがあふれていたので嫌でも目に入ったらしいです。このお客様たちの部屋のゴミ箱に捨てられていた、大量のパッケージが。すべて、うちで販売している燻製のパッケージです」
「もう確実に食ってるじゃねえか……」
「はい」
「塩分取り過ぎじゃねえか」
「おそらく」

 

話題に上っているのは、新人研修で、ここイルズクに宿泊している団体客である。
彼らが泊まり始めてから、イルズクの中にある土産物屋の売り上げが急上昇した。
土産物として売っている、手作りの燻製がやたらと売れ始めたのである。
それだけならよかった。
土産物として買っているのなら、むしろ喜ばしきことだった。

 

しかし、途中でそれは懸念に変わった。

土産物として買っているにしては、売れすぎている。
商品を補充するたびに売れるのである。
持ち帰るために買っているのではなく、その場で食べるために買っているのではないか。
そんな疑念を、西間や加藤が感じるまでに時間はかからなかった。


そして本日、なんとなく感じていた雲行きの怪しさを、加藤はあえて言葉にした。
西間は、腕組みしながら加藤に尋ねた。

 

「しかしだ。俺らが、お客様にそこまでおせっかいしていいのかい? 塩分取り過ぎですよ、なんて」
「ええ。われわれは彼らのお母さんでも主治医でもないので、確かに干渉しすぎな気がします」
「だよな」
「しかし、それとは別に、このイルズクに泊まりに来たお客様がもしかしたら体調を崩されるかもしれない可能性があるということです」
「誰かがここで倒れるかもしれないってことか」
「倒れるかどうかはわかりませんが、その可能性はあります」
「あるよな。高血圧だの何だの、可能性はあるよな。なにしろ急に塩分取り過ぎだし。いくら若いとは言っても。そもそも我々が知らされていないだけで、持病持ってるお客さんがいないとも限らんし」
「はい」
「作ろうと思えば、減塩メニューを作ることはできるよ。塩分を減らした分、ほかの風味で補えばいい。だがそうすると、風味を足すためにほかの食材を使うことになる」
「待ってください、特にリクエストされたわけでもないのに減塩メニューですか」
「だって仕方ないだろう、このままではほぼ確実に誰かが体調を崩す、だけど助言すらもできない、なぜならお母さんみたいだから」
「……」

 

西間は手をひらひらと振った。

 

「その状況で、俺たちにほかにできることがあるかい? 加藤さん」
「トラーリ株式会社の社員さんに、新人さんたちの健康管理に関して、相談してみることにします」

 

加藤はそう言うと、工房の入り口から離れ、イルズクの客室棟に戻って行った。

 

あとにひとり残された西間は、ため息をつくと、工房の中に戻った。
入り口で、マスクと防塵服、そして手袋を再び身につけ、滅菌処理をしてから工房の中の作業台に近づく。
在庫が少なくなりつつあった燻製を作る作業の途中だった。

 

食材に下味をつけてから塩抜きをし、乾燥させてから燻煙し、熟成させる。
それを真空パックにパッケージングして完成である。
できるまでに4日ほどかかる。
今、研修で宿泊している団体客は、今作っている燻製が土産物屋に並ぶころには研修を終え、イルズクを発っているだろう。

 

だから今から作る燻製は、今まで通りでいい。
問題は燻製が品薄になっているあいだに土産物屋に何を並べるかということと、塩分過多になっている研修中の社員たちの食事メニューを、減塩のそれに変えるかどうかということだった。

 

加藤の言うとおり、特にリクエストされたわけでもないのに減塩メニューに変えるのも問題がある。
本人たちが望んでいるわけでもないメニューを、勝手に出してもいいのだろうかという問題だ。


そのほかには、コスト面の問題がある。風味を補うための食材は、塩よりも高価なことが多い。イルズクではそれほど廉価な塩を使っているわけではないが、それでもほかの食材よりは安い。

西間はそんなことを思いながら、下ごしらえ用のソミュール液を作り、サーモンの下ごしらえを済ませた。
つけ込んでいるサーモンに透明な覆いを掛けると、次の下ごしらえにとりかかる。次はニシンである。

 

「トラーリ株式会社の方とお話をしました。少々お母さんチックですが、新人社員の方々に、塩分を控えるよう言ってもらえることになりました」

 

加藤が工房の前で報告した。
塩分過多への懸念を話し合った翌日のことである。

 

「そうか。じゃあ、食事の問題は解決したってことでいいのか」
「いえ、それはまだ。先輩から注意されて、新人さんたちが言うことを聞いて塩分を自ら控えるかどうか、わからないので」
「子供か……」

 

西間は工房の前で、頭を抱えた。

 

「まあまあ。西間さんが責任を感じすぎないようにしてください」

 

加藤は取りなすようにそう言って、立ち去ろうとした。

 

「加藤さん、待った。土産物屋に並べる物なんだが」

 

西間はそう言って加藤を呼び止めると、いったん工房の中に戻り、バットに入った試作品を持って工房の外に戻ってきた。

バットのラップをまくり上げ、加藤に勧めてから言う。

 

「次の燻製ができるまで、土産物屋の棚に空きができてしまうだろ。そこにこの燻製を置いたらどうかね」
「これは……」
「パウンドケーキの燻製。第2棟の甘木さんが昨日、差し入れ持ってきてくれたろ。マドレーヌを。別に対抗するわけじゃないが、俺も焼き菓子を作ってみた。これだったら塩漬けと塩抜きの工程がない分、すぐにできるし」

 

加藤は、バットに添えられていた、小さなトングのようなものを手に取り、パウンドケーキの燻製を一切れつまみ、ひとくち食べた。

 

「……これは……。なるほど。これを置きましょう。すぐに取りかかってください。この試作品、持って行っても?」
「どうぞ」

 

加藤は自分がつまんだ燻製をすべて口に放り込み、バットにラップを再びかけると、それを持ってイルズクの第1棟に向かって戻って行った。

 

数時間後。
加藤は、イルズク第1棟ロビーにある土産物を販売するコーナーに、ワゴンを押して近づいた。
ワゴンには、新商品のパッケージが積まれている。

 

「川越さん、燻製が売れて、空いている棚にこれを置いてください」
「あ、はい。新しい燻製ですか? わぁ、ケーキですか?」
「ええ、パウンドケーキの燻製です。今、塩味の濃い、いつもの燻製も西間さんに作ってもらっているところですが、できるまでのあいだ、甘いものを燻製にするのもよいだろうということで。正式な商品ではないですが、お店に並べる話は通してあります」
「あ、はい。わかりました」

 

第1棟の土産物販売コーナーの担当者・川越は、すでにパッケージに入れられているパウンドケーキの燻製を加藤から受け取ると、棚に並べた。
加藤は、パッケージングされた商品とは別の、簡易包装のパウンドケーキを川越に渡してから言った。

 

「これは、試食用です。あとで食べてみてください」
「はい」

 

本日のトラーリ株式会社は、イルズクにて講習会を1日中おこなうと聞いている。
夜になるまで研修は続く。
社員たちが燻製を買って食べるのは、夜になるだろう。
加藤は、そう考え、土産物売り場をあとにした。

 

***

 

「ひとつも売れていない……ですって……!?」
「はい……。並べ方が悪かったんですかね。もっとたくさんPOPを立ててみましょうか」
「いえ、様子を見ましょう」

 

夜になって、スタッフルームにて顔を合わせた土産物ショップの担当者・川越から、期間限定販売品の売れ行きについて報告を受けたのだった。

 

ひとつも売れていない。
ひとつも。
川越の言葉が、加藤の胸の内でぐるぐると回りながら沈んでいく。

 

どうしたことなのだろう。
甘いせいなのだろうか。
塩けのあるものでないと売れないのだろうか。
トラーリ株式会社の社員たちは、人間以上に塩分を欲する何かを体内に宿しているとでもいうのか。甘みではダメなのか。塩分のみを糧とする生き物が体の中にいるのか。

 

そんなわけはないと思いつつも、加藤は自分の想像にぞくりとする。
今夜は、眠ったら、塩をなめる妖怪の夢を見そうだ、という予感を感じた。

 

翌日も、甘い燻製の売れ行きは芳しくなかった。
甘い燻製だけではない。
第1棟のすべての土産物の売れ行きが落ちていた。

 

第1棟には新人研修のトラーリ株式会社の社員たちしか泊まっていなかった。
その全員が土産物を買うことをやめたのである。

 

(体内の妖怪が塩分を欲するあまりに、宿主の土産物購買欲をコントロールしているのか……)

 

などと思って現実から目をそらそうとした加藤だったが、そうではないことに気づいてはいた。

おそらく、金がつきたのだ。

 

身もフタもない上に客に対して失礼な物言いなので、決して口には出さなかったが、加藤はそう感じていた。
土産物が高いというそれだけの理由なのだろう。
値下げしたところで効果があるとは思えなかった。
研修の残り日数はあと1日だ。
いや、残り日数が何日であろうと、もうすでに土産用の商品は買い終わっていたのかもしれない。

 

いや違う。
そもそも土産物が毎日バカ売れするということ自体が不自然だったのだ。
全国的に人気のある商品ならそういうこともあるのかもしれないが、イルズクの土産物はそこまでの知名度を誇ってはいなかった。
思ったよりもおいしかった、とは思いこそすれ、毎日毎日食べたいかというと、そうでもなかった。
所詮は付け焼き刃の小ブーム。
そういうことなのだろう。

加藤は、胸の内に風が吹き抜けるのを感じながら、諦観の境地に至った。

 

もはやできることもない。
予定通り西間さんには、塩けの多い燻製を作ってもらう。
自分は、ただ仕事をするのみ。

 

そう己に言い聞かせる加藤の脳裏に、猿のような、猿にしては骨ばっていて背が高いような、妖怪としかいえぬ生き物の姿が浮かんだ。
塩分を欲する妖怪である。
また誰かの体内に入り込み、塩を欲する発作を起こしてほしい。
いや、そんなことはするな。

 

いつもの業務をこなすべく移動しながら、加藤は己の空想をもてあそんだ。
いつか名前をつける日が来るのだろうか。
すぐに忘れるのだろうか。

 

存在しない妖怪は、愛嬌のある顔をこちらに向け、とぼけた顔で尻をかいている。

 

(おわり 25/30)