スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

いつもの風景、そして初日前日のふたり

「あ、そうだ。工場内を回る際、名札をつけてもらいます」


場藤乙夏(ばとうおとか)は事務室から出ようとして、思い出して事務室内にきびすを返しながら言った。
そして、すでにできあがっていた名札を棚から取り出し、おのおの名前の持ち主に渡した。新しく入った派遣社員2名の名札である。

「私服、ごめんね、穴が開いちゃうんだけど」

 
名札は安全ピンで留めるタイプのものだった。

「大丈夫です」


虫平(むしひら)理央(りお)と書かれた名札を受け取った女性派遣社員が答える。
ざっくりしたニットを着ていたため、穴が開いてもそれほど目立たない、という意味らしい。


「えっと、はい、これ斜めでも大丈夫です?」


踊谷(おどりや)未来(みらい)と書かれた名札を受け取った女性派遣社員は、コートの胸の辺りで斜めになっている名札をどうにかまっすぐにしようとしながら尋ねた。

「つけてればいいです、斜めでも」


場藤はそう言ってはみたが、実際に名札が斜めで何か悪いことがあるのかどうかは知らなかった。
ただ、あまり悪戦苦闘すると服に開いた穴が大きくなるのでは、という思いから、踊谷の名札をまっすぐにしようとする情熱に水を差してやりたかった。

「あ、その前にまずこの場所の説明をします」


場藤は辺りを見渡しながら言った。

「ここはタッド・リッケ伊名井工場内にある、派遣会社『インダストリアム・ファクトリアス』の出張所です。出張事務所。通称『事務室』」

場藤が今言った情報は、この部屋のドアについている大きなプレートに書いてある。場藤は自分でもどうでもいいことを説明していることを実感しながら、次に何を説明すべきなのかしゃべりながら思い出していた。

説明する順番がわからない。
先ほどから場藤はずっとそう思っていた。
説明の順がめちゃくちゃだ。
思いだした順に説明している。

本来、場藤はこういった新人に対する説明をする役割ではなく、事務処理を主に担当していた。
それがいろいろあって、ほかの社員の仕事を肩代わりする羽目に陥っていた。
というか、場藤本人がそう命じた。

部下の爪田のせいである。
場藤はそう考えていた。
が、今は説明だ。

「何か仕事上で困ったことがあったり、困ってなくてもいいんですが、聞きたいことがあったらここに来てください。間違ってもタッド・リッケ社の人に言いに行かないように」

ふたりの新人派遣社員が返事をしながらうなずくのを見て、場藤は心の中で安堵の息を漏らした。
よし。この調子だ。
五里霧中の手探り状態の説明なのだが、悟られてはいない。
何をしゃべるべきかわかっていないことはバレていない。
たぶん。

「それではこれから工場の中をちょっと見て回って、それから、」

それからなんだっただろうか。
どこを見て回ればいいのだろうか。
事務室以外に説明しておいたほうがいい場所はどこだろうか。

場藤は0.1秒考えたあと、思い出した。


「ロッカールームの場所を覚えておいてください。いまどき珍しい紙のタイムカードと、タイムカードに打刻するマシーンが置いてあります。出勤したらそこで打刻するのがあなたの日課になるはずです」

後半、英文を和訳したかのような表現になってしまったが、とにかくこれでいい。

はずだ。

「紙のタイムカードって珍しいんですか」

 

虫平が意外そうに尋ねた。


「珍しくはないかもしれないけど、今、時代はデジタルで勤怠管理に向かっているので」

 

場藤はそう言ってごまかした。

実際に珍しいのかどうかは知らない。

ここ「インダストリアム・ファクトリアス」以外の派遣会社の噂も、たまには場藤の耳に入ってくる。
タイムカードではなくスマホで勤怠管理をする職場の話も聞けば、ここと同じように紙のタイムカードで勤怠管理する職場の話も聞く。

両者が混在しているように場藤は感じていたが、統計を取ったわけではないのではっきりと言い切れることはなかった。また、個人的にそこまでタイムカードに対する思い入れもない。

「では、今から工場の中を見」

場藤は途中で言葉を切った。
切ったというよりも、続けられなくなった。
場藤とふたりの新人だけがいた事務室に、新たな第三の、いや人数的には第四の人物が入ってきたからである。

人物は、場藤と同じ淡い緑色の制服を着ていた。
デザインは派遣社員と同じものだったが、派遣社員と社員では制服の色が違う。
派遣はベージュ、社員は緑色。

事務室はそれほど大きな部屋ではない。
机や棚が所狭しと並んでいて、余計にそう感じる。
今は、ふだん常駐している社員が出払っているため、事務室には3人しかいなかった。が、3人でも事務室の手狭な感じ、手狭感はあった。
場藤たち3人に新たなひとりが加わったことで、事務室の手狭感はさらに高まりつつあった。

しかし、場藤の関心はそこにはなかった。

爪田(つめた)くん、お疲れ様です」

新たに出張室に入ってきた人物に場藤は言った。

「お疲れ様です、場藤さん」

爪田と呼ばれた男は挨拶を返した。そしてそのまま事務室の奥にある自分の机に向かう。場藤は爪田にさらに声を掛けようとして、己の仕事を思い出した。

新しく入った派遣さんに工場内を案内して、必要な説明をしなくてはいけないのである。本来これは爪田がやっていた業務であったが、いろいろあって場藤が代わりにやることにした。特に女性の派遣さんの場合には。

「では工場内を見て回りましょう」


気を取り直して、場藤は新人派遣社員ふたりに向き直って言った。それから事務室をからにするわけにいかないと思い立ち、爪田のほうを振り返って言い渡した。

「爪田くん、私は派遣さんに工場の中を見せて回るから、留守番よろしく」

自分のデスクについていた爪田が首肯するのを見て、場藤はふたりの新人を連れて事務室を出た。


事務室を出てすぐの廊下では、事務室の逆側に作業フロアがあり、その様子が廊下から見える。廊下はやや暗いが、作業フロアは明るい。作業フロアの照明がぼんやりとした光となって、廊下にいる場藤たち3人を照らしだした。

「ここが第1フロアですね。作業フロアは全部で3つありますけど、今日は第1フロアだけです」


ガラスで隔てられた廊下のこちら側からフロア内の様子を見ながら、場藤は説明を加えた。第1フロアは工場見学などの際に見やすいよう、廊下側の壁がガラス張りになっている。場藤たちは、廊下のこちら側からガラス越しに作業フロアを眺めた。


全体的に白っぽい壁の中に、銀色と黒で構成された機械がそびえ立っている。そして、それらに囲まれた作業スペースでは、ベージュ色の作業服を着た人影が整然と並んだ机について作業をしていたり、その周辺で動いていたりした。


「工場ってこういう感じなんですねえ」

新人のうちのひとり、名札が傾いたままの踊谷は、フロアの中の様子に感銘を受けた様子だった。


「工場の仕事は初めて?」


場藤は踊谷に聞いてみた。


「あ、はい。ベルトコンベアがあるのかと思ってました」

「そういう工場もあるでしょうけど、この工場では搬送は人力ですね」

 

その会話を横で聞いていたもうひとりの新人派遣社員・虫平が、踊谷に尋ねる。


「見るのも初めて?」
「あ、見たことはあります。学校の工場見学で。でもあたし、食べ物の工場しか見たことがなくて」
「私も。私が見たのはパン工場でした。機械の工場は私も初めて見ました……」

 

そんな会話をしながら、場藤たち3人は、ぶらぶらと作業フロアの前の廊下を歩き続けて階段に到達した。
階段を上り、廊下に出る。

廊下の中央辺りまで進むと、場藤は廊下を隔てて左右にあるガラス窓のついたドアを指しながら説明した。

「ここが休憩室です。こっちが喫煙者用で、こっちが禁煙者用」


「禁煙者」という言い方もおかしい気がしたが、かといって、口頭で「非喫煙者」という言葉をわかりやすく説明できる語もなく、場藤はそう表現した。

一行は歩き続け、ロッカールームにたどり着いた。


「ここでさっき言ってたように、紙のタイムカードを押して……、あ、そうだ、制服。制服のサイズ聞くの忘れてた。あとで事務室に戻って、制服と靴のサイズを申告してください」
「はい」


ふたりは素直に返事をした。

ロッカールームの中に入り、一通りタイムカードの打刻の仕方を説明したあと、場藤は事務室に戻ることにした。ふたりを引き連れて、来た道を戻る。

その道の途中で、踊谷がおずおずと言った。


「私、靴のサイズわからないかも……。その靴によって履けるサイズが違うんです……」


なぜか消え入りそうに自信なさげにつぶやく踊谷に、場藤はやわらかく告げた。


「作業靴は試し履きできますよ。制服も。申告する前に試し履きが必要だったら言ってください」
「は、はい……」

話しながら事務室の前まで戻ってくると、爪田が事務室から出てくるところに鉢合わせした。

「爪田。事務室空けるなっつったよね私」

予期せぬところで爪田を見かけてしまったため、場藤は、つい爪田を呼び捨てにした。
ついドスがきいた声になってしまった。
そしてすぐに我に返った。

一方、言われた側の爪田は苦笑いしながら、場藤に向かって弁解するように言った。

「いや、粟石(あわいし)さんが戻ってきたんで、俺も休憩入ろうかと思ったんですけど」
「あ、ああそう。粟石さん。粟石さんいるならいいわ、うん、休憩どうぞ、爪田くん」

場藤は取り繕うように言ってみたが、なんだか取り返しのつかないことをしたような気持ちはなくならなかった。
言葉に気をつけよう。
場藤は自分にそう釘を刺した。

爪田の言葉通り、事務室には粟石が戻ってきていた。
場藤は粟石に挨拶をして、作業服と作業靴をレンタルするための書類と、試し履き用の作業靴を、それぞれ別の棚から取り出した。

作業靴を踊谷が試し履きするあいだ、すでに試着もせずに制服と靴のサイズを書類に書き終わっていた虫平が場藤に尋ねた。

「で、この工場、何を作ってるんでしょうか」


踊谷が椅子に座ってサンプルの靴を履いては立ち上がりちょっと歩く、その姿をぼんやり見守っていた場藤は、その虫平の言葉に我に返った。
すぐに言葉が出てこない。

「電子機器の部品です」


そんなざっくりしすぎた言葉しか出てこなかった。虫平が聞きたかったのはそういうことではないのだろうとわかってはいても、場藤にはそれ以外の返事ができなかった。

虫平は特に気にするでもなく、自分の問いの意味をより詳しく説明した。

「どういう部品なんでしょう。募集要項にも『電子部品の製造』としか書いてなかったし。さっき作業フロアを見ましたけど、遠くから見ただけだとよくわからないなあと思って。私も工場の仕事、実は初めてで、『タッド・リッケ社』って名前、私聞いたことなくて、すみません」
「えーとですね」

どう説明すればいいのだろう。
場藤は派遣会社の事務処理がふだんの業務のため、工場で作っている製品について詳細な情報が頭に入っているわけではない。
とりあえず、名前。

「『CB』と呼ばれています。工場では、作ってる製品のこと、『CB』と呼んでいて、その『CB』を作る仕事です」

ダメだ。
この説明で何が伝わるというのか。


「はあ、CB……」


質問した虫平も、曖昧な表情でうなずいている。
これ以上この人に聞いてもムダなのかしら、の表情だと場藤は感じた。
ダメだ。
せめて何を作っているかくらい説明しないと。
場藤は焦って脳をフル回転させたが、元々入っていない情報が出てくるはずもなかった。出てくるとすれば、でたらめだろう。

そんな場藤たちの斜め横で、名札が傾いたままの踊谷は、自分もやや斜めの姿勢を維持したまま、まだ納得がいかない表情で靴をにらんでいた。靴の中で指を動かしているのか、靴の先がもぞもぞとうごめいている。靴に集中するあまり、虫平と場藤の会話は耳に入っていない様子だった。

「粟石さん、CBってどう言えばいいんでしょう」


場藤は、事務室にいた粟石に助けを求めた。

「え、CB? 僕に聞かれても。えーと。こう……四角い金属にこう、いろんなもんをつけた……。何と言えばいいのでしょう、CBはCBだよなあ……」
「あ、なんか、いいです。なんかすみません」


虫平は質問を撤回する意思を見せた。
これほどまでに工場で何を作っているのか把握していない派遣会社だと思わなかったのであろう。


「そうですか、CBを作るんですね」


最終的に虫平は言った。
どこか遠くを見る目をしていた。

場藤は赤面したいような、そんなことでいちいち赤面していられないような、何かの狭間に落ちた気持ちになったが、何と何の狭間なのかは自分にもわからなかった。
そんな会話をしているあいだに、踊谷は、とりあえずではあったが靴のサイズの結論を出したようだった。書類に名前とサイズを書き込み、場藤に提出する。


「とりあえず、大きなサイズにしてみます。あとで変更してもいいですか? 靴のサイズ」

 

踊谷が、もともと履いていた来場者用のスリッパに履き替えながら問いかけた。

「いいですよ。いつでも言ってください」


場藤は、書類を確認して、ふたりの書類に記入された通りのサイズの、サンプルではない制服と靴を棚から出した。それをふたりに手渡して説明を加える。


「この作業靴は下駄箱に置いて帰ってください。明日からはそこで外履きと履き替えてくださいね。今日渡したその名札は制服につけ替えてください。朝、寮の近くに送迎バスが迎えに行きます。時刻表渡されたと思うんですけど、ここに来る前に。うちの支店のほうで」
「はい」


送迎バスは派遣会社が運行しているもので、それぞれの寮の近くに停留所があった。

 

「それを見て明日からは送迎バスを使ってください。寮に関することもこの事務室で言ってくれて大丈夫ですから」
「はい」


勤務前の説明や手続きはこれで終了……、でいいのだろうか。
場藤は慣れない業務に、心中不安を感じながらも言った。


「じゃあ、今日の所はお疲れ様でした」

 

場藤は工場の従業員出口までふたりを見送り、挨拶をしてその場を辞した。ふたりは、駐車場に停まっている派遣会社の支店の車で寮に送り届けられるはずだ。ここまでふたりを送ってきたのもこの車であった。

場藤は、工場の事務室に戻ると、そこにいる粟石に声をかけた。

 

「戻りました」
「お疲れ様です」


粟石はそう応じたあと、椅子の背に体をもたせかけ、眉を八の字にして笑いながら言った。


「いやあ、何作ってるんですか攻撃には参った」

「別に攻撃じゃないですけどね」
「そうなんだけど、僕もCBとしか言いようがなくて。これじゃあほの集団ですねぇ」
「まったくです……」


場藤も珍しく眉を八の字にした、情けない表情で同意した。

粟石はもともとそんな表情をよくする。今も八の字眉を保ったまま、誰にともなく、宙に言葉を浮かべるように疑問を述べた。


「どう説明したらいいのかなあ」
「諸先輩方はどう説明されてこられたのでしょうか」
「あー。聞いてみようか」


粟石が答えたところで、事務室の外から大きな声が聞こえてきた。

「マジかよ! 多加良(たから)さん、やめるって言ってた? それほんと?」
「……」


場藤と粟石は黙って顔を見合わせた。
爪田の声だった。
どうやら廊下で、誰かと通話しているらしい。

なぜ電話なのだろうか。

今どき音声の通話を、しかも仕事中に私用で使う。そんな、何かがおかしいものの上に何かがおかしいものをトッピングしたかのような不適切オン不適切に、場藤と粟石は見合わせた視線を落とし、それぞれ自分の机をじっと見た。もしかしたら、よっぽどの急用なのかもしれない。それならば仕方ない。そんなわずかな可能性に賭けるかのように。

 

一方、壁を隔てた事務室内に通話中の自分の声が聞こえていることに気づいているのかいないのか、廊下にいる爪田の声はどんどん大きくなっていく。

「そんな、俺、せっかく多加良さんのために……」
「そういうつもりじゃなかった」
「彼女のために俺は……」

その後も、似たような台詞が続き、ついには感極まった爪田の声が事務室内に響き渡った。

「いいよもう、俺は! ほかに好きな人できたし!」

「……」


何を言っているのだろうか。
いや、恋愛は大事なのかもしれない。だいたいの人間にとって大事なのかもしれない。

場藤は思い直した。

しかしそうであったとしても。


爪田は通話を終えると、事務室に入ってきた。

場藤は大きく息を吸った。
そして怒鳴った。

「電話の声でけーよ爪田!」
「ひっ」
「つうか仕事中に私用で電話してんじゃねえよ!!」

 

場藤が罵倒した。

ダジャレだろうと何だろうと構わない。

場藤は罵倒したのだ。

それが本日の事務室のハイライトだった。


(おわり 001/030)

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆

 

工場編、ひとつひとつの話は厳密につながってはおりませんが、同じ人物が出てくる話がございます。こちらもいかが。

 

↓虫平が出てくる話。

suika-greenred.hatenablog.com

↓踊谷が出てくる話。

suika-greenred.hatenablog.com

↓場藤さんが出てくる話。

suika-greenred.hatenablog.com