スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

イルズクの洗濯室でコンタクトと叫ぶ

「あなたの叫び声を聞いた人がいるのです」
「どこで! どこで聞いたって言うんです、その人は。ここには誰もいませんでしたよ」
「それは……」

 

渡瀬は、そこで窓の外を指さした。

 

「外です!!」
「そ、そんな……!」

 

餅居(もちい)一馬は、ヒザから崩れ落ちた。

 

洗濯室である。
昨日ここで、ふとしたことから持ち主不明のコンタクトレンズを見つけてしまった渡瀬は、「ヒマな時間に持ち主を探してみよう」キャンペーンを個人的に実施していた。
上司にコンタクトレンズの落とし物のことを報告したとき、やんわりと、落とし主を探すよう指示されたからだった。

 

渡瀬はここ、宿泊施設「ログキャビン・イルズク」のスタッフとして働いていた。
客室以外の設備の整備や管理を担当していて、忙しいときには、ほかの場所にもヘルプに入る。


今は夕食と、その片付けのヘルプも終わり、残る渡瀬の仕事は大浴場の清掃だけだったが、大浴場の利用時間が終了する23時までは少し間があった。
そんなわけで渡瀬は、昨夜見つけたコンタクトレンズの持ち主捜しをしていたのである。

 

「そんな……。外にまで聞こえる大声で叫んでいたなんて……。われを失いすぎました。お恥ずかしい」

 

先ほどヒザから崩れ、今は床にしゃがみこんでいる餅居が、眉をハの字にした表情でつぶやいた。
うつむいているため、メガネに隠れて眉毛より下の表情はよく見えない。

 

餅居は、ここイルズクに客として宿泊している。
植矢高校の「オリエンテーション合宿」という行事に、カメラマンとして同行しているのだった。

 

渡瀬の上司が、コンタクトの落とし主を捜すよう渡瀬にやんわりと指示したのは、学校の合宿で宿泊している団体客のためでもあった。
学生が落とした場合、おそらくフロントに問い合わせる前に教師にコンタクトを落としたことを申し出ねばならず、言い出しにくい雰囲気があったりはしないのだろうか、という想像を上司がしてしまったためである。
実際に、植矢高校の校風が、そこまでかたくななものなのかどうなのか渡瀬にはわからなかったが、上司の指示に逆らう理由はなかった。

 

渡瀬がなぜ餅居にたどり着いたかと言えば、証言を得たからである。
先ほど、「外で、カメラマン餅居の叫び声を聞いた」という証言を。

 

「あれは餅居さん、合宿についてきてるカメラマンの人だと思います」

 

その証言の主はそう言っていた。
窓の外から、叫び声の主を見ていたのである。
証言の主がそんな時間に外で何をしていたのかは、すでに判明していた。
証言をした生徒は、さきほど、だいぶ教師に絞られていた。片はついている。

 

「餅居さん、あなたはこう叫んでいたそうですね……、『コンタクトォー!』と」
「はい……。うかつに叫ぶものじゃないですね……。どこで誰に聞かれているやら、わからない」
「餅居さん、あなたは、ここでコンタクトをなくされたのではありませんか?」
「その通りです……。もう勘弁して下さい」
「そのコンタクトは、これではありませんか?」

 

渡瀬は、しゃがみこみ、餅居と視線の高さを合わせると、先ほどから手に持っていた小さなビニール袋を餅居の目の前に差し出した。
中には、昨日拾ったコンタクトが入っている。
だが、餅居はあっさりと否認した。

 

「いえ、違います」
「えっ」

 

渡瀬は、ビニール袋を持ち上げたその姿勢のまま硬直した。

 

「ち、違うんですか?」
「違います。私のコンタクトはもう見つかっています」
「しかし、えっ、すみません、どういうことでしょうか」
「叫び声を上げてしまったのは、コンタクトを見つけたからなんです」

 

渡瀬は、ようやく手を下ろすと、しゃがんだまま考え込んだ。
考え込んでもわからない。

 

「あの……、何があったんでしょうか」
「はあ、まあ、要するに、コンタクトは洗濯物に紛れていたんです。……ということに、洗濯が終わってから気づきまして。今日の昼間、山で転んで、服が泥まみれになってしまったので、夜になって洗濯していたわけです。ここの洗濯室はみんな乾燥機能がついてるんですよね」
「はい。あ」
「そう、乾燥が終わった服を取り出してみたら、干からびたコンタクトが床にポロリと落ちまして。ああ、やっちまったと……それで叫んでしまったんです」
「ああ……」
「はい。だから、もうレンズは見つかっているんです」
「そうでしたか……」
「そうなんです。レンズを買った店によると、まだ保証期間中だから、干からびたレンズを持って行けば交換はしてもらえるみたいなんですけど。でも、そんなこと関係なく、叫び声がつい口からほとばしってしまいました。お騒がせしました」
「いえ、あの。すみません、なんだか失礼な感じになってしまって、俺」
「いや、いいんです。『コンタクトォー!』なんて叫び声上げてる時点で、人から何か言われるに決まってるのに、つい叫んでしまった私もアレなので」
「いや、そんな」

 

しゃがんだまま、お互いに頭を下げ合った。
そののち、ゆるゆると立ち上がった渡瀬が「ではこのコンタクトは誰のものなのだろう」という、元の疑問に戻ってコンタクトの入った袋を見つめていると、やはりのろのろと立ち上がった餅居がさらに言った。

 

「そのコンタクトはソフトですよね。私がなくしたのはハードレンズですから、何にしても違いますね」
「はい。すみません」
「いえ、かまいません」

 

確かにおかしい気はしていた。

渡瀬がレンズを拾ったのは昨日だというのに、今日になって叫んでいるのはおかしい。おかしいといえば、「コンタクトぉー!」と叫ぶこと自体がおかしいのだが、それを言いだすとキリがない。

 

証言した女生徒は、

 

「昨日、カメラマンの人と一緒にいたときに、先生がコンタクトをなくしたんだよ、きっと。そのあと先生メガネかけてたし。でも今日はメガネかけてなかったんだよね……。がんばって裸眼で見てたのかも。だから、カメラマンの人は今日も先生のレンズを捜してたんじゃないかな。で、見つからなくて、涙とともに『コンタクトぉー!』って叫んだんだよ、きっと」

 

という推理を披露していたが、今となっては珍推理以外の何物でもない。

渡瀬はため息をついた。

聞いたときは、すごく説得力があるような気がしてしまった。

ため息をついた渡瀬に、餅居は気遣うように言った。

 

「たぶんソフトレンズの人ですよね、落とし主は」
「そうですね……。あの、俺はコンタクトしないのでわからないんですが、ソフトレンズ……を、落としますかね」
「私もソフトレンズは使いませんが、どうなんでしょう、ハードよりは落としにくいとは聞きます」
「ですよね」

 

とはいっても、実際にソフトレンズが落ちていたのである。
一般的な落としやすさ指数は関係ないのかもしれない。

 

「洗濯室ですよね、ここ」

 

餅居が、周囲を見渡しながら言う。

 

「ええ」
「洗濯しに来た人が落としたんですかね。というと、学校関係者だと先生のうちの誰かでしょうね。生徒はここ使わないですよね、そのためにいつもジャージ着用を義務づけられてるみたいだし。先生でなければほかのお客さん、ですかね」
「ああ、そう言われればそうですね……。どなただとしても、落とした人がフロントに問い合わせてくれるといいんですが」
「まさか、コンタクトが遺失物として届けられてるとも思わないかもしれませんね」
「それはありそうですね……」

 

確かにフロントに「コンタクトを落としました」とは言い出しにくいかもしれない。
なぜ自分はコンタクトを見つけてしまったのだろうか。
しかし、見つけてしまったからには遺失物として扱わなければならない。
今いる客が帰ったら、ほぼ確実に落とし主は見つからないだろう。
……なぜ自分はコンタクトを見つけてしまったのだろうか。

 

渡瀬が、考えても仕方のないことをぐるぐる考えていると、床に光るものが見えた。
それ自体が発する光ではなく、洗濯室の照明を反射している光に見える。

 

何だろう。


渡瀬はその、光る小さな何かに近づいた。
しゃがんで、よく見てみる。

 

「……」

 

コンタクトだった。

またしてもコンタクトを見つけてしまった。
なぜ。
なぜ自分は、見つけても厄介なだけのコンタクトレンズを見つけてしまうのか。

 

「どうしました」

 

渡瀬が床の上のレンズを見なかったことにしようかどうしようか迷っていると、背後から餅居の声が聞こえた。

 

「いえ、あの、何でもないです」
「何か落ちてますね」
「はい、あの、えっと」

 

餅居は渡瀬の横に並ぶと、ヒザに両手を当てながら上体をかがませ、床を見た。
その姿勢で、渡瀬の視線を追って、床を見る。

 

「あ、コンタクト」

 

見つかった。
もはや、見なかったことにはできない。

 

「はい……。2枚目、ですね」
「増えましたね……」

 

渡瀬は、床に向かって、人差し指を伸ばした。
床に落ちたコンタクトを指に載せると、ため息をついた。


1枚でも落とし主が見つからないというのに、2枚。
いや、枚数が多いほど落とし主が見つかりやすくなるのだろうか。


どうなのだろう。
よくわからないが、放っておく訳にもいかない。

 

渡瀬はコンタクトを前に、もう一度ため息をついたのだった。

 

(おわり 18/30)