スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

ジャージーズ、結束の証(ミカン)

はじまりは、夕食に出たミカンだった。

 

植矢高校では、春に1年生たちが「オリエンテーション合宿」なる合宿をする。
今年も宿泊施設「ログキャビン・イルズク」にて、合宿はおこなわれていた。
クラスメートとの親睦が目的なのであろう「オリエンテーション合宿」は、全日程がほぼ山歩きで埋まっていた。

 

中学で運動部に入っていた者でも、部活を引退して受験を乗り越えるまでのあいだ、数か月のあいだ本格的な運動をしていなかった者が多かった。
そこにいきなり長時間の山歩きである。
だいたいの者にとって、オリエンテーション合宿は筋肉痛との戦いとなった。

 

品子(しなこ)恵里(えり)は、学校とは関係なく、趣味でランニングをしていた。
受験だろうが何だろうが、毎日毎日ストレッチと筋力トレーニング、そして走ることを続けていた。
そういったわけで、品子は、比較的平静にこの合宿に取り組んでいた。

 

そこへ、夕食のミカンである。


大食堂には長いテーブルがずらりと並び、そこで高校生たちが食事をとっている。
宿泊施設では、出席番号の順に部屋が割り振られていて、だいたいの部屋が4人部屋だった。
その、品子と同室の人間3人は、筋肉痛にさいなまれ、食欲もそれほど出ず、ミカンの皮を剥くことすらおっくうになっていた。
長いテーブルに向かいあった4人全員が、手つかずのミカンを見ながらぼんやりと箸を口に運んでいたときに、「それ」は起きた。


「それ」すなわち、「気まぐれ」である。

 

品子と同室の3人のうちのひとり、三串(みくし)香織(かおり)が言い放ったのである。

 

「これ、冷凍ミカンにできないかなぁ」

 

三串の正面と、左隣の席についたふたりが、その言葉に同意した。

 

「うん。冷凍ミカンなら食べたい」
「おいしいよね、冷凍ミカン」

 

三串の斜め左前の席に着いていた品子は、ぼんやりその会話を聞いていた。
品子は、特に冷凍ミカンに思い入れがなかった。
むしろ、「体が冷えるだけだから、できれば常温のミカンを食べたい」とすら思っていた。だから品子は、食事をあらかた食べ終えると、さっさとデザートのミカンに手を伸ばそうとした。
そんな品子のほうを向いて、三串が目をキラリと光らせて言うのである。

 

「作れるかもしれない、冷凍ミカンを」

 

運命を告げるかのような厳かな口調だった。
その厳かさをどう受け止めればいいかわからず、ミカンを取ろうとした右手を宙に浮かせたまま、品子は三串の顔を見つめた。

 

「品子ちゃん、雪だよ、雪」
「雪。……で冷やすの?」
「そう。この宿の外に、雪かきした雪を積んだ雪山があったよね? あそこに埋めてみたらできるんじゃない?」

 

「おお~」という歓声が、三串の正面と左隣から静かに沸き起こった。
3人は期待を込めたまなざしで、品子を見つめた。

 

なんだろう。
私も冷凍ミカンを作らなければいけないのだろうか。
おなか壊しそうだから、できれば冷凍じゃないミカンが食べたいんだけど。
品子はそう思ったが、言えなかった。

 

宙に浮かせたままだった右手をやっと動かして、ミカンを手に取った。
同じ部屋で、「ひとりだけやらない」なんて言えない。
あきらめとともに、品子は言った。

 

「お風呂の前に自由時間があったよね。そのときならミカンを雪で冷やせるかな?」

 

そんなやりとりのあと、食事時間が終わった。
4人はミカンをこっそりジャージのポケットに隠し持って、食器を所定の場所に置いてから、部屋に戻った。

 

「点呼があるんだよね、抜け出すならそのあとだね」
「抜け出すの?」
「だよ。先生が許してくれるわけないじゃん、外に出るなんて」
「じゃあ、点呼待ちだね」

 

4人とも今はジャージを着ていた。

この合宿で定められている謎のルールのためである。

合宿の行き帰りは制服とコートを着る。
入浴したあとはパジャマを着る。
制服かパジャマを着ていない時間はジャージで過ごす。
けっこうな時間をジャージで延々過ごす。

中に着ている体操服は、この合宿のあいだだけTシャツ(私服)が許されている。そのTシャツと下着だけは着替えてもよいことになっていた。荷物、もしくは洗濯物を減らすためのルールなのであろう。

そういったわけで、全員ジャージである。

 

品子はジャージのズボンのポケットからミカンを取り出した。
今これを食べてしまえば。
予定通り入浴して、あとは眠るだけになる。
ほどよくぬくもったミカンを食べることもできる。

 

品子は頭を振った。
「みんなで部屋を抜けだそう作戦」の途中である。
その途中で、ひとりだけ「ミカンを食べてしまったので私は部屋を抜け出しません」と言うことが許されるのだろうか。
品子はミカンを見つめた。

 

一般的には許されるだろう。
しかし、この小さな4人の社会の中でそれを言うのは、裏切り以外の何物でもない気がした。

 

ノックの音がする。
点呼を取りにきた教師が、部屋を訪れたのだ。
ふたり1組で部屋を訪れているようだ。
そこで、入浴の時間を念押しされてから、ひとりひとりの名を呼ばれ、返事をし、点呼は終わった。

 

4人は、ジャージの上にコートを着た。
ジャージを着ているときにコートを着ることはなぜか校則で禁じられていたが、そもそも抜け出すこと自体がルール違反だろうと判断しての、「毒を食らわば皿まで」精神でのコート着用だった。

 

ドアをうっすらと開け、廊下をうかがう。
教師が次の部屋に入ったことを確認すると、4人は黙って部屋を抜け出した。
筋肉痛が嘘のようななめらかな動きで、音も立てずに廊下を風のように走り抜ける。

 

イルズクは5つの建物から構成される宿泊施設だった。
5つの建物は、すべて2階建てである。
4人が泊まっている部屋も2階にある。
部屋を抜け出した4人は、階段を1階分降りると、非常口から外に抜け出した。

 

外では、雪がちらほらと降っていた。
雪に音が吸い込まれているかのような静けさだった。
そして寒い。
ジャージの上にコートを着ているものの、空気が冷たく、顔が痛い。
まだ体に残っている暖かい部屋の名残を、外気に奪われる前に戻らなくてはならない。
4人は暗黙のうちにそれを理解した。

 

「さむ」
「意外と簡単に抜け出せるね」
「戻るときに見つかるかもしれないよ、ふう、こわぁ」
「じゃあ、みんな。ミカン持ってきたよね?」

 

三串の問いかけに、品子を含む3人は、イルズクの庭に設置された屋外灯の光の届かぬ闇の中で、自分のミカンを見せ合いながら、こくりとうなずいた。

4人が泊まっているイルズク第3棟の非常口のそばには、テニスコートがあった。
闇の中、テニスコートの中央を区切るネットには雪が積もっていて、白くぼんやりと浮かび上がって見えた。

 

テニスコートの隅に、除けられた雪が山となって積み上がっている。
いくつかある雪山のうち、テニスコートのフェンスから一番近い、一番小さな雪山に近づく。
雪山にも、4人の上にも、今も雪が少しずつ天から降り注いでいる。

 

その雪山に各自穴を開け、4人はミカンを差し入れた。
ズボリ、と音を立てて手だけを引き抜く。
手を引き抜いたあとの穴に、ほかの雪山から取った雪を詰めて、固める。
4人は顔を見合わせ、もう1度うなずいた。
冷凍ミカン作戦の第1段階が完了したのだ。

 

4人は、来たときよりも辺りに注意を払い、静かに、かつ慎重に非常口のドアを抜け、階段を走り抜け、部屋に戻った。
部屋に戻ると、一気に力が抜けた。
全員がコートを着たまま脱力して座り込む。
やり遂げた、そんな空気が部屋の中に満ちていた。
しかし、作戦はまだ途上である。
そのことも、4人はわかっていた。

 

その後、入浴時間になった。
大浴場で4人は冷凍ミカンの第2段階の相談をした。

 

問題は、いつ取り出すか、である。
いつミカンは凍るのか。

 

温かい湯につかり、そう言われれば冷凍ミカンが恋しいような、せっかく暖まったのにこれからもう一度、外にミカンを取りに戻るのがバカらしいような、品子はどちらとも言えない気分になった。


時間の限られた忙しい入浴の最中に4人で相談した結果、「ミカンが凍るとしたら夜のあいだだろうから、取り出すのは明日の朝でいいだろう」という結論になった。
「眠る前に、寒いところにまた行かなければならないのか」と憂鬱になっていた品子にとっては、ある意味よい結論だった。

 

翌朝。
朝食後は、山歩きのための身支度をして、イルズクの正面入り口横の広場(というかロータリー)で集合することになっていた。
この合宿のあいだは、ずっと同じ場所に集合することになるのだろう。
そこからバスで移動し、耳木兎(ミミズク)山を踏破すべく、日によって違うコースを延々と歩く。
それがこの合宿のすべてだった。

 

朝食から、集合までに少し間がある。
「その間にミカンを回収しよう」作戦である。
そして、バスの中で冷凍ミカンを食べて証拠隠滅を図る。


「そのタイミングで冷たいものを食べると、山を歩いているときにおなかが痛くなりそうだ」と、品子は自分の未来を危ぶんだが、特に口出しはしなかった。
「おなかいっぱいだから」など、適当な口実を作って今は食べることを避け、帰りの、山から宿に戻るバスの中で常温に戻ったミカンを食べればいい、そうも思っていたからだった。

 

そんなわけで、4人は、今度は明るい中、非常口から外に出た。
周囲が白く、まぶしい。
今では雪は、やんでいた。

 

「テニスコートのフェンスのそばだったよね」

 

三串がそう言いながら、昨夜、ミカンを埋めた雪山を探す。

 

「あれ?」
「雪山が」
「ない……?」

 

正確には、雪山は、なくなってはいない。
しかし、移動していた。

 

「なんで? 山が動いた?」
「朝、宿の人が雪かきしたのかな。それで、隣り合った雪山と合併させたとか」

 

品子は自分の想像を話した。
一同のあいだに納得の空気が流れた。
三串が、うなずきながら言った。

 

「そうかも。え、じゃ、昨日のミカン隠した雪山はどれ?」
「どれだろ……場所が一番近いのはこれだけど」

 

品子は、フェンスに一番近いところにある雪山を指したが、確証があるわけではない。
なにしろ位置が違う。
大きさも、今日のほうが大きい。

 

「ミカン、ミカン、どこ行った」

 

三串がそう唱えながら、品子が指し示した雪山に近づき、いきなり雪山に腕を突っ込む。
しばらくその姿勢のまま、浮かない表情をしていたかと思うと、ズボリ、と腕を引き抜いて言った。

 

「ダメだ、ない」
「この雪山じゃないのかなあ、昨日ミカン隠した山」
「ミカン山どこだ、ミカンミカン」

 

三串は、引き続きミカンの名を唱えながら、テニスコートに積まれた雪に、次々に腕を突っ込み始めた。
多少時間に余裕があるとは言え、集合時間が迫っている。
ゆっくり探してもいられない。

雪山に腕を突っ込み、中を大雑把に探り、雑に腕を引き抜くことを急いで続けていたら、雪山は破壊され、三串は全身雪まみれになってしまった。

 

「カオちゃん、これから山歩くのに大丈夫?」

 

品子はさすがに心配になって、三串に向かって声をかけた。
三串は、その言葉にふにゃり、と表情を崩した。

 

「品子ちゃぁん、ないよ、ミカン。どこ行ったの」
「うん。あの、とりあえず、集合しよう」

 

品子は三串の頭から雪を軽くはたき落としながら言った。
このままここで雪山を破壊しているところを、教師や、ほかの生徒に見つかったら、どう言い訳していいのかわからない。
比較的筋肉痛が少なく、本日も朝からキビキビ体を動かせる品子が主体となって、散らかった雪を、できるだけ元に戻すよう努力した。
それから集合場所に急いだ。

 

「うう、ミカン」

 

バスに乗って移動してる最中も、三串は、品子の隣の席でうめいていた。

品子は、バスに揺られながら、「(壊したあげく、完全にはきれいにできなかった)あの雪山が誰かの目に留まってしまったら、自分たちの犯行がばれてしまうのだろうか」と考えていた。
そんな品子の心中を知ってか知らずか、隣の席で三串が上げるうめき声が、品子の耳に届いた。

 

「戻ったら……、山から戻ってきたら、ミカンも戻ってるかも」

 

まだ冷凍ミカンをあきらめていないらしい。
消えたミカンを探す仕事が、山歩きのあとに残っている。
合宿は、明々後日までだ。
明々後日までにミカンが見つかるのか、それとも見つからぬまま、ここをあとにするのか。

 

ミカンはどこへ。

冷凍ミカンに特に興味がなかった品子だったが、三串のミカンへの執着に感化されたのか、ミカンの行方は気になった。

 

ミカンはどこへ行ったというのだ?

 

(おわり 08/30)