スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

難解な手紙

 
 「拝啓 厳寒之折、小折さんに於かれましては益々御清栄の事とお慶び申し上げます」その文面を見た瞬間、小折(こおり)(なお)の動きは止まった。
何だこれは。本当に俺に宛てた手紙か?
小折はその文章が書かれた手紙を、まじまじと見つめた。

寮であるアパートのポストに手紙が入っていた。
品のよい、淡い色合いの封筒に書かれた、毛筆の宛名書き。
宛名ははっきりと小折を指名していた。

寮の住所を教えている人間は限られているし、小折は連絡の手段として手紙は使わない。だからふだんはポストを開けることすらしないのに、出がけに気まぐれに開けてみて中に入った封書に気づいたのだった。
消印の日付は1日前だった。
手紙を使うということは、緊急の連絡ではないだろう、1日くらいならいいのではないか。小折はそんな謎理論で手紙発見が遅れた自分を許した。

それにしても、手紙である。
そのことにどれだけ驚いたかわからない。
いまどき手紙を出そうと思う者がいる、そのことに軽い感動を覚えた。
友人が多いほうではない。
その数少ない友人たちの中に、手紙を使って連絡を取ろうとする者がいるとは思わなかった。

開けてみてもう一度驚いた。
中に入っていたのは、封筒とそろいの便せんだった。
そして、筆跡は毛筆だった。
中までぎっしり毛筆である。
便せんは全部で3枚入っていた。
その最後までみっちり毛筆である。たい焼きもビックリのフルオブ毛筆である。

封筒や便せんの淡い色合いとまったく不釣り合いなような、意外とあっているような、薄墨を使った文字の連なりが小折の目に映った。「薄墨」というものを小折が知っていたわけではない。

(なんか薄い色の字だな)

その程度の感想しか持てなかった。

学生時代の友人の顔を思い浮かべる。
誰だろう。誰が手紙を書くような筆まめだったか。
封筒を裏返す。
封筒の裏面には、差出人の住所と名前が記されていた。

差出人の名には見覚えがあった。
高校時代、同じ部活にいた男である。後輩だった。
……それ以上の情報が自分から出てこない。

「見た目が派手だ」と言われたことは思い出した。
「それほど服や髪に金は掛けていない」と返した気がする。
しかし、小折に関して言ったことは覚えていても、その男本人の情報は何ひとつ思い出せなかった。

いったいどこで寮の住所を知ったのか。
手紙を読めばわかるのだろうか。
そう考えて読み進めることにした。

さて、その手紙の文面。
漢字が多い。
やたらに多い。
嫌がらせかと思うくらい多い。
漢字で書く必要が特にない言葉まで漢字で書いてある。

読めない。
読めたとしても読むのが苦痛だ。

小折はうめいた。
こんなもの読みたくない。
そうして小折は、手紙を読むことを諦めた。

そもそも空腹だったのだ。
手紙に驚いて、いったん部屋の中に戻って封筒の中身を調べていた小折は、封筒と便せん、双方を部屋に置きざりにしたまま、当初の予定通り定食屋に向かった。

……のだが、定食屋で昼食を食べていると、手紙のことがどんどん気になり始めた。
何が書かれていたのだろう。

満腹になったこともあり、今日は何もすることがない休日だと思い出した小折は考えを改めた。
休日出勤には毎回出る小折ではあったが、週7日働くことはできなかった。1日は必ず休まなければならない。
夜勤と日勤が数日おきに交互に入れ替わる勤務の都合上、その1日の休みを睡眠の調整に使う者も多かったが、小折は睡眠時間が生まれつき短かった。あまり眠らなくとも、それほど疲労を感じない。そういう体質なのであろう。
つまり、やるべきことがないと、ヒマな時間が長いということでもあった。

寮に戻り、投げ出していた手紙を拾い上げ、コタツの上に載せた。
腰を据えて読んでやろうかという気になったのである。
とんでもない上から目線であった。

気合いを入れてコタツの前に座り込み、携帯で辞書アプリやらネット検索やらを気分次第で使い分けつつ読み進めた。
言葉の意味を調べようとするが、意味以前に漢字の読み方がわからない。
さらに毛筆のせいでその漢字が何なのかもわからない。

毛筆の筆致はお見事としか言いようのない立派なものだった。
これだけ達筆になるには、相当のセンスと練習が必要だろう。
まったく書の知識のない小折にもそれだけはわかった。

しかし、筆致が立派であろうとなかろうと、小折の手紙読解の道乗りには紆余と曲折しかなかった。
ひとりごとが漏れる。

「何なんだよ。俺が読めると思うのかコレを」

小折の寮の部屋は、ふたり部屋だった。
といっても同じ部屋に寝起きしているわけではなく、2DKのアパートの部屋をふたりで1部屋ずつ分けて使っているのである。

同部屋の家串(いえくし)は、工場では小折とは別の班だった。シフトが違うため、小折と家串の休日が重なることはない。
今も休日の小折とは違い、家串は出勤していた。仕事中である。
「同室の者にひとりごとを言っていると思われるのは自分にマイナスに働きそうだ」という気遣いから、ふだんは寮の部屋でひとりごとを言わないようにしている小折であるが、今日は別だった。
誰も聞く者がいないということもあり、小折のひとりごとは徐々にエスカレートしていった。

「ペットボトルのフタをしようとしてフタを壊す感じだな」

小折はそうぽつりと言ったあと自分でも意味がわからなかったのか、さらにひとりごとを付け加えた。

「常にフルパワーっつうか、常に大声っつうか、常に全力疾走っつうか……」

誰に説明しているのかよくわからない、己が放った謎言葉の説明を終えると、今度は愚痴をこぼしはじめた。

「ったくよー。俺にでも理解できる言葉を書けないのかよ……。知ってる言葉は全部使いたいのかよ……。常に全力で生きても大目に見てもらえるのは子供だけだろうがよ……。オマエもう、いい年した大人だろう。俺と一個しか違わないだろう。オッサンだろう」

ブチブチと文句を言う。

小折は20代中盤だった。
世間的にはまだオッサンとは呼ばれにくい年齢ではあったが、工場で小折が言葉を交わす人間は、10代が多かった。
工場で働く者たちの年齢層はさまざまだったが、たまたま小折の周りには小折より若い者が多く、小折はオッサンを自認していた。自認しないとオッサンだと陰で言われる、小折はそう思っていたからである。
陰で言ってるかどうかなど実際は小折本人にはわからないが、小折はそう信じていた。
影でコソコソ言われるくらいなら自分から言ってしまおう。
小折はそう考えていた。

「だあっ! 腹減った!」

携帯を持ったまま、背中から床の上に倒れた。

5時のチャイムが遠くで鳴っている。

小折の地元のチャイムとはメロディが違うが、だいたいどこでも5時にチャイムを鳴らすのか、と初めてこの町に引っ越して来たときに思ったチャイムである。
聞き慣れてしまった今となっては特に何の感慨を呼び起こすでもなく、ただ正午から5時間経ったという時間の経過を感じるのみのチャイムである。

駅前の定食屋「どしり屋」に小折はやってきた。
昼もここにやってきた。
あまり毎食毎食来るのも何かと思ったが、小折は起きている時間が長く、1日の食事の回数が多かった。そして自炊はしない。
食事といったら何も考えず「どしり屋」に来る、小折の中ではそれが普通になりつつあった。

「どしり屋」は値段が安く、その名に恥じない重量級のメニューが多い。味もいい。デザートもある。
小折は、店の入り口にある食券販売機でメニューを選び、食券を買った。
食券を店主に渡し、空いている席につく。
まだ店内には人が少なかった

店の主人が、小折が注文した定食が載った盆を無愛想に運んできたのを受け取り、小折は食事を始めた。
食事をしながらも、手紙のことが気になっていた。

小折は今日1日掛けて読み解いてきた手紙を、バッグから取り出して広げた。
難解な手紙の解読は大方終わっていた。

「これの意味がわからねえんだがよ……」

今日1日、自室で積み重ねたひとりごとによって、定食屋でも大胆にひとりごとを言い始めた小折である。

「妹の名前っぽいんだけど、まさかそんなわけねえよな……。なんでアイツの名前が出てくるんだっていう……」

店の主人が、小折の近くを通りかかった。

「どういう意味なんだっつうの」

店主が小折のいるテーブルを通り過ぎるタイミングでひとりごとを言ってしまったらしく、主人はビクリと体を震わせた。それに気づいた小折は、主人に謝った。

「すんません」

ついでに聞いてみる。

「あ、そうだ。追加注文って、やっぱ食券買わないとダメですか」
「そうだね。買って」

店の主人の返事は素っ気ない。

小折は、手紙をそのままテーブルに残し、店の入り口付近に設置してある自動券売機まで食券を買いに行った。
食券を買って主人の姿を探すと、小折のテーブルの上に覆い被さるようにして立っている。
どう見てもテーブルの上に広げて置いたままの手紙を読んでいるようにしか見えない。
小折は食事していたテーブルに戻り、背を向けていた主人に後ろから声を掛けた。

「……あの」
「うわ、はい」
「これ、食券」
「ああ、デザート。食事のあとに出そうか」
「あ、はい。じゃあそれで。お願いします」

主人は何も言わずにテーブルから離れ、カウンターの向こうに立ち去った。

(……タメ口なんだな、あの主人。いいけど……)

小折はそう思ったが、今度は胸の内でそっと思うだけにとどめておいた。
テーブルに戻って食事をしながら、小折は手紙を眺めた。やはり、先ほどまでと同じ疑問が湧いてくる。

「妹って何だ……。なんでアイツがコイツと関係あるんだ……。んで、なんでウチに来たんだコイツ……」

またひとりごとが復活した。

「3枚目のこれって、そういう意味だよな。毛筆だけど……。え、なんで? なんでそうなったの?」

納得がいかない小折は、手紙を責めるようにブツブツつぶやいた。

「そろそろデザート?」

ブツブツ言う小折に、テーブルの近くに来ていた店の主人がまたもやタメ口で尋ねた。

「あ、はい」

主人が手を差し出したため、小折は食事が済んだあとの食器が載った盆を手渡した。
主人は盆を受け取り、厨房に戻って行った。

数分ののち、小折が注文したデザートを持って主人が厨房から出てきた。
手紙をテーブルの上に広げていた小折は、デザートの容器を置く場所を作るために手紙を脇に避けた。

「お待ちどう様」
「あ、どうも」
「……」
「えっと?」
「あ、えーと、お客さん」
「はい」
「あまりひとりごと言わないでもらいたいんだけど。今は店がすいてるからいいけど、あまり変なこと言い始めたら追い出すよ」
「……はい」

唐突にひとりごとを注意され、小折はそう返事するしかなかった。主人は舌打ちをしながら言葉を続けた。

「チッ。工場の人はこれだから」
「いえ、あの……。俺が工場代表みたいに思われても困るんですけど。ひとりごと言ってるの俺くらいだと思いますよ」

なぜ自分が工場で働いていることを知っているのか、そしてなぜ、ひとりごとごときでここまで言われなくてはいけないのか小折にはよくわからなかったが、とりあえずそう言った。
店の主人は蔑むようなまなざしで小折を見て、吐き捨てるように言った。

「俺は工場の人間が嫌いなんだよ」

唐突な告白に、小折はこれは夢なのだろうかといぶかった。
突然こんなことを言う定食屋の親父は、夢なのだろうか。そういえばずっとタメ口なのも現実感がない。小折はそんなことを考えた。

「工場の人間に何かされたんですか」
「何もされちゃあいねえよ、昔働いてたってだけで。この店出す資金ためるためにな。あんちゃんが工場勤めてるってのはわかるよ、ウチに来る時間帯が工場の勤務時間が終わったあとの時間だからな。大方あんちゃんもタッドリッケだろ」
「あ、はい」
「俺もだよ。俺も務めてたんだ昔、あのタッドリッケの工場に」

なぜ工場勤務だと思ったのかといえば、理由は来店の時間帯だった、らしい。
タッドリッケ・伊名井工場では夜勤と日勤が入れ替わるため、プライベートで食事をする時間も数日ごとに半日ずれる。ちなみに夜勤のときには24時間営業の外食チェーン店に行くのが小折の常だった。
加えて小折は身なりが派手で、髪の色も派手である。
派手な髪色が許される、ここ伊名井市の一番大きな働き口は小折が勤めるタッドリッケ・伊名井工場工場くらいのものだ、店主はそう見当をつけたのだろう。

小折は店の主人に自分の勤務先を特定された理由は理解できたものの、なぜこんな会話をしているのかという理由は理解できなかった。

何なのだろう、このやりとりは。

店の主人の怒りながらの身の上話を聞き、ついでに自分の勤務先をズバリ当てられるという、よくわからない夢だ。
もはや、小折はこれが夢であると確信していた。
睡眠時間が短すぎて、起きているときに夢を見るようになったのだろう。
小折はそんな適当な理由を思いついて自分を納得させた。

どうせ夢ならば、この主人と会話してみよう。小折はそう思い、店主に話しかけた。

「さっき俺の手紙読んでたでしょ、ご主人」
「読んでねえよ」
「読んでたでしょ。この3枚目のって、どう考えても申込書ですよね」

小折は、脇に避けておいた手紙をめくり、3枚目を主人に見せた。

「通販の申込書だな」
「ですよね」

小折はため息をついた。
便せんの3枚目には、毛筆で通販の申し込み用の表のような物が書かれていた。
こんな物をわざわざ毛筆で書くとは、手紙の送り主はよほどヒマなのだろうと思っていたが、この手紙も夢なのかもしれない。それなら納得がいく。

全部夢なら納得がいく。

「ほかの便せんには、俺の寮の住所を知った経緯が書かれてるんですけど、ウチに行ったらしいんですよ。俺の実家に行って……、あ、コイツ、この手紙の送り主は地元の、まあ部活の後輩だった男なんですけど」
「督促状っぽい内容だなとは思った」

やはり手紙を読んでいたことを店の主人は隠そうともしなくなっていたが、夢ならば仕方がない。小折は話を続けた。

「俺がコイツに部活のあとジュース飲む金を借りたっていう、それが何回もあって全部で数千円になるっていう内容です」
「ずいぶんしょぼい金貸しだな。というか、何回借りればそんなことになるんだ」
「俺は覚えてねぇんだけどなぁ……。まあそんだけ、学生時代のコイツにとっては痛手だったんでしょうね」

これは夢なのか。
だとすれば、自分が罪悪感を持っているからこんな夢を見るのか。

「で、ここに俺の妹のことが書かれてるんですけど、意味がわからない」
「どれ」

なぜか主人が手を差し出した。
しかし夢ならば仕方がない。
小折は店主に、手紙の2枚目を手渡した。

「『妹が可愛ければ俺の会社の通販申し込め』って読めるな。すごく丁寧に遠回しに書いてあるけど、内容は邪悪だな」
「やっぱそうですよね。変な手紙」
「昔貸したジュース代と同じくらいは、自分のとこの通販で買えと言いたいんだろうな。買ってやりゃいいんじゃないか」
「そうですけど……妹のことはなんで書いたんですかね。部活のこともそうですけど。普通に『通販でうちの商品買ってくれ』じゃダメだったんですかね」
「妹さんとすでにそういう仲じゃなければ変だよな」
「ああっ。なにそれ。何その結末」

小折は顔を手のひらで覆った。

夢にしたってひどい。
ひどいけど、確かにそれ以外に解釈のしようがない。
小折は店主の言葉を信じた。

しかし、そういうことなら普通に説明すればいいのに、なぜ手紙の差出人はこれほど回りくどい方法をとるのか。
なぜこんなにわかりにくい、難解な手紙を送るのか。
何がコイツをそうさせるのか。
やはり、部活のあとに「ジュースを飲むため」と称して金を借りまくったことが、それほどまでに溝を作っているのか。
小折はそこまで信頼感のない相手と、もしかしたら義家族になるのかもしれない予感に打ち震えた。

ひとり打ちのめされた小折をその場に残し、店の主人はカウンターの向こうに戻っていった。
小折は思った。
まあいい。夢なんだから。
そう考えると少し気が楽になり、スプーンでデザートを食べ始めた。

食事を終えた小折は、店を出て歩きながら、今すぐにでも目覚めることを期待した。
この夢は、いつ終わるのか。

だが、夢が終わることはなかった。

店の主人はその後もタメ口で距離感がよくわからないままであったし、手紙の送り主はその後もなんとなく邪悪に、一見当たり障りのない挨拶が薄墨で書かれている手紙を、小折の元に送り続けるままであった。

目覚めない夢、それは現実であった。

(おわり 020/030)
 
 
☆☆☆☆☆☆☆
 

 ↓結局、難解な手紙に書いてあったのは何だったの?という話がこちら。

suika-greenred.hatenablog.com

↓「どしり屋」店主の名前、そして過去が発覚する話はこちら。 

suika-greenred.hatenablog.com

↓伊名井駅前には定食処「どしり屋」だけでなく、タピ屋もあるぜよ…。タピオカ屋というのも、いつまで存在するのでしょうか…。流行り廃りのことは、私にはまったく予想がつきませぬ。

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