スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

真夜中を走るヘッドライトのつくりばなし

高速に乗る。
夜の道路を駆ける。
スピードを上げる。
夜が明ける前に、寮に戻らなくてはならない。

 

周りに走る車がいなかった。
たまに思い出したようにトラックが走っている。
飛ばしつつも無理に追い抜く気にはなれない。
事故が怖い。
今、私が事故るわけにはいかない。

 

佳音(かのん)の顔がよみがえる。私の娘。
私に向かって手を伸ばす。
あのかわいらしい手を伸ばしてくる。
別れる前に私に触れた手は、熱かった。

 

心配だった佳音の熱。
仕事中も気が散って仕方がなかった。
あの子は今、実家の父に預けている。
佳音にとっては祖父。

 

その父が佳音を病院に連れて行った、らしい。
仕事が終わってから、衝動的に連絡もせずに家に帰った。
帰ってみたら、病院に連れて行ったあとだと知った。
あの子の熱に関して、私ができることは特になかった。

 

佳音は、お薬を嫌がらない。
私はどうだっただろう。
むしろ子供向けの薬の味が好きだったように思う。


あの子は何も感想を言わない。
飲まなければいけないから飲む。
そういう顔をしながら薬を飲む。
ひどく真剣な顔だった。
仕事のように。

 

朝まで一緒にいられたらよかったのにな。
衝動的に来るんじゃなかった。
ちゃんと休日に来るんだった。
かえって寂しい思いをさせてしまったかもしれない。

 

明日も仕事がある。
日勤と夜勤を繰り返す仕事だ。
今は日勤で、朝から晩まで働く。
日勤で5日働く。
休日が2日、そのあと夜勤に切り替わる。

 

まだ今は日勤の2日目。
休日まであと3日。
結構長い。

 

あの子が熱を出した事なんて今までに何度もあるのに、離れていると気になって仕方がない。

母としての本能ではない。
たぶん私には母性本能がない。
そうしないといけない気がして気にかけている。

刷り込まれただけだ、母性本能という伝説を。

 

シフトレバーをニュートラルに寄せる。
クラッチを踏み、アクセルから足を離す。

シフトを次のギアのほうへ。
次のギアに入った手ごたえ。

クラッチを離す。

 

この車は知り合いから安く譲ってもらった。
知り合いは車好きで、譲られた車はMT車だった。
私は免許はマニュアルで取ってたけど、今までAT車しか所有したことがなかった。

 

だけど私は大型免許を持っている。
以前、大型車を運転する仕事に就いていた。
大型車にもAT車はあるけれど、私が仕事で運転した車はMT車ばかりだった。
MT普通車の運転には簡単に慣れることができた。

 

暗い。
ヘッドライトの外の物がまったく見えない。
誰も飛びだしてきませんように。

 

トンネルだ。
山の中を通る。
オレンジ色の光が、フロントガラスの上を通り過ぎていく。
目がおかしくなりそう。

 

「この本嫌い?」
「きらい、じゃない」
「まだ熱があるのかな」
「……」

 

額と額を合わせてみる。
母っぽいかと思って。
でも、佳音のおでこが熱いのかどうかよくわからなかった。
やり慣れていないせいもあるのだろう。
結局体温計を持ち出して測ることになった。

 

「微熱だね」
「ねむい」
「ああ、じゃあ眠ろう」
「まだ」
「まだ?」
「ママ、帰っちゃう? わたしが寝たら帰る?」
「ああ、うん。そうだね。仕事があるから」
「じゃあ起きてる」

 

もう今にも眠りに入りそうな顔で佳音は言った。

 

「起きてるの?」
「ママのお話しして」
「ママのお話……どういう話がいい?」

 

このまま話を引き延ばせば寝るかな。
そう思って聞いてみた。

 

「パパの話」
「ママとパパの話?」
「うん……」

 

意外と寝ない。
根性で起きてる。
そんな根性、見せなくていい。
そう思ったけど、黙ってるより話し続けたほうが眠りやすいのかなとも思った。

 

「ママとパパはね、大学で出会ったの」
「だいがくって学校?」
「そうだよ。よくしってるね。人生について考えるところ」
「うん。じんせい」
「そこでね、サークルって言うのがあってね、パパとママはそこで出会ったの」
「さーくる」
「ママはその頃、髪の毛が長くてね。今みたいな短い髪じゃなかった。パパは逆に短い髪だったけどね」
「髪が短いママも素敵だよ」
「ありがとう。そこでパパはママに一目惚れしたんだって。あとから聞いてビックリしちゃった」
「ママ、やっぱり髪長いほうがいいのかも」

 

真剣な顔で言われた。
ここまで真剣にヘアスタイルについてアドバイスしてくれる人間を見たことがない。

 

「ママはいいの。今以上に素敵になったら困るもの」
「第2のパパが現れるから?」
「そう。王子様みたいな人じゃなかったけど、でもママにとっては特別な人だったよ」
「パパ、どんな顔してた? 誰に似てる?」
「顔? うーん……、誰かに似てたかなあ、芸能人で言うと誰だろう……」

 

言い始めて、「あなたに似てる」って言えばいいのかなという気はした。
けど、佳音の顔はあまり父親に似ていない。
どちらかと言えば私似だ。
なんとなく、そこは譲りたくない気がして、私は動物に逃げた。

 

「動物で言うと犬に似てたよ」
「わんわん」
「うん。大きいわんわん」

 

そこで思い出した。
私は佳音を寝かしつけないといけないんだった。


とにかく退屈な話をしよう。
眠くなるような幸せな話を。
声を出すと眠気が飛んでしまうのかもしれない。
佳音にしゃべらせないように、私が一方的に話す。

 

「サークルっていうのはね、部活みたいな……みんなで何かをしようぜって感じの集まりのことなんだけど。テニスしたり、映画見たり。ママたちが入ったサークルは、運転サークルだった。車輪がついた物を運転しようって言う集まりだった。変な集まりだよね。ほかのとこでは聞いたことないし、今はそのサークル、なくなっているかもしれない。運転するのは車輪がついた物なら何でもよくて、例えば、遊園地にあるようなゴーカートとか、逆に大きな車とか。車は免許持ってないと運転できない決まりだったけど、ママは大型免許もってるから運転できたんだよ」

 

あまり早くなりすぎないよう、眠気を誘うスピードでしゃべる。
佳音はじっと私を見ている。
眠そう。
もう少し。
もう少しで寝る。

 

「そこで、ママが大きな車を運転しているときにね、パパはママに一目惚れしたんだって。かっこよかったって」
「かっこいい」

 

目をキラキラさせ始めた。
しまった。
「一目惚れ」とか、そういうことを言うと目が冴えるのかもしれない。
恋愛の話を避けたほうが退屈になって眠くなる。
きっとそうだ。

 

「うん。でね、ママはサークルの車を借りて、パパを乗せていろんなとこに行ったよ。サークルにはいろんな車があったから、いろいろな車を借りてね。道路がつながってるところは全部行ってやろうっていう勢いで、いろんなとこに。カーフェリーにも乗って。カーフェリーっていうのはね、車を乗せられる船のことなんだよ。車を乗せて、自分たちも乗って、で、海とか、湖とか、水があるとこを移動するの」

 

佳音のまぶたが閉じかかっていた。

もう少しだ。

 

「山を登ったこともあるよ。途中までだったら車で行ける山があるんだよ。ぐるぐる、山をぐるぐる回るみたいな道だけどね、ああいう道作る人って大変なんだよね、きっと。そういうことを思いながらぐるぐるまわってたら、パパ車に酔っちゃって。ふだん車にも船にも酔わないのに酔っちゃって。運転してて焦ったよ。今考えたら、道路のはじっこに車を止めてパパ大丈夫? ってやればよかったんだけど、そんなことになったの初めてで、どうすればいいのかわからなくて、車を止められなかった。パパ車に酔ってるのに、ママは車をずっと走らせてた。パパかわいそうだったね」

 

すう、すう。
寝息を立てて佳音は寝ていた。
そこで話をやめると目を覚ましてしまう気がした。
私は静かな声を保ったまま、しゃべり続ける。

 

「いろいろなところに行ってたらガソリンがなくなって。車を動かすのにガソリンって言う物を入れないといけないんだよ。でもママたちはお金がなくてガソリンを買えなくて、山で動けなくなったんだよ……」

 

ゆっくりそこまで話して、少しずれていた佳音の布団を、ちゃんとかけ直した。

 

トンネルを抜けた。
暗い。
目が慣れない。

 

戻らなくてはいけない。
朝6時45分にバスが来る。
私がいつも使うバス停に。

それまでに寮に戻って少しだけ眠らなくてはいけない。
このまま仕事をしても途中で居眠りしてしまいそうだ。

今だってそうだ。
居眠りはできない。

目を覚ませ。
自分に言い聞かせる。
眠るな。

 

時刻は2時42分。
真夜中だ。

「ママのお話して」

佳音の言葉がよみがえる。

どういう意味なんだろう。
意味なんてないのだろうか。
私の創作を聞きたかったのか、私の半生を知りたかったのか。

 

どちらでも同じ結果だった。
正直に話すと、子供に聞かせる話ではなくなる。

 

これもある種の創作なのだろうか。
佳音に「お話をして」といわれたら、事実ではない話をする。
そういう習慣になっている。
佳音は気づいているのかもしれない。

 

私とあの子の父親が出会ったのは大学ではない。
サークルでもない。
車を運転していたのは本当だ。
私が大型車の免許を持っていることも本当だ。
大型車を運転する仕事をしているときにあの人と出会った。
だが、実際に大型車にあの人を乗せたことはない。

 

あの人はほかの人と結婚していた。
夫婦の間に子供はいなかった。
私は彼と結婚したかった。
子供ができたと言った。

 

あの人は「結婚はできない」と言った。
産むことに賛成はできない、金は出すが結婚はできない。


私は彼を旅行に誘った。
ドライブに行こうと。
彼の返事を聞く前に車に乗せた。

私と結婚する彼が言うまで、彼を帰す気はなかった。

 

だけど、彼は最後まで私とは結婚する気がないと言い張った。

荒れ狂う波の上で揺れるカーフェリーに乗っているときも。
山道をぐるぐる回り、吐き気を催したときも。
ガソリンがついになくなり、山のど真ん中で立ち往生したときも。

 

いついかなるときにも、私と結婚する気はないと言った。

 

私は根負けした。
納得もした。
子供ができたなどと言うウソをついて結婚したがる、その上、車に無理矢理押し込めて「結婚すると言わないと帰さない」などと言う、そんな人間の要求には応じない人なのだと理解した。

 

そして別れを告げた。
山奥で立ち往生して、なんとか救出されてから、3日後のことだった。
私も忘れるべきなのだと思った。

忘れようとした。
その1か月後、本当に妊娠していたことに気づくまでは。

 

今さら、どのツラ下げてあの人に妊娠を告げればいいというのか。
告げたところで、ウソをついたときと同じ反応をされるだけだ。
無理なのだ。
どうやっても。

 

そんな歴史しか私は持っていない。
だけれども、私は佳音が好きだ。
そんな経緯で生まれてきたとしても、私は佳音が好きだ。

 

哀れみでもないし、母性本能でもきっとない。
そんなきれいな感情ではない。
もっとドロドロした感情が元になっているのだろう。

 

でも、それは佳音とは関係がない。
子供に聞かせる話ではない。
一生黙ったままでかまわない。
良心の呵責なんて感じない。

 

佳音の、熱い手のひら。

 

あの小さな手のひらを守るために私は生きて、働いている。
別にいいでしょう。
そう思うことくらい、許されても。

 

眠るな。
だから眠るな。
起きろ。
走れ。
たどりつけ。
私の今の居場所へ。

 

この夜が明けてしまう、その前に。

 

(おわり 015/030)

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆

 

夜の話ですね。夜だけども、夜勤の話ではないのですよね。

しかし混乱した私は、なぜか夜勤の話を貼ってしまったのだった…。

 

↓夜勤明けに腰痛に見舞われた同居人の見舞いをする人の話。(ややこしい)。

suika-greenred.hatenablog.com

夜勤ではなかった…。反省した私は今度は朝の話を貼ってみるのだった…。

↓朝、送迎バスの停留所から始まる話。しかしこの話も最後は夜になるんですけども…。

suika-greenred.hatenablog.com