スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

寿司を食べに行こうぜ

新人研修も終わり間近ともなると、大いに疲れがやってくる。
誰の疲れかと言えば、新人の疲れである。
疲れたなどと言える立場ではない。
だから余計に疲れるのである。

 

新人たちは、同期とともに、椅子に座り、基本的なビジネスマナーを、これから働くトラーリ株式会社の来し方行く末を学んだ。
そして、同期とともに協力し、研修のメイン企画の競技でタイムを競い合い、互いの成長を願い合った。

 

その道のりは険しかった。
彼らは味の濃い燻製を肴に、酒を飲んで仲間内でブツブツ言うことで鬱憤を晴らした。

 

研修のカリキュラムが終わった日の夜、宴会が催された。
会場は新人研修が行われてきた宿泊施設「ログキャビン・イルズク」の第1棟の2階宴会場である。

 

女性に、いや、性別を問わず、「新入社員に飲み物をつがせるとハラスメントになる」と上司が恐れたために、基本的に手酌で宴会は進行した。
進行と言っても、特に芸をするでもない。飲みながら話をする会である。

 

「俺のアレルギーはさ」

 

湾田翔介がアレルギーの話を持ち出したのは、そんな宴会の終わり間際のことだった。
仕事に関する話の種も尽き、仕事とまったく関係ない雑談が始まっていた。

 

「ああ、ラテックス・アレルギーだっけ? 昨日、おまえが指切ったときに、俺が絆創膏渡そうとして断られたやつ」

 

隣にいた塔野雪晴が真っ赤な顔で返事をする。

 

「断わりたくて断ったんじゃねえ。仕方ねえだろ、絆創膏でアレルギー出るんだから」
「まあそうだよな……。大変だな、体質的なものは」

 

塔野は飲み始めから顔が真っ赤になっており、上司に「アルハラを疑われるから、それ以上アルコールを飲むな」との命令を下されていた。
その命令通りにアルコールの入っていない飲料のみを飲んでいたが、一度赤くなった顔はなかなか赤みが引かなかった。

 

「塔野くんはアルコール・アレルギーじゃないの?」

 

湾田と塔野の席のそばにいた女性社員・椎原澪が言った。
椎原は、酒類を一切飲んでいなかった。
「飲み始めるとキリがないから」というのがその理由らしかった。

 

「そうかなあ。顔が赤くなるだけで、ほか特にアレルギーっぽい症状ないんだけど」
「そうなの? じんましんが出るとかはないの?」
「ない。なんで顔だけ赤くなるのかな、飲みたいのに」
「俺のアレルギーにも興味を持ってくれ」

 

ドン。
湾田が、手に持っていたコップをテーブルに置いて言った。
塔野と椎原が、湾田を見る。

 

「ラテックス、まあいわゆる天然ゴムのアレルギーは、医者とかに多いらしいんだとよ。俺の場合は子供のころアトピーがあったり、アトピー関係ない病気で手術する必要があったりで、長いこと入院してたことがあんのよ。で、病気は治ったけどアレルギー発症するっていう。こないだネットで調べたら、日本では医者とか、ふだんラテックス使う職業以外じゃ珍しいって書かれてた。珍しくてもいるっての」
「お、おお」
「どういう症状が出るの?」
「かゆくなったり、腫れたり。俺の場合は、そこまでひどくもないんだけど」
「へえ。ゴムで」

 

塔野は、ゴムがダメなら避妊具を使えないのでは、と思いついたが、言うことを控えた。
上司がハラスメントを避けるべく全力を尽くしているというのに、自分がこんなところで同期にハラスメントをしている場合じゃない、という思いが塔野の頭をかすめたのである。

 

さらに、もうひとつ、塔野の脳裏をよぎった思い出があった。
昨夜、湾田に絆創膏を拒否られたときに言われたことだ。

 

「俺はゴムアレルギーだから、ふだんはラテックスを使っていない絆創膏を使う」と言われたのである。
ラテックスフリーのものが売られているらしい。
ということは、絆創膏以外のゴム製品でも同じことなのだろう。


塔野がそんなことを思い自分を納得させているあいだも、湾田はコップの中のビールをちびりちびり飲みながら、ろれつの怪しい口調で説明を続けていた。

 

湾田いわく、ラテックスに含まれる複数のタンパク質に対し体の中にIgE抗体ができ、過剰に反応することでアレルギー症状が引き起こされる。
その抗体と共通の抗原性を持つタンパク質にもアレルギーが起きる。

 

「それを交差反応つって、要はひとつのアレルギーがあると、ほかのものにもアレルギーが出たりするってことなんだけど」
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的な」
「全然違う。別に俺はラテックスを憎く思っているわけじゃない」

 

湾田は不機嫌そうに断言した。
適当に言った言葉に不機嫌になられ、塔野はしばし口をつぐむことにした。

 

「バタフライ・エフェクトみたいな?」

 

椎原が麦茶の入ったグラスをテーブルに置いて問いかけた。

 

「どうだろう、それも違うような」

 

湾田は考えつつ言った。


塔野は、大皿からサーバースプーンを手に取り、アボカドとエビのサラダを小さな皿に移した。旅館が用意した宴会メニューのうちのひとつだった。
小皿に取り分けたアボカドの小さなブロックをフォークで突き刺し、口に放り込む。

 

「それうまいのか?」

 

湾田が塔野に尋ねた。

 

「いや……、アボガドだねって感じ」
「なんだそれ」
「素材そのままの味」

 

塔野は、アボカドをもうひとつフォークで突き刺し、口に入れた。
何も食べずに飲むせいで顔がやたらと赤くなるのかもしれない。
酒以外のものを胃に入れたほうがいいのだろうか。
特に根拠もなくそう思ったのである。

 

「うん、アボガド」

 

味についての感想はこれだけである。
椎原も、アボカドのサラダを取り分け、食べ始めた。
あまりにも言葉足らずな塔野の感想に、自分も食べてみたくなったらしい。
そして咀嚼し、飲み込んでから言った。

 

「ほんとだ、アボカドだ」

 

湾田は、塔野と椎原の顔を順に見たあと言い放った。

 

「アボ『ガ』ドなのか、アボ『カ』ドなのかよくわからんけどさ。俺も食べてみたい」
「食べれば。皿いる?」

 

塔野は、湾田の返事も聞かずに小皿を差し出した。
湾田は、それを受け取ると、受け取った小皿を見つめてうつむいた。

 

「さっきの、アレルギーの話なんだけど。ラテックス・アレルギーがあるやつは、アボカドにもアレルギーある可能性があるらしい」
「そんなんあるの?」

 

塔野が問い返すと、湾田は黙ってうなずいた。
椎原が、横に置いたポーチともクラッチバッグとも言えそうな小さなバッグから携帯を取り出し、なにやら操作したあと、その画面を見ながら言った。

 

「ほんとだ。アボカドだけじゃなくて、キウイとかバナナとかも書いてあるけど」

 

携帯で検索したらしい。
湾田はうんうんと、うなずきながら言う。

 

「そう。俺、手術でアレルギー出るようになったんだけどさ、それまで普通に食べたことあるのよ、キウイとかバナナとかは。唯一食べたことなかったのがアボカドなんだけど、アレルギー出る可能性あるから食えんのよ。だからよりいっそう食いたくなるっていう」
「いや、食っちゃいかんだろ」
「症状が重いとアナフィラキシー・ショックが出る可能性もあるって」

 

椎原が携帯を見ながら言う。
塔野は、先ほど自分が手渡した小皿を、そろりと回収した。
小皿のフチに指をかけ、浮いた手のひらでフタをした塔野を尻目に、湾田は言葉を続けた。

 

「そこまで重く出ないと思う。俺の場合、ラテックスのアレルギーもそこまで重くないし。ちょっと皮膚が真っ赤になるくらいで」
「いや、わからんだろ。食べ物と非食べ物だし。唐突に重いのが来たらどうすんの」
「そうだよ。それに、何もここで試さなくても。家で食べれば良いのに」
「だってみんな食べててうまそうだから」

 

湾田が無愛想に放った言葉に、塔野と椎原がほぼ同時に反応した。

 

「なんでスネてんだよ」
「意味分かんない」

 

が、同期の言葉をまったく聞いていないらしい湾田は、無愛想な口調のまま続けた。

 

「俺も食べたい」
「いや食べんなよ」
「やめなさいってば。アレルギーなめてんの?」
「アレルギーをバカにしてんのはそっちだろ」
「バカにはしてなかったけど、バカにしてるように見えたとしたら、アレルギーじゃなくておまえをだ、湾田。俺はおまえをバカにしてる」
「あんだと?」
「そうだよ、湾田が悪い」

 

塔野と椎原の、湾田に対するディスが最高潮を迎えた。
湾田が、サーバースプーンをつかもうとする。
その湾田の手を、真っ赤な顔のままの塔野が押さえつけた。

 

「やめとけって」
「食べたい。俺はアボカドを食べたいんだ」
「危ないって……」

 

椎原も、湾田の手を押さえる。
塔野は、椎原に向かって言った。

 

「俺が湾田を押さえてるうちにすべてのアボカドを皿に取るんだ、椎原さん」
「わかった」

 

椎原は、湾田を押さえ込んでいた手を離すと、サーバースプーンと小皿をつかんだ。
料理の入った大皿は何皿かあったが、アボカド入りの皿はひとつだけだった。
その皿から、椎原がアボカドを器用にサーバースプーンですくい上げて小皿に取り分けていく。

 

「あっ、ちょっ、俺も。俺も食べる」
「はいはいダメですよ~」

 

塔野が湾田を押さえ込みながら、なだめる。
自分はいったい宴会で何をやっているのだろうか、という疑問が塔野の脳裏をかすめたが、気にしないことにした。

宴会場からは人が減っていた。
気づくと、いつの間にか上司の姿もない。

酔い潰れて部屋に送り届けられたのだろうか。
塔野は、湾田のアボカドへの謎の執着のせいで、周りの状況がよくわからなくなりつつあった。

 

「取り除いたけどさ、塔野くん」
「おっ、お疲れさん」
「うん。でもさ、アレルギーってあれだよね? 一緒のお皿に入ってたりすると、アボカド自体を取り除いても、同じ大皿の料理食べたら、たぶん症状出るよね?」
「あ、そうか」

 

共通の調理器具を使っているとしたら、湾田は、この場にあるすべての料理を食べられない可能性がある。
しかし、自分では酔っていないつもりでも酔いが回っていたのか、塔野と椎原は、このアボカドの大皿さえ何とかすればいいような気がしてしまった。

 

「じゃあもう、食べるしかないね」
「え」
「私がこのお皿のおつまみ食べとくから。塔野くん、湾田くんを引き続き押さえてて」
「あ、うん」
「ああっなんだよそれ椎原さん」

 

湾田の叫びもむなしく、椎原は大皿のつまみをひょいひょいとフォークで口に運んだ。

 

「ああ……、っていうか、椎原さん、なんでそんなうまそうに食うの……」

 

塔野に押さえつけられ、椎原の食べっぷりを目の前で見せつけられた湾田は、反抗する力をなくした。
おとなしくなった湾田を離すと、塔野はさきほど椎原が取り分けた、小さな山のようにアボカドが積み上げられた小皿に手を伸ばした。
椎原が、口の中のものを飲み込んでから塔野に声をかける。

 

「そっちは塔野くんお願い」
「わかった」

 

何をわかったのか自分でもよくわからなかったが、塔野はとりあえずそう返事した。
アボカドが山盛りになった小皿を見る。
塔野は特にアボカドを食べたいとは思っていなかったが、これも湾田のためである。
アボカドを見ていると食べたくなってしまうのかもしれない。

 

(ならば、俺が食べる――!)

 

塔野は、そんな使命感とともにアボカドをフォークでかっ込んだ。

 

「全部食った……」
「……うぷ」

 

小皿のアボカドを一気に食べた塔野は、何も言うことができなかった。
湾田の呪詛のようなつぶやきだけが辺りに漂う。

 

「覚えてろよ、塔野……。目の前でアボカドを全部持ってかれたうらみ、いつか晴らすからな……」
「別に塔野くんは嫌がらせで全部食べたわけじゃないでしょ」

 

大皿のアボカド(を取り除いた)サラダを平らげて平然としている椎原が、湾田をたしなめた。

 

「がんばって食べたのに、なぜ恨まれるのか……。湾田、おまえひょっとして、性格悪いのか」
「知らん。自分の性格がどうであろうとどうでもいい。エントリーシートには『長所は最後まであきらめないところ、短所は大雑把なところ』とか書いたが、どうでもいい」
「嘘は言っていない気がするのが怖い」

 

椎原がポツリと、湾田のエントリーシートの「自分の長所と短所」に関する感想をこぼした。
最後まであきらめない人間がうらみを抱いた場合、どうなるのだろうか。

 

塔野は、アボカドの脂っこさが残る口の中をどうにかしようと、先ほどから飲んでいたウーロン茶の入ったコップを手に取り、ごくりと飲み干す。

 

「脂っこい。よく言われるけどさ、アボガドをわさび醤油で食うとトロに似てるって。確かに、脂っこさは似てるかもな」
「そういえば、私も『アボカドと卵黄を混ぜるとウニ』とかも聞いたことある」

 

塔野の言葉に椎原が付け足した。
それを聞いていた湾田が、不意に言った。

 

「よし、決定だ」
「何が」
「塔野、椎原さんも。研修終わったら、俺と寿司を食いに行こう」
「寿司を?」
「寿司を。トロとウニを食いに行こう」
「そんな金があると思うのか、俺に……」
「じゃあ、俺がおごる。アボカド寿司もやってるとこがいい」
「それ大丈夫なの? アボカド握ってるお寿司屋さんで握ったお寿司って」
「じゃあ、目の前で握る寿司屋じゃなくていい。どっかでアボカド寿司買って、トロとウニも買う。そんで、俺がトロとウニを食ってるとこを見ながら塔野、おまえはアボカド寿司を食え」
「な……なんだそれは」
「何の意味があるの……」
「それで平等だ」

 

湾田が、自らうなずきながら言った。
塔野は、湾田の言ったことの意味を考えようとして、わけがわからなくなった。

 

胸焼けの予感がしていた。脂っこいものを食べすぎたのだろうか。
なんで俺がこんな目に合わねばならんのか。
それは、すべてのアレルギーの人間が言いたいことと同じなのか。
平等とは何なのか。

 

塔野はぐるぐると渦巻く考えを、ウーロン茶とともに飲み込んだ。
あまりぐるぐるが続くと、胃の中のアボカドが戻って来る予感がしたのだった。

 

脂っこいものを食べたい湾田の気がしれない。
気が済むまで湾田はトロでもウニでも食べればいい。
塔野はそう思い、トロとウニを食べて大喜びする湾田を思い浮かべた。

 

大喜びしているのならいいのかもな、という気がしてきた。

 

塔野は心のメモに、「湾田(と椎原さん)と寿司を食べる」、と書き込むと、またひとくちウーロン茶を飲み込んだ。

 

(おわり 27/30)