4度目はおまえが
小さなころから褒められた。
いい子だね、偉いね。
幼稚園でも、小学校でも。
だいたいいつも目立つグループ。
中学校で、隣のクラスの鍵沢瞳を初めて見たときに思ったことは。
こいつんち、貧乏なんだろうなって。
もちろんそんなこと、言葉に出して言わないけれど。
瞳は、制服のサイズが合っていなかった。
まさかのお下がり。
制服がぶかぶかだった。
おまけにテカっていた。1年生のころから、瞳の制服には謎の貫禄があった。
その後、瞳は身長がグイグイ伸びて、一時期は制服と同じサイズになった。
でも、瞳の身長はそれからもグイグイ伸び続けて、やっぱりサイズは合わなくなった。
今度は制服のほうが小さくなった。
だから、中学校の2年の終わりのほうの冬服からは、瞳は制服の上着を着なくなった。
制服の白いシャツの上に、ジャージをいつも着ていた。
ジャージは男子用なのか、サイズは合っていた。
受験のとき、どうするんだろう。
とは、そのときの俺は思わなかったけれど、翌年、受験が近づいてきたころ、なんとなく思うようにはなった。
同じクラスになったことはなかった。
でも、いつも上着だけジャージの、背の高い後ろ姿を目で探していた。
瞳は背が高い。
俺は、最初から追いつけなかった。
俺の中学は、朝礼で背の順に並ばされた。
いつでも瞳は一番後ろにいた。
クラスが変わっても、いつも軽々と誰よりも高いところから見ていた。
俺は、だいたい前のほうにいた。
瞳が制服よりも小さかった時代でも、俺はそれより小さかった。
そして瞳の背がグイグイ伸び始めて、中2の夏休みが終わった9月、ジャージを身につけた、夏休み前よりすらりとした瞳の姿を見たときに、もうあきらめた。
何かをあきらめた。
何をあきらめたのかは自分でもわからない。
中学3年。瞳と俺はまた隣のクラスだった。
同じクラスになったことはない。
その後もずっと。
だけど、職員室で、偶然聞いてしまった。
瞳のジャージ問題を。
制服の上着がないと面接の時に困る。
新しい上着を買ってもらいなさいと、デカい声でくどくど注意されていた。
周りに聞こえるような、デカい声で説教するなんて嫌な教師だと思う。
瞳はそんな教師に目をつけられて不運だった。
でも、俺にとっては幸運だった。
瞳が志望する高校がわかった。
デカい声で言っていたから。
意外と偏差値が高い。「意外と」と言うと、すごく下に見てる感じがするな。
そういうとこに現れるよな、無意識の差別意識って。
瞳の志望校は、俺の成績だとどう頑張ってもギリギリ受からなさそう、といったところ。
だけど、俺は落ちたとしても私立高校に行くという選択もできたから。
なんとなく、受けるだけ受けてみることにした。
瞳は一般のみで受けるつもりらしかった。
俺も一般で受けることにした。
瞳が一般入試を選んだ理由は、面接がないから、のようだった。
ここまで来て上着を買うつもりはない、ということらしい。
ジャージで入試を受けに行くつもりなのだろうか。
俺の中学では、公立高校の入試は、同じ高校を受ける者同士が固まって連なって試験を受けに行くことになっていた。
その高校を受験したのは、俺と瞳と、そしてもうひとり。
そのもうひとりは、男子だった。
俺はそいつと、なんとなく話しながら受験会場に向かった。
瞳はほとんどしゃべらず、あとからついてきた。
受験会場でコートを脱いだ瞳は、見たことのないセーターを着ていた。
学校指定のセーターに見えなくもない、でも微妙にちょっと違う、そういうセーター。
制服の上着はもちろん着ていない。
最後まで買わない気なんだな、と俺は確信した。
セーターについて何か言うとイヤミになってしまいそうだった。
俺は学校指定のセーターも持っていたし、自分の体に合った制服の上着も持っていた。
もし制服が合わなくなるほど成長しても、たぶん新しい制服を買ってもらえただろう。
たとえ卒業まであまり着る機会がなかったとしても。
でも、俺はそこまで背が伸びなかった。
どちらが幸福なのかはわからない。
どちらにしろ、セーターについて瞳と話すことはできない、俺はそう判断した。もちろん制服の上着に関しても。
身長については、話題にしていいのかどうか判断できなかった。
俺はうらやましかったけど、本人が自分の身長をどう思っているのか不明だったから。
そうしたらもう、何を話していいかわからなくなった。
無意識に差別的なことを言ってしまうかもしれないと思うと、何も言えなかった。
結局、行きも帰りも試験の前後も、一言も瞳と口をきけないままだった。
俺は瞳に気を取られ、それはそれは気が散っていたが、なんとか高校に受かった。
合格発表を見に行くのも3人だった。
3人とも受かっていた。
ほかのふたりは当然のような顔をしていた。
大した感慨もなく合格発表の番号を眺めていた。
「あ、あった。ほんじゃ帰るか」
そんなノリだった。
俺はと言えば、奇跡の合格だった。
報告に帰った中学で、生徒指導室の扉をバーン! と開けてしまったくらいだ。
あとにも先にも、あんなに景気よくどこかの扉を開けたことはない。
「
「なんだよ。話聞いてくれるんじゃなかったのかよ」
派遣会社の寮の1室である。
祭橋は虫かごを窓際に置き、中に入ったクワガタを温かな目で見たあと、深丸に向き直った。そして、やや冷ややかな目になりながら言葉を続けた。
「話を聞くのはいいですけど、いつまで中学時代が続くんですか。その調子で話されると、明日の勤務が始まってもまだ話が終わりませんよ」
「だって出会いだからさ。一番印象に残ってるの、中学時代の瞳だし」
「正直、聞いてても、
「ない」
「ないのになぜ惚れるんです」
「俺が知るわけないでしょ。気づいたら落ちている、それが恋」
「名言ふうに言わないでください。見た目がきれいだから、身長高い女性が好みだからってとこですか」
「そうだけど……。そんな味気ない言い方しなくても」
深丸は仏頂面になった。そんな仏頂面の深丸にはお構いなしに、祭橋は思うところを余すことなく伝えた。
「俺も睡眠取らないといけないんですよ、明日の勤務に向けて。要点だけ話してください」
「思い出話の要点だけ言えとか……。祭橋、おまえは本当にわかってないな」
「わかってなくて結構です」
「要点、要点ね」
深丸は思い出を要約し始めた。
高校でも、ひとことも言葉を交わさなかった。
鍵沢瞳の姿を見るだけで、動悸がして何も言えなかった。
だけど同じ大学を受けてやろうとは思っていた。
どこの大学を受けるのか、本人に聞こうとした。
だが、声を掛けることすらできなかった。
鍵沢瞳と仲のいい女子には声を掛けることができたので、その女子から鍵沢瞳の志望校を聞き出した。
その、瞳と仲のいい女子とは、その後は話していない。
話していれば、あんなすれ違いは防げたのかもしれないのに。
「何です、すれ違いとは」
「瞳、大学受けてなかったんだよ。途中で進路変えて。俺だけ大学行ってた」
「うわぁ、間抜けですね。鍵沢さんはどうしてたんです」
眠そうに、なげやりに祭橋は聞いた。
とりあえず聞き終われば眠れる。話を終えることが最優先、という態度だった。
「結婚してた。別の男と」
「けっ……」
祭橋は目を見開いた。
「……っこんて。え、今も旦那さんがどこかにいるとかですか?」
「今はいない。3回結婚して3回離婚して、今に至る」
「え、それ俺に話して大丈夫なやつですか? あとでなぜか俺が叱られるとかないですよね?」
「さあー。職場では離婚歴があることは言ってるから、大丈夫じゃね。叱られるとしても俺だと思うし」
深丸と鍵沢、そして祭橋は現在、同じ職場で働いていた。
祭橋は慌てつつも、思いついたように深丸に確認した。
「訴えられるとしても深丸くんですよね」
「そう俺……って、『訴えられる』?」
「わかりませんけど、個人情報に厳しいご時世ですからね。訴えられてもおかしくありませんよ」
「よし、わかった。祭橋、今聞いたことを忘れてください」
「無理です」
「そこをなんとか」
「無理です。というか目が冴えてしまいました。眠れなくなったら俺も訴えます」
「おまえもか」
深丸はがくりと肩を落とし、こうべを垂れた。
そのうなだれた深丸のつむじに向かって、祭橋は話しかけた。
「あの、まあ今さらですけど、俺、噂話、好きじゃないですし、誰にも言いませんよ。つい口がすべって言ってしまうほど仲のいい人も職場にいませんし。あと、俺、鍵沢さん3回結婚したって時点でリスペクトです。決して悪いようにはしません」
「何だよ、そのうさんくさい台詞は……」
「いえほんとに。俺は1回も結婚できないまま終わるんだろうな~と思うと、3回結婚した人にはリスペクトしかないです。1回だとなんかちょっと『ケッ』と思いますけど」
「よくわかんない基準が」
「俺にもわかりません。とにかく大丈夫です、鍵沢さんの個人情報は」
よくわからないと言いつつ太鼓判をやたら押す祭橋に流され、深丸はうなずいた。
深丸もまた、眠くなり始めていた。
眠いのなら明日も勤務があるのだから話を切り上げればいいようなものを、なぜかふたりとも、話を終わらせないといけないと思い込んでいた。
んだからさ、俺はさぁ。
なんか祭橋の眠気がうつったな。
わかってるよ、要点ね、要点。
一時期、瞳のほうからいろいろ誘ってくれた事があって。
もちろん向こうが離婚したあとで、次の結婚をする前、独り身のときだよ。
俺も変わらなくちゃって思ってさ、話だけはできるようになった。そうしたら、いろんなとこに誘われた。ふたりで食事に行こうとか、いろいろ。
でも俺、なんでそんなに瞳から誘われるのか、わからなくて。
え、だって、瞳、ほかの男と結婚したじゃんって。
俺のこと、どうでもいいから結婚したんじゃないのって。
なのになんで今さら誘ってくるのって。
俺が追いかけ回してたからチョロそうだと思ったのかな。
瞳がどう思ってたのか知らないけど、俺はそう思った。
馬鹿にされてるのかなって思って、瞳からの誘いを全部断った。
そういうこと繰り返してたら、瞳はほかの男とまた結婚して。
そのまま幸せになってくれればいいのに、また別れてひとりになってた。
俺は、俺も、もうやめればいいのに、そのたびに瞳と会いたくなって。
だから前の仕事やめて、派遣会社に入って。
まあ、そう、それはね。
前の会社で、瞳とは関係なく、転職しようかなぁと思ってた時期だったから。
転職活動始める前に、ちょっとだけ瞳のそばで働いてみたかった。
今いる工場より給料は低かったんだよね、前の仕事。
その上、寮があって家賃負担ないし、今のほうが楽なんだけど、でもずっとこのままでもいられないよな。本来行きたかった方向性のスキルが積めないのはまずいよな。
でさぁ、米がさ。
なんか、話の流れで米を炊くことになってさ。
うん……。
……。
「深丸くん?」
「……」
深丸は目を閉じて、コックリコックリ、船を漕いでいた。
「終わりですかね?」
祭橋はひそひそと言った。
「終わってない」
深丸は閉じていた目を開けた。
「わっ」
「俺は、米は、おいしかった」
「……はい」
「でさ、ちょっと、俺は変われたのかなって、思ったんだ」
「……はい」
「ずっと、いい子で、偉いって言われる、でもほんとに伸ばしたかった身長は伸びない、そういう人生だったけどさ」
「……まだ終わってません」
「でも、すごくわがまま言って、なんでこの人俺に付き合ってくれるんだろう、ものすごくわがままなのにと思うけどさ」
「……はい」
「そういうの、うれしいね」
「……はい」
「米、炊いてくれるって、また」
「……はい」
「……」
「……」
今度こそ深丸は寝入ったようだ。
後半の意味はほとんどわからなかったが、なんだか喜んでいたようだ。
祭橋の直感では、永遠に片思いを続ける、万年片思い男のはずだった。
だから、優しくされるのがうれしいと言いつつ、優しさに甘えながらずるずると片思いを続ける予感がしていた。
「……4度目は」
また深丸が何かつぶやいた。祭橋は飛び上がるほど驚いて、深丸のほうを見た。
深丸はまぶたを閉じたまま、またつぶやいた。
「4度目は、誰と」
「誰と」?
祭橋は眉根を寄せた。
鍵沢の結婚のことだろうか?
「俺と」じゃないのか。
「4度目は、俺と」ではない、らしい。
よくわからない。
深丸に掛ける毛布を自分の寝床から引っ張り出しつつ、祭橋は思った。
深丸、4度目はおまえが結婚しろ。
もちろん相手が了承すればだが。
4度目は深丸、おまえが。
(おわり 013/030)
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↓この話では聞き役だった、祭橋くんの目線の話はこちら。
↓延々片思われて少々げんなりしているお相手、鍵沢瞳さんの話はこちら。
↓内容は直接関係ないけれど、恋愛なのか何なのかよくわからない何かの話。