スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

そんなことより面白い話をしろよ

左々倉(ささくら)(えい)は寝返りを打とうとして、打てずにうめいた。


腰が痛い。


今日は起きたときから腰が痛かったため、仕事を休んでしまった。
職場に欠勤の連絡を入れたあと、寮の1室で、腰をかばうような体勢をキープしたままウトウトしていた。
なんとなく寝返りを打とうとして、痛みで目が覚めた。

 

病院に行ったほうがいい。
しかし、この辺りの病院のことはよくわからない。
後で調べよう……。
そんなことを思いながら、また眠りに落ちた。

 

左々倉は工場に勤めていた。
だが、腰痛の原因は仕事ではない、と(本人は)考えていた。

工場とひとくちに言っても、作っている物も工場内の雰囲気もさまざまある。
左々倉が勤務するタッドリッケ・伊名井工場は、おそらく複雑な電気機械の部品を作っている。左々倉はそうアタリをつけていたが、実際にどうなのかは下っ端の左々倉にはよくわからなかった。


仕事に入る前に説明を受けたはずだったが、左々倉はその説明を覚えていなかったのである。

誰にでもできる仕事にするため、作業は恐ろしく細分化されていて、全体像がよくわからない。それでも仕事はできるので、左々倉は特に気にしていなかった。

精密作業が多いタッドリッケ・伊名井工場では、だいたいの作業が座り作業で行われている。だが、左々倉が受け持つ作業は座っているだけでなく、立つことも歩くことも多い。


立っていようが座っていようが腰痛は起こるときには起こる。


それが今日、左々倉が己の体から得た教訓であった。他人にも応用できる教訓なのかどうかは謎である。

 

「左々倉さーん、大丈夫っすかあ」

 

部屋の前で呼びかける声がした。ウトウトしていた左々倉はハッと目を覚ました。

ここは寮の1室である。工場に入っている派遣会社の寮だった。
アパートの1室を派遣会社が寮として借り、派遣社員に提供しているのである。1室とは言っても間取りが2DKで部屋がふたつあるため、同居人がいる。

 

「お見舞いっす」

 

左々倉の返事を待たず、同室の津井(つい)修悟(しゅうご)が、勝手に左々倉の部屋の扉を開けて中に入ってきた。コンビニのビニール袋をガサガサと言わせている。


津井は仕事から寮に帰ってきたところのようだった。勤務終わりの時間まで眠ってしまった。
ふだん、津井と同じシフトで働いている左々倉は、仏頂面になった。

津井はビニール袋の中の物を、左々倉に見えるように示している。パンや飲み物の差し入れらしい。左々倉はそれを見ながら仏頂面のまま言った。

 

「頼んでない」
「同居人が孤独死すると困るの俺なんで。お見舞いは強制っす。今ネットとかで話題になってるっすからね、孤独死」

 

津井は、左々倉の仏頂面の返事を涼しい顔で受け流して言った。
左々倉は引き続き仏頂面で津井にこぼした。

 

「孤独だけどまだ死なん。見舞われることを強制されるほうの身にもなれ」
「それを言うなら、孤独に痛みに耐えられてしまう同居人の身にもなれ、っす」
「腰が痛いんだ、ほっといてくれ」
「病院行きました?」
「まだだ」

 

左々倉は派遣会社に登録して、前の職場がある土地からここ伊名井市に派遣された。
町の中のどこに何があるのか、何かが起こったときにどこに行けばいいのか、そういったことは徐々にわかってきつつはあったが、腰痛のときにどこに行けばいいのかは知らなかった。知らないと言うことに、左々倉は今回初めて気づいた。

 

「接骨院ですかね。整形外科かな」


津井は携帯を片手に調べ始めた。


「どっちでもいい」
「じゃあまず整形外科を探すっす。って超多いっすよ。どこを選ぶべきなんすかこれ」

 

津井もまた左々倉と同じ時期にこの土地にやってきた新参者である。どこに行けばいいのかわからないのは、左々倉と同様のようだった。

 

「調べなくていい。自分でやる」
「寝ててくださいよ。どの整形外科がお好みっすか」
「整形外科に好みもなにもねえ! あたた。でかい声出すと腰痛い」
「だから寝ててくれっす。病院行くなら動かなきゃいけないんっすから。体力温存っす。あ、俺の車で送りましょうか。それとも救急車っすかね。そのほうが病院選びしなくて済むっすね」
「やめてくれ……。救急車は腰痛いときに乗るもんじゃない、そんな気がする。振動が腰に直に来そうな気がする。動けるよ、寝たらちょっとよくなった。自力で行ける」
「自力って……、ダッシュで病院に行くつもりっすか。左々倉さん、自分の車、運転できるっすか?」
「う」

 

それは無理かもしれない。
できそうな気もしたが、いつまた痛みがぶり返すかわからない状態で運転する度胸はなかった。

 

「俺が送って行くっす。で、どこに送ればいいっすか」

 

左々倉は諦め、おとなしく津井の世話になることにした。
津井が差し出す携帯を布団の中から力なく見上げ、好みの病院、具体的には初診の予約が不要な病院を選ぶ。
これ以上、強制親切にあらがうほどの体力が残っていなかった。

結局、ふたりは津井の車で病院に行き、やはり津井の車で寮に帰って来た。

 

「日光がまぶしかったっす」
「ああ。外は真っ昼間だな」

 

そんなことを口々に言いあいながら、左々倉と津井は寮に戻ってきた。
吸血鬼のような会話をしていた理由は、本来なら今は寝ている時間だったからである。

 

津井と左々倉は同じシフトで働いていた。
タッドリッケ・伊名井工場では日勤と夜勤を交互に繰り返す2交替制を取っていた。
津井と左々倉は、本来は今日で夜勤2日目である。津井が夜勤を終え寮に帰ってきた時間が午前中で、今は昼になろうとしている時間だった。
だが、目をしばたたかせながらも、津井が寝る気配はない。

 

「痛み止め飲んで、来週また行ってくださいっすよ」

 

左々倉を支えながら寝床まで導くと、津井はそのまま左々倉の部屋の床に腰を下ろしながら言った。

 

「……」

 

左々倉はムッスリ黙っていた。

 

「痛みが引いてたら今度は俺は送らないっすよ」
「……」
「自分でちゃんと病院行くんっすよ」
「……」
「予約したっすからね。痛みがあってもなくても行くんっすよ」
「……」
「返事くらいしたらどうっすか。なんすかその沈黙」
「うるさい。わかってるよ。今、俺、腰が痛いんだよ」

 

左々倉は布団の中から津井に抗議した。津井はその抗議をまったく意に介さず、左々倉に尋ねた。

 

「痛み止め、まだ効かないっすか」
「じわじわと効いて来てはいる」
「そっすか。ならいいっすけど。それより来週また病院行くっすよ」
「……」
「また黙る」

 

左々倉は布団の中で少し体を起こし、ため息をついている津井に面と向かって言った。

 

「俺のことはいいんだよ」
「どうしたっす」
「俺のことはいいから、なんか面白い話しろよ。俺、腰が痛いんだよ」
「病院行きたくないっすか」
「行きたくないこともない。もういいだろ、なんか面白い話しろよ」
「そっすかあ。うーん」
「今日はどうだった、工場は」


自分でも無茶振りをしている自覚があったため、左々倉は津井に、まだ話しやすそうな話題を振った。


「いつもどおりっすよ。機械の部品組み立てて、それをチェックして、運んで」
「いつも通りだな」
「そっすね」


沈黙が降りた。

 

「テレビつけていいっすか」


津井が聞いた。


「おう」


寮の備え付けのテレビである。
津井がリモコンでスイッチを入れると、テレビの画面にバラエティ番組が映し出された。ぼんやりと左々倉がテレビを見ていると、津井がこくりこくり、船をこぎ始めた。


「おい。部屋で寝ろ」

「うむっ。っす」

 

左々倉が話しかけると、よくわからない掛け声とともに津井は目を覚ました。
目を覚ました津井は、そのまま左々倉の部屋でテレビをぼんやり見続けている。

 

どこの病院に行こうか、ああでもないこうでもないと話していた時点で、津井は勤務から帰ってきたあとだった。
今はもうふたりとも明日(日付的にはもう今日)の夜勤に備えて眠っているはずの時間である。
しかし左々倉は眠くなかった。

 

仕事を休み、ついうっかり眠ってしまったからである。
津井が働いているあいだ、痛みから逃れるためにすやすや眠っていた。
実際は「すやすや」と形容できるほど快眠ではなく、うつらうつら、痛みを感じて目を覚ましてはまた眠りに落ちていく、消えかけの蛍光灯のような心許ない眠りでしかなかったが、とにかく眠っていた。

 

「まったく眠くない」


声に出してみた。
言葉の持つ、なぜか滑稽な印象とは裏腹に、左々倉にとってはかなり深刻な問題だった。仕事の途中で居眠りしてしまいそうな予感がした。
タッドリッケ・伊名井工場にはさまざまな作業をしている者がいる。その中でも左々倉は、居眠りが即、命に関わるような作業をしているわけではない。
だが、それでも眠るべき時間に眠れないプレッシャーは感じていた。

 

ふと、いつのまにか左々倉の部屋の備え付けのコタツに入り、テレビを見つめている津井の顔を見た。
コイツはいつまでここにいるのだろう。
世話になったし、見舞いと病院への送迎はなんだかんだ言ってありがたかったが、そろそろ眠らないといけないのは津井も同じだろう。
この部屋で寝入ってしまうと、津井の部屋に運んでやれるかどうか。そこまでしなくとも、津井に毛布か何かを掛けられるかどうかすら、今の左々倉には自信がなかった。

 

「おい。津井」
「なんすか」
「自分の部屋でテレビ見てくれ」
「あ、寝るっす?」
「俺は寝ない」
「なんすかその自信。寝なくていいんすか」
「よくない。眠れない」
「急に子供みたいになったっすね」

 

左々倉はゴホン、と咳払いをひとつした。

 

「俺のことはいい、オマエがここで寝ると、どうにもしてやれん。腰が痛いから運んでやることもできん」
「いや、運ばなくていいっすけど。まだ痛いっすか」
「痛くはない。薬効いてきたし、そうでなくとも痛みが引いてきてはいたからな」
「それはよかったっす」
「だから、俺のことはいいんだ。オマエだ」
「いやあ、しまったっす」
「なんだ」
「なんか俺、変なスイッチ入ったっす」
「……」


何のスイッチなんだ。

 

「なんか悲しくなってきたっす。俺、今ひとりになったら泣くっす」
「どういうスイッチなんだ。どこ押せば切れるんだそのスイッチ」
「それがわかったら誰も苦労しないっす。俺、寝る前に人と一緒にテレビ見るの久しぶりで、なんかちょっと泣きそうっす」
「やめろ、俺まで泣きそうだ」
「うう」


津井はすでに涙目になっていた。

 

「わかった。今日はここで寝ろもう」


面倒になった左々倉は言い放った。


「っす。すみませんっす」


左々倉は、寝床から毛布を取り出した。


「あ、すみません」


毛布にくるまりつつ、津井はコタツの中に潜り込んだ。


「体痛くなるだろそれじゃ」
「平気っす」

 

本当に平気なのか、しかし自分も腰が痛いのにわざわざ寝床を譲るのもバカバカしい、そもそも隣の部屋に自分用の寝具があるのだから取りに行けばいいだろう、そんな思いが左々倉の心の中で渦巻いた。
心の中で渦巻きを抱えた左々倉が毛布からハミ出した津井の茶色い髪を見ていると、すぐに津井の寝息が聞こえてきた。

 

それまで津井の心配をしていた左々倉は焦り始めた。
自分も眠らなくてはいけない。
テレビから笑い声が聞こえる。
リモコンに手を伸ばし、テレビを消そうとして、急に静かになるとかえって津井を起こすかと思い、音量を絞ってそのままつけておくことにした。

 

テレビではまた大爆笑が起きている。
左々倉は笑わない。
なんとなく流し見していたせいなのか、それとも番組が左々倉に合わないだけなのか、はたまた腰痛もしくは痛み止めのせいで感情のスイッチが笑いに入りにくくなっていたのかは不明だったが、左々倉は特に面白いと思わなかった。

 

面白くないなら眠くなりそうなものだったが、左々倉はだんだんイライラし始めた。

自分だって特に面白いことを言えるわけでもない自分を棚に上げて、思う。

 

もし、この番組を見ていて笑えたら。
なんとなく、素直に少しだけ眠れるかもしれない。

 

そんなことはいいんだ。

そいつのことはもういい。

 

テレビの中でずっと誰かをいじり続けている誰かに、心の中で話しかける。

 

そんなことよりも。


心の中で左々倉は、テレビに命令した。

 

そんなことより面白い話をしろよ。

 

(おわり 022/030)

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆

 

↓同じふたりが出てくる話はこちら。なんかいつもテレビ見てる。

suika-greenred.hatenablog.com

↓内容は直接つながってはいませんが、日勤と夜勤の切り替えでぼんやりしているふたりの話。

suika-greenred.hatenablog.com

↓こちらも内容のつながりはありませんが、同居人…ではないけれども、人が自分の部屋を訪れることに対し、少しだけ喜びを感じて戸惑う人の話。

suika-greenred.hatenablog.com