スイカごっこ

今のところ創作の話を少々のびのびゴロゴロと

新人研修の罠

「この燻製、ほんとにうまいんだけど」
「止まらない」
「Twitterで言ったらだめかね、今日の研修のこと」
「ダメだろ」
「バカッターとか言われるだろ」
「そうか~ダメか~。何だったんだろ、あの謎のメッセージ。集合知に問いかけたい」
「まあ、確かにな~」
「聞いてわかるかね」
「どうかね」

 

もぐもぐ、むしゃむしゃ、ごくごく。
そんな音とともに、この会話である。
この部屋には3人の男性がいたが、誰がどれを言ったのか本人たちにもよくわからないほどの、酒気が香るぐだぐだ会話である。

 

3人は、全員、宿泊施設「ログキャビン・イルズク」での新人研修に参加していた。
今は夜だ。
昼間にあったイベントを、同室の人間が、発泡酒とつまみの燻製とともに、「ああでもない、こうでもない」と部屋で語る時間が訪れていた。
昼間の「オリエンテーリング」についてである。

 

「『オリエンテーリング』? って何? 新人説明会みたいなの?」

 

塔野雪晴が疑問を口にすると、湾田翔介が、バカにしたように答えた。

 

「それは『オリエンテーション』だろ。『オリエンテーリング』は、山ん中歩くやつ」
「そうそう、スポーツ、スポーツ」

 

湾田の口調に塔野が何か言い返そうとした、その合間を縫って相槌を打ったのは取井だった。

これらは、昼間の彼らの会話である。
昼間の彼らは、このときのために持参した、山歩きに適した服装と靴とリュックを身につけていた。

 

トラーリ株式会社社の新人研修にておこなわれるオリエンテーリングでは、山の中にポールが転々と置いてあった。
そのポールには、QRコードが貼られている。
貼られたQRコードを自らの携帯で読み取り、読み取ったものを事前にチームごとに配られたカードに書き入れる。
アナログとデジタルが、ほどよく混在した謎のイベントだった。
各自が持っている、開始とともに配られたカードの裏には、山の地図が書かれていた。

 

「地図にQRがどこにあるのか書いてあるね……」

 

塔野がつぶやくように言った言葉をさえぎるように、湾田が言葉をかぶせる。

 

「大雑把すぎだろ、この地図」

 

地図には、ブナ林、滑車で滑り降りられる斜面のあるアスレチック広場、山小屋、駐車場のそばにある建物などなど、目印とともにQRコードのありかが書かれていた。

塔野は、うっすらと「湾田は性格が悪いのではないか」という疑いを、この新人研修が始まった当初から持っていた。
四六時中、一緒にいる泊まりの研修で、モメごとを起こすのは避けたい。
塔野は、この研修のあいだだけは、湾田が何を言おうが、風になびきまくる柳のように受け流すことにしていた。

湾田には構わず、塔野は取井に相談することにした。

 

「11個もあるんだね」
「んじゃまず、1個目……」

 

そこへ、湾田が携帯を見ながら口を挟んだ。

 

「あ、LINE」
「ほんとだ。英川チームはもう1個目発見か~」

 

取井も携帯のアプリを切り替え、LINEを確認したようだった。

 

今年のトラーリ株式会社社の新入社員は、全部で6人だった。
トラーリ株式会社は、規模の小さい会社なのである。
小さいが、新人研修にだけは、やけに力を入れる。それがトラーリ株式会社である。

 

オリエンテーリングのチームは、女性と男性で別れていた。
女性チームは、暫定的チームリーダー英川夏海の名を取って、英川チーム。
男性チームは湾田チームと呼ばれていた。

ここにいるのは湾田チームの3人である。


3人はスタート地点で英川チームに追い抜かれ、そのまま彼女らの姿を見ていない。
しかし、このイベントが始まる前に、研修に参加している社員全員が参加するLINEのグループを作っていた。緊急事態用である。姿は見えないが、連絡だけは取れる。

 

「QRの内容、教えてもらえないかな。情報共有。うちらは2個めを探して教える」

 

塔野が、思いついたことを言ってみる。

 

「ああ、偶数番めのQRを探すチームと、奇数番めを探すチームに別れるってこと?」

 

取井が相槌を打つと、湾田が問題点を挙げる。

 

「競技なのにいいのかよ」

 

取井が携帯の画面を見ながら、沈痛な面持ちでつぶやく。

 

「いいも何も、今まさに英川チームに断られた」

 

LINEで共闘を持ちかけてみたが、断られたのだった。
塔野はとりあえず、この場にいない英川チームに何か言いたい気分になった。

 

「真面目、冷たい、超優秀」

 

持ち上げているのか、けなしているのかよくわからない悪態もどきが塔野から出たあと、3人は携帯をリュックにしまって再び歩き始めた。

 

「男女混合のチームじゃなくていいのかね、なんかポリコレ的に」
「それはそれでなんか……、山の中歩くのに混合チームで大丈夫か問題があるような」
「いや、山歩きながら下心燃やすほど体力ないよ、俺」
「それは俺も」
「まあね」

 

そんなどうでもいい会話をしているうちに、湾田チームもひとつめのQRコードにたどり着いた。

 

「1個目発見~。ざまぁ!」
「1個目でいいのかな、合ってる?」
「合ってるだろ、『1』って書いてあるもの、QRコードの上に」
「それもそうだね」

 

というわけで、全員携帯をリュックから取り出した。
そしてQRを読み取るべく、アプリを起動してQRコードがちょうどいい感じで読み込める位置を模索した。

 

「お、読み取った。えーと、『H』だな」
「『H』」

 

全員が読み取ったアルファベットをカードに書き込む。
書き込んだあと、リュックに携帯、ポケットにカードとペンをしまいながら湾田が誰にともなくつぶやいた。

 

「アルファベットなんだな、何が書かれてるのかと思ったら」

 

塔野も同意を表すためにうなずきながら言う。

 

「何だろ、つなげると意味がある言葉になるとか?」
「1文字だけではなんとも言えないか。次行こう」
「よっしゃ」

 

徐々に出てきたやる気を糧に、湾田チームも2番めのQRを目指して歩き始めた。

 

はあ、はあ。歩いてるだけなのに息切れとはこれいかに、ぜい、ぜい

 

塔野が息を多量に含んだ言葉を漏らす。湾田が短く答えた。

 

「競技だからな」
「低い山だけど、真面目に歩くと、けっこう来るものがある」
「で、英川チームと出くわさないってどういうことだっていう」

 

湾田がそう言うと、取井が今気づいたかのように、辺りを見回した。

 

「ほんとだ。俺らと同じくらいか、上回るスピードで歩いてるってことか。まったく迷わず」
「迷ってないかどうかはわからんけど、ふう、ふう

 

まだ余裕を見せていた湾田がリュックから携帯を取りだし、LINEをチェックする。
湾田は驚愕の表情を見せると、驚きの声を上げた。

 

「3つめ発見……!?」
「迷ってないみたいだな」
「はええ。足どうなってんの。つうか、何かに乗ってんの? 登山鉄道とか」
「んなわけない」
「そうだけど……尋常じゃなく速え」

 

自分たちは甘かったのかもしれない。
そんな空気が湾田チームを覆った。
しかし今さら本気を出しても負ける。
これほどまでに速いチームと競ったら負ける。
その思いが、3人をさらなるぐだぐだに追い込んだ。
塔野が口を開く。

 

「まあ、俺らはゆっくり」

 

塔野に最後まで言わせずに、湾田が言葉を発する。

 

「ゆっくりしすぎてもまずいんじゃないか。タイム見られるんだろ、あとで」

 

取井が横から、湾田に同意するそぶりで言った。

 

「サボってたみたいになるのはまずい」
「んじゃ、ほどよく急ごう」

 

サボってはいない、一生懸命に頑張りはしたが、純粋に足が遅くて負けたのだと胸を張って言えるくらいのタイムを目指すことになった。
その後、順調にふたつめ、3つめのQRを見つけたものの、英川チームが常に先を行っているため、特に何の感慨もない。

 

「次は何だ、4個目か」
「英川チームは6個め目指してるってさ」
「英川たちと俺らを比べるな」
「そうだ、上を見てばかりじゃ首を痛める」

 

湾田の言葉に同意した取井が、ぼやくように言った。
塔野は、気になっていたことを口にしてみた。

 

「『足が遅くて負けた』って堂々と言っていいものなのかね」
「どうだろう。つうか、言い訳が通用するかどうか考えてる余裕ない、けっこう必死よ、俺、今」
「わかる」
「わかられても」

 

余裕がないのか、話をしている時点で余裕があるのかよくわからぬ一行の山歩きは続く。
4個目、5個目、そして6個目のQRコードは難なく見つけた。
しかし、やはり先行チームがいるため、そのあとを追うことは、もはや単なる作業でしかなかった。

 

「7個目のQRはどこかいな……」
「お。英川チーム、10個目発見したみたいだ」
「おお。そうか」

 

もはや差がつきすぎて、焦りや嫉妬すら生まれない、平和な空間がそこにあった。
3人とも携帯を持参してはいるが、湾田以外のふたりは、すでに携帯をリュックにしまっていた。LINEはひとりがチェックしていれば事足りたので、バッテリー残量の温存のためにそうしていた。

 

「英川たち、最後のアルファベットを予想してるな」
「予想? どうやって」
「規則性があるとか? 英文になってるとか」

 

湾田の言葉に、塔野と取井が反応した。

 

「そうみたいだな。たぶん英文は『Hang in there』だろうから、最後の文字は『e』だろうって」
「ハンギン?」
「ゼア。『ふんばれ』とか『逆境に負けるな』とか、つらい状況にいる人に言う『がんばれ』らしい。……と、英川チームが言ってる」
「ほう」
「今の俺たちにちょうどいい言葉なのだろうか」
「もはや、つらいとかって次元じゃないんだけど」
「逆に平和だよな、今」
「もう無事に帰れればそれでいい」
「最後まであきらめないなら、俺から特に言うことはない」

 

湾田チームのメンバーは疲労のあまり足が上がらなくなってきており、つまずかないように足元ばかり見ていた。
それでもサボる気になれなかったのは、湾田がうるさかったからだ。


湾田には、途中であきらめることを特に嫌う性質があるようだった。
湾田が歩きながら言うには、「QRコードは、読み取られたかどうか、何人が読み取ったか、そういう情報がコード作成者に伝わっている」とのことだった。

 

競技というものは、必ず誰かが負けるものなのだから、足が遅いあまりに新人同士の競争で負けてもおそらく大したことではないだろうが、サボっているのはまずい。

ふたりの歩くモチベーションが切れそうになると、湾田は、ふたりにそう言い聞かせるのだった。


1番になることを避け、2番手につけていつでも抜かせる状態をキープしたほうが気が楽だ。2チームしかいないから、2番手=ビリだというだけの話だ。
湾田はささやき続けた。

それが悪魔のささやきなのかどうかは、ふたりにはよくわからなった。山を歩くので精一杯で、それどころではなかったからだ。


そんな欺瞞に満ちた平和な空気を醸しながらも、湾田チームもやっと11個目のQRコードにたどり着いた。

 

「発見~! あれ? あれから英川チームからLINE来てないけど、もうゴールしたのかな」
「だろうな。よし、じゃあ最後のQR~」

 

塔野の気の抜けたかけ声とともに、3人は携帯をQRコードに向けた。

 

『t』……!?」
『t』だな」
『t』だ」

 

3人はそう言ったきり黙った。
しばし携帯の画面を見つめる。
画面に表示されているのは、どこからどう見ても「t」の文字だった。

 

「『e』じゃねえのかよ!」
「騙された!」
「罠だったのか! 英川チームがわれわれを罠に!」

 

そんな陰謀論が湧き起こった。
それが昼間のイベントだった。

 

その後、3人も英川チームからかなり遅れてゴールした。
そして、イベントが終わって山から帰り、解散になったあと、湾田が英川チームに直接問いただした。

われわれを罠にハメる気だったのか、と。

英川チームの言い分はこうだった。

 

「そんなつもりは、いっさいない」
「あなた方を罠にハメたり、騙すつもりはない」
「単にわれわれが予想を誤っただけである」
「あなた方がサボらなければ特に問題のない誤りだ」
「現にあなた方はサボらず、最後の1文字を間違えもしなかった」
「どこに問題が?」

 

どこに問題があるのかは湾田にはわからなかった。ほかのふたりにもわからなかった。
もしかしたら、問題は自分たちの中の劣等感にあるのかもしれない……とは誰も思わなかった。
そんなことを研修中いちいち認めていたら、身が持たない。

 

というわけで、3人はこの小事件を水に流すことにした。
しかし、夜になり、部屋で本日の反省会を自主的におこなっているうちに、別のことが気になり始めた。

「結局、あの英文は何だったのか?」問題である。

 

当初「Hang in there」だと思われた英文は「Hang in thert」だった。どう読めばいいのかすらわからない。

 

「単に間違えたとか? QR用意した側が」

 

塔野がそう言うと、湾田が疑わしそうに返す。

 

「それはねえだろ……」
「ほかの意味があるとかじゃないか? ハンギンゼアじゃない意味が」
「ほかになんかあるのか? これ」
「Hang inth……ハッ!」
「どうした湾田」
「わかった、これ、『the』だ。『the rt』だ」
「RT」
「リツイートだ、『リツイートに吊るせ』!」
「英語としておかしくないか?」
「おかしいけど、引っかけ問題だったんだろ。引っかけようとするあまりに変な英語になったとか」
「それだ!」

 

湾田の仮説に、3人は、にわかに盛り上がりを見せた。
序盤こそ手探りで話していたが、今では仮説は確信に変わっていた。
湾田はLINEでこの推理を披露し、英川チームから「すごい! なるほど!」という絶賛を受けた。

 

「やっぱ、そうだろ」
「これ、今もイベント続行中ってこと?」
「誰かのリツイートに吊さなきゃいけないってことか」
「どのリツイートに?」
「吊すって、リプかな?」

 

3人は相談しながらTwitterをウロウロする。
会社の公式アカウントは、本日は朝以降、沈黙したきりだ。
社内の誰かのアカウントだろうか。
誰かがリツイートしていないだろうか。

 

「あ! 加藤さんがリツイートしてる! しかも数分前」
「ホントだ」
「燻製食ってる」

 

加藤はこの研修に参加している先輩社員である。
本日の企画も加藤が中心となって準備したらしい。それは3人も知っていた。

 

その加藤が、3人が今いる宿・イルズク(の公式アカウント)が本日したツイート「手作り燻製についてのブログを公開しました」をリツイートしているのである。

 

リツイートには加藤の、

「これおいしい。今食べてる」

という言葉が添えられていた。

加藤も今、燻製を食べているらしい。

 

「加藤さんも今、食べてるのか」
「これじゃね? これにリプしていけばいいんじゃね?」
「よし、英川チームにLINEだ」

 

英川チームに連絡をすると、新人チームは全員が一丸となって加藤にリプライを送った。RTに吊るしているように見えるように。

 

いわく、

「僕たちも今食べています!」
「おいしいですよね!」
「そんなにおいしいなんて!」
「私も買ってみます!」
「お土産にぴったりですね!」
「おいしすぎます!」
……
……

 

「吊るせ」と言うからには、ひとつでは足りないのかもしれない。
酔いと山歩きの疲労で眠けに襲われながらも、3人はリプライを送り続けた。

 

ひとしきり送ると、眠りたがる体を無理矢理動かして、歯を磨いたり、ゴミを片付けたり、諸々の寝支度をし始めた。
3人は誰も携帯を見ていなかった。
本日の研修は終わった、そう思っていたからだ。

 

だから、そのときLINEで起きていた、加藤と英川チームによる、以下の会話も知らないままだった。

 

「今日の研修の英語、『Hang in the RT』なんですよね? 吊るしてみました!」
「え、何?」
「何って、英文が『RTに吊るせ』になってるから、リプを送れってことですよね?」
「あ、今、初めて英川さんたちのトーク見た。英語、間違ってた? 終わったあと、カード見て英文チェックする係、俺じゃないから昼間気づかなかった」
「まちがっ」
「うん、あれ、『Hang in there』で合ってる。こっちが間違えてた、すまん」
「間違えてたって……、じゃあリツイートは」
「関係ないよ」

 

その後、英川チームの部屋から聞こえた、「罠だ! 湾田チームの罠だった!」という叫び声も、寝る支度を済ませてすでにベッドに入っていた3人には聞こえていない。

 

3人はすでに、すやすや眠っていた。
安寧な眠りである。
明日の朝、食事どきに英川チームと顔を合わせるまでの安らかな時間であった。

 

(おわり 20/30)