スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

片思いの行方

片思いとはいったい何なのか。

鍵沢(かぎさわ)(ひとみ)は、アイシャドウをアイホールに適当に指で伸ばしながら考えた。

 

自他共に認める適当メイクである。
ちょっとスーパーに買い物に出かけるだけなので、そこまで気合いを入れてメイクする必要はない。
鍵沢のメイクはすべてその原理で適当化していた。

 

ちょっと仕事に行くだけだからメイクは適当で。
ちょっと食事をしに行くだけだからメイクは適当で。
ちょっと引っ越しするだけだからメイクは適当で。

 

そのうち日本のどこへ行くにも、海外へ行くにも、宇宙へ行く(行けるとすれば)にも適当メイクで済ませるようになるのであろう。
それでも日焼け止め以上のメイクをするのは、鍵沢の寮の部屋の前で待ち構えている人間がいるからである。


深丸(ふかまる)大地(だいち) という男である。

深丸は、10年以上鍵沢に片思いしている男だった。
確か初めは、中学で隣のクラスだった。
直接の面識はなかった。
しかし、ウロウロと鍵沢の視界に入ってくる男だった。


当時の鍵沢は初々しかった。何だろう、とそわそわしたものだった。
片思いを続けたい人間がいることを知らなかったのである。

 

鍵沢と深丸は、まったく言葉を交わさぬまま中学を卒業した。
同じ高校に進学したものの、そこでもまったく言葉を交わさなかった。

 

そうか。


鍵沢はなんとなく理解した。

 

というわけで、高校を卒業してから半年後、鍵沢は最初の結婚をした。

相手は深丸ではない。

結婚相手は20歳年上の男性だった。
当時、深丸とは口も聞いたことがないままだった。

 

最初の結婚は、3年後に破綻した。
子供はいなかったが、別れるのにやや苦労した。

結婚相手は、「女性とは、かくあるべし」という意識が強い男性だった。

女性は男性よりも3歩下がって歩くべし、女性は男性よりも背が低くあるべし。

鍵沢は背が高かった。自分の背を夫よりも低く見せるために、猫背で生活することに疲れ果ててしまったのだった。

 

夫が妻に求める条件くらい結婚前からわかりそうなものではあるが、本人が無意識レベルで思っていることを自覚するのは、性別とは関係なく難しい、らしい。本人が自覚していないことを他人である鍵沢が感じ取ることは、さらに難しかった。

 

まだまだ実力が足りていなかった。鍵沢はそう自戒した。

 

やっと離婚を成立させ、新しい仕事と住む場所を見つけた鍵沢の前に、深丸が現れた。
今度は向こうから声を掛けてきた。
ご近所さんだった。
結婚しているあいだ姿を見なかったため、鍵沢は忘れていた。
片思いを続けたい人間がいるということを。

 

ご近所さんなので、少しは話をする。
だが、それだけだった。


そうか。


鍵沢はまた理解した。

 

というわけで、鍵沢は離婚から1年後に深丸ではない男性と再婚した。
そして、今度は2年で離婚した。

 

結婚生活がどんどん短くなっている。
このままでは延々結婚と離婚を繰り返す人生になるのではないか。
そんな危機感に襲われた。


軽はずみに結婚すべきではない。
次に結婚するときは、もっと慎重に相手を見極めてからするべきだ。
そんな当たり前の結論に、鍵沢はやっとたどり着いた。

 

2度の離婚を乗り越えて、またもや住む場所を変えた鍵沢の前に、やはりまたもや深丸が現れた。
今度は少し親しげな様子だった。
そして、またもやご近所さんだった。


2度めの結婚生活は海外で送った。鍵沢は言葉を必死で覚えた。だが、日本人であるということで、いわれのない偏見を受けることがあった。鍵沢はそのたびに心の底から怒った。しかし、鍵沢が暮らした町には、外国人が鍵沢以外にいなかった。よく知らぬ土地で、気軽に話せる相手も、腹を割って話せる相手もできなかった。

 

まずは味方をたくさん作らねばならなかったのだ。鍵沢はそう自戒した。

 

鍵沢は、日本に戻ってきて深丸と再会したときに、旧知の友人に出会ったかのような気持ちになってしまった。ほかの友人たちとも再会したが、深丸もそのひとりであるかのような錯覚を起こしてしまったのである。

 

しかし、仲よさげに話すことができると言うだけで、特に仲がいいわけではなかった。
ただ町中で見かけたら挨拶をして話をする程度である。
鍵沢は深丸に、食事だのサッカー観戦だの映画鑑賞だの、なんだかんだと理由をつけて一緒に出かける約束を取り付けようとした。
しかし断られた。


鍵沢瞳のすべての誘いは、深丸大地に断られた。

 

鍵沢はまたもや忘れていたのである。
片思いを続けていたい人間がいるということを。

 

もしかしたら、片思いでないのかもしれない。
そう思った鍵沢は、直接聞いてみた。
「私のことをどう思っているのか」と。
深丸は「好きです」と答えた。
だが、それだけだった。
特に何も進展はないままだった。

 

鍵沢は理解した。
理解してしまったがために、あれほど慎重にならねばと思っていた3度めの結婚をしてしまった。
もちろん相手は深丸ではない。
そしてその結婚生活は5年続いた。
最長記録である。

DV夫と話をつけるのに苦労したために、なかなか別れられなかったのである。

 

鍵沢も努力はした。これ以上、離婚歴が増えるのは嫌だった。

鍵沢は1度めの結婚生活で、夫に従おうと思ってもできない自分に気づいていた。夫が考えているように暴力で他人をコントロールすることができるというのであれば、自分が勝てば夫をコントロールできるのではないか、暴力をやめさせることができるのではないか、そのようなことを考えた。

 

しかし、暴力で人の根本にあるものを変えることはできなかった。夫が改心することはなかったのである。

鍵沢は、この結婚生活を終えるために、幾度もの死闘を乗り越えねばならなかった。

 

結婚生活は、長く続けばいいというものではない。内容が大事だ。
鍵沢はまたもや理解し、自戒した。

 

やっとのことで3度めの結婚生活にピリオドを打った鍵沢は、なんとか工場に働き口を見つけた。
寮があるため、住む場所も同時に手に入れた。
ひとまず安心した。

 

そんな鍵沢の前に、深丸がみたび現れた。
正確には3度以上現れていたが、もはや何度めの再会なのか鍵沢は覚えていなかった。
またもやご近所さんである。

 

深丸は、「近所に引っ越してきた」と言う。
「寮に入っている」と言う
「同じ派遣会社だ」と言う。
「同じ工場に勤めている」と言う。
「同じシフトで働く」と言う。

 

その言葉通り、挨拶の翌日から鍵沢の職場に深丸が加わった。
もはや意味がわからなかった。
鍵沢が3度めの結婚をしているあいだ、深丸を見かけることはなかった。
離婚したことをいったいどこで知っているのだろう。

本人に聞いても、ニコニコするだけで返事はない。

 

深丸は、どこから見ているのか、鍵沢が出かけようとすると背後から声を掛けてくる。
そして、しばらく話をする。
そして、それだけである。

 

だから鍵沢は適当でもメイクをする。

ちょっと深丸が待ち構えているから、適当でもメイクして。

 

「瞳、おはよう。自転車に乗ってどこに出かけるの?」
「……」

 

本日も、寮となっているアパートの駐輪場で、自転車を出そうとしたところで声を掛けられた。

 

「呼び捨て、ムカつくからやめて」


ドスのきいた声で鍵沢は言った。


「ええー、でも今さら、さんづけってのもどうかなあと思う」
「どうもこうもないでしょ、さんづけでいいでしょ」
「じゃあ、瞳も俺のこと大地って呼べばいいよ。深丸でもいいし。それで平等」
「平等って何だろう……」


鍵沢は遠くを見ながら言った。
遠い。
初めて出会った中学時代が遠い。

 

中学時代には口をきいたこともなかった。
当時、今のように言葉を交わしていたら何かが変わっていたのだろうか。
自分が話し掛けていたら。
何かがおかしい男だと気付けていたなら。

 

いや。
何も変わらなかった気もする。

 

鍵沢は首を振り、己の考えを振り払った。
深丸が人なつこい笑みを浮かべて聞いてくる。


「ねえ、どこ行くの」
「どこだっていいでしょ」
「教えてくれないと追いかける」
「追いかければ」
「ダッシュで」
「マジ?」
「マジ。俺、足早いよ。こんな真っ昼間にダッシュする男に追いかけられたいなんて、瞳は変わってるね」
「変わってんのあんたでしょ。スーパーだよスーパー。米を買わないと」
「ああ、そういえばお米がそろそろなくなるころだね」
「なんで知ってんの」


深丸はにこりと笑った。


「いや、にこりじゃなくて。あんたまさか私の部屋に忍び込んだりしてないよね」
「してないよ」
「ほんと?」
「ほんとに」

 

鍵沢は、疑いの目で深丸を見た。
こいつならやりかねない。
鍵沢は言葉に出しては言わなかったが、態度には出した。
鍵沢がじろじろと見ていると、深丸は言った。

 

「じゃあ、一緒に買い物に行こう。それで解決」
「……なんでそうなるの」
「一緒に出掛ければ、出掛けてるあいだの俺のアリバイ成立でしょ。はい解決」
「どこがどう解決したの。あ、でもいいや。ついてきてよ。お米持って」
「いいけど、俺、腕力ないからなぁ。瞳のほうが腕っぷし強そう」
「あ、そうかもね。じゃあ私が持つわ。あんたはただの金魚のフンね」
「うん、それでいいよ」


鍵沢は自転車のスタンドを下ろし、鍵をかけ直した。
鍵沢と金魚のフンは、徒歩で一緒にスーパーに出かけた。

 

これ以上深丸と言葉を交わすと、4度めの結婚をしてしまうかもしれない。もちろん相手は深丸以外の人間だ。
鍵沢がスーパーの店内で、10キロの米袋を左腕に抱えてそんなことを思っていたとき、深丸は言った。

 

「瞳って、ごはんが好きなの?」
「まあね。前に、お米のごはんを食べたくて仕方ないときがあってさ。それ以来、お米のごはんがすごく好きになって。あんた、ごはん食べないの?」
「食べてない。外に食べに行くことが多いのと、ごはんものをあまり食べに行かないのと。自分で炊くにしても、寮に炊飯ジャーがそもそもない」
「鍋でも炊けるでしょ」
「まあそうだよね。あー、食べたいなあー、米」
「……」

 

深丸の罠だ。
誘いを掛けているように見せつつ、こちらから誘うと断る。
いつものことだった。
そしてこれをやられると、鍵沢は結婚したくなるのである。深丸以外の人間と。

 

結婚のきっかけは深丸であっても、適当に相手を選んだわけではない。鍵沢はそのつもりだった。だが、深丸を敬遠する気持ちから、ほかの男性に対する基準が優しくなってしまっていたかもしれない。
深丸ではないというだけで素晴らしい。そんな美点は、深丸本人が鍵沢の目につかなくなると、その効力をなくした。
軽はずみな結婚と誰かにそしられたことはなかったが、そう言われても仕方ないのかもしれない。

 

鍵沢は自戒を込めて思う。

今度は軽はずみに結婚しない。
深丸に誘いを断られてほかの男性と結婚する、そんな地獄のようなループから抜け出したかった。

誘ったら負けである。

 

「調べてあげるよ」


鍵沢は携帯を取り出して、鍋で米を炊く方法を調べた。


「ほら、こうやれば炊ける」


深丸は鍵沢が見せた携帯の画面をチラリと見ただけで言った。


「でも俺、不器用だからなー。うまく炊けるかなあ」
「できるって。深丸ならできる」
「ひとり分だけ炊くのって不経済じゃない?」
「ひとり分炊くのも、ふたり分炊くのも一緒だよ。つまり特に不経済じゃないよ」

 

鍵沢は、自分でも真偽がわからぬことを適当に答えた。

なにしろ、誘ったら負けなのである。

 

「でも俺、ぐつぐつ炊けるの待つのたぶんできないなー。カップ麵ですら待ちきれないのに」
「待ちきれない……って? 麺が硬いまま食べるの?」
「結果としては、そう。だいたいボリボリ食べる」
「じゃあ、米も同じでいいんじゃない? 硬いままボリボリ食べれば」
「それはさすがにおなか壊しそう」
「深丸なら大丈夫。はい解決」


鍵沢は無理矢理会話を打ち切った。
なんとか誘わずにすんだ。
安心していたところに深丸が言った。

 

「じゃあ、俺も米買う」
「……あ、そう」

 

誘ったら負けである。

 

「だから、瞳、うちに来て米の炊き方、教えてくれない?」

 

誘われるのは想定外だった。
これは、負けなのか何なのか。
そもそも勝ち負けの問題ではないのだが、鍵沢は混乱した。

 

「え、あんたの部屋に?」
「そう。だめ? 俺、何もしないよ。ほんとに米炊くしか」

 

本当にそうなのだろう。

誘わなければいいのかもしれない。
ただ米のことだけを考えていれば、4度めの結婚相手を見つける努力をしなくてすむのかもしれない。

 

断る気はなかった。
米を本当に食べたいのかもしれない、本当に鍋で炊く自信がないのかもしれないと思うと、断ることは鍵沢にはできなかった。

 

鍵沢は了承した。

 

誘ったら負けなのである。

深丸の部屋に上がり込んで、自分は誘わずにいられるのだろうか。
それとも、誘って、また断られ、4度めの結婚をすることになるのだろうか。

 

鍵沢にはわからなかった。
ただ、無心で米を炊く事を考えるのみである。

 

(おわり 012/030)

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆

 

↓この謎の関係の、深丸目線の話はこちら。

suika-greenred.hatenablog.com

↓この恋愛(?)関係を、他人事としてぼんやり見守っている祭橋くんの話はこちら。

suika-greenred.hatenablog.com