満月
花に囲まれている。
だが、香りはない。
それもそのはず、不破
地域のサークルのメンバーで作った花である。
充香は造花を作る地域サークル「Fake flowers」を主宰していた。
今までに作った分と、この旅行中に作った分の花たちが今、飾りつけられるのを待っている。
泊まっている宿泊施設は、ふだんサークルが使っている地域センターから特急電車で30分ほどの場所にある。
「ちょっとした遠出」という言い方のほうがしっくりくるのかもしれない。
その宿泊施設「ログキャビン・イルズク」の入り口・ロビーに花を飾るのである。
サークルの代表者である充香が、イルズク側と交渉した。
ロビーに花を飾るという点は問題なく決まったが、実際に飾りつけをおこなう時間帯を決めようとすると、交渉は紛糾した。
「できれば、客の出入りが落ち着いている午前中がいい」というイルズク側の要望を、充香は却下した。
夜型の充香は午前中からテキパキ動ける気がしなかったからだ。個人的な理由である。
「それならば、消灯時間後に飾りつけをおこなってほしい」というイルズク側の第2希望を受け入れることにした。
イルズクには消灯時間がある。
23時以降は、正面入り口が施錠され、照明も半分以下に落とされる。
都会でも有名観光地でもないこの土地では、24時間営業ではない宿泊施設は珍しくもなかった。
そういった交渉成立の結果が、今である。
消灯時間を待たねばならない。
充香は作った花に囲まれながら、椅子に座り、目を閉じ、時間が経つのを待っていた。
充香がいるのはイルズクの一室だった。
周りには誰もいない。
飾りつけに、サークルのメンバーは何人参加できるだろうか。
事前に、無理はするなと言ってある。
自分が交渉した結果ではあるが、もう時間も遅い。
自分以外にだれも参加しなくても驚きはしない。
充香はそんなことを思いながら、鼻からゆっくり息を吐きだした。
ほぼすべてのメンバーが中高年のサークルなので、何をおいても健康を優先させたい。
旅行中に、病人や、けが人が出るのは避けたかった。
消灯時間後という話が出た時点で、宿側の人間を手伝いに寄越すように言っておいた。
自分と、あとひとりかふたり手伝いがいれば、早くは終えることはできずとも、今夜中には作業を終えられるだろう。
充香は目を開けた。
カーテンを閉め忘れていた。
充香は、立ち上がり、窓のそばに歩み寄った。
先ほどまで降っていた雪は、やんでいる。
雲は重く低く垂れ込めている。
一時的にやんでいるだけなのかもしれない。
雲間から、満月が見えていた。
ほら、竹取物語だよ。
かぐや姫みたいだね。
ふいに、過去に自分が発した言葉を思い出した。
昔々、充香がまだ小学生だったころだ。
充香には姉がいた。
今もいる。
姉は自転車に乗るのが好きだった。
今も好きなのかどうか、充香は知らない。自転車には乗っていないだろう。
充香はそう思った。
当時小学生だった充香の姉が乗っていた自転車は、白に近い黄、クリーム色に塗られていた。
補助輪つきではなかったが、かといって大人向けの自転車よりは小さな自転車だった。
姉はクリーム色の自転車をいつも乗り回して、颯爽と遊びに、習い事にと通っていた。
その自転車がある日、盗まれた。
姉は親と一緒に、交番に盗難届を出しに行ったようだった。
盗難に充香は関わっていない。
姉は自転車が好きだった。
親がなんと言ったのかは今となっては思い出せない。
新しい自転車を買う約束はしたはずだ。
だが、姉は探した。
クリーム色の自転車を探した。
自転車を探すために歩いて出かけた。
駐輪場の付近で聞き込みをし、クリーム色の自転車がどこかに置き去りにされていないか、探し回った。
しかし、見つからなかった。
姉は小学校のクラスでも、聞いて回ったらしかった。
家には、「これではないか?」という善意から、子供向けの自転車を持ち込んでくる人が来はじめた。「捜している自転車は、これではありませんか?」と。
その中にも、姉のクリーム色の自転車はなかった。
車体がクリーム色ではない自転車も多かったし、クリーム色であっても姉の自転車ではないものも多かった。
「かわりの自転車にいかが?」という持ち込みもあったが、それも姉は丁重に断っていた。
すべての持ち込まれた自転車は、丁重にお礼を言って、持ち帰ってもらったのである。
姉は探し続けた。
歩いて探した。
季節がいくつか通り過ぎた。
そのころには、わが家の前に、自転車が放置されるようになっていた。
家の周りの塀に立てかけるように置かれた1台の自転車が発端だった。
自転車を持ってきたが、我が家が留守にしていたのか何だったのか、経緯はよくわからないが、とにかく1台の自転車が放置されていた。
誰が持ってきたものなのか判明するまでの数日で、もう1台放置された。
最初の自転車を持ち主に持って帰ってもらうまでに、もう1台。
充香は姉に言った。他意はなく。
「お姉ちゃんがずっとお断りしてたからじゃない?」
「ほら、竹取物語だよ」
「みんなが持ってきた自転車をお断りしてたから」
「お姉ちゃん、かぐや姫みたいだね」
充香は、そのころ家にあった絵本で読んだ、かぐや姫を連想したのだった。
絵本に描かれていた、難しいリクエストを求婚者に出し、持ち寄られた品をすべて断るかぐや姫に姉が似ているような気がしたのである。
姉は充香の顔を見て、苛立ったような表情をした。
そのころには、家の前の放置自転車は数台になっていた。
姉は、自転車探しを断念した。
やめたのだ。
あれほどまでにこだわった自転車を、あきらめた。
「みんなに迷惑がかかるから」
姉はそう言った。
迷惑を考えるなら、それまでの自転車探しは何だったのか。
私のせいか。
私が言ったことが気にくわなかったのか。
充香はそんな思いを胸に抱いたが、姉が充香の言葉をどう受け取るかわからず、何も言うことができなかった。
「私が自転車を探すせいで、みんなに迷惑がかかるから」
それは嫌味なのか。
それから姉は、自転車に乗ること自体やめてしまった。
充香は、カーテンを閉めた。
昔のことを思い出していた。
部屋に備え付けられた椅子に座り、花を飾りつける時を待つ。
目を閉じ、渡瀬のことを思う。
家出した姉の息子だ。
姉の息子はほかにもいる。
渡瀬がいなくなったとわかったときに、行方不明届を出していた。
それから6年が経過している。
7年経つと、裁判を経て、失踪が認められれば失踪届が出せる。
死亡者として失踪人を扱うことができる。
いなくなった当初、姉は息子を探し回っていた。
それでも渡瀬は見つからず、そのまま時が過ぎた。
「捜している息子は、これではありませんか?」
と、言う者は、今度はいなかった。
人と物を同じに扱っても仕方がないのはわかっている。
だが。
盗まれた自転車と、いなくなった渡瀬。
「大事なもの」という意味で、姉の中で同じものとして扱われていたら?
まだ時は来ていない。
だが、時が来たら?
姉がみずから大事なものをあきらめてしまったとしたら?
心配しすぎなのかもしれない。
渡瀬の行方不明届を引っ込めさせなければならない。
渡瀬を戸籍から消させたくない。
渡瀬は生きている。
私は見つけたのだ。
渡瀬を見つけたのだ。
昔も今も、大事なものを探しても見つけられない姉に変わって私が。
充香はまぶたを開け、部屋の時計で時刻を確認した。
22時40分。
まだだ。
だがもうすぐだ。
今はただ消灯時間を待つのみ。
旅館が眠るのを待つのみ。
(おわり 09/30)