本をうまく読めないのは私もだった
今日のお題は~「最近気になったニュース」。
えーと、ニュースではないんですが、気になった記事でもいいですかね。
気になった理由は、「わかる…!」と思ったからです。
私は、小さなころから本を読むのが好きです。
本を読むことが得意…なはずだった。はずだった…。
んだがしかし、一時期、体調崩したことが私にもあり、それ以来、読書に波が発生するようになりました。
「読書の波」という表現もおかしいですかね。
読める本と読めない本ができた、ということと、読める時期と読めない時期ができた、ということですね。
記事の中では音読を勧められておりましたが、私は向いていないっぽい…。自分の声を聞くとテンションが下がって、本とかどうでもよくなるもので。
自意識過剰なのかもとも思いますが、そんな自覚をしたところでテンション下がる現象がなくなるわけでもないというありさま。
あと、「短文なら読める」というのも、すごくわかる…ような気がします。
私の場合、長文が読めないわけではないんですが、エンジンがかかるまでにすごく時間がかかるようになりました。長文読むためのエンジン。
わたくし今、英語を学習しようと思って本を読んだりしておりますが、読み切れるかどうかわからない、途中で読み切れなくて投げ出すかもしれない、という可能性込みで読み始めている感じです。
昔なら意地でも読み通したのに…と思うけど、できんもんは仕方ない。
そういうことはありつつも、「本が読みにくい」なんてことをブログに書くとまずいのだろうか、ビクビク…と思っていたんですが、「あ、普通によくあることなのかな」と記事を読んで少しほっとしました。
自分のほかにも、似たような現象が起きている方がいらっしゃった!
んで、そういうことと関連して、最近思うことを少し書いてみます。個人的な話です。
このブログ、最初は、創作小説を書いてみようかなと思ったんですけども、ちょっと今は、「小説を書くなら別のサイトでやろうかな」と思ってここでは書いておりません。
小説を読むということと、ブログを読むということ、使っている脳の部分が少し違うのかなと思ったのです。
ブログのサイトにはブログを読みたい人がいる、けども必ずしも小説、それも素人のまずい小説を読みたいわけではないのかな…とか。
あと、単純に私の書くものがつまらない、そして長いという点。いや私は面白いと思って書いていますけども、人が読んで面白いかどうかは私にはわからない。
素人が書いた(というか私が書いた)長い文章を読むというのは、他人にとってはハードル激高なのだろうか、読む前に覚悟が要るレベルなのだろうかと思ったということ。そりゃあ気の毒だね。
あ、これだと私以外のアマチュアの方までもディスっているかのようですかね。
いや、そうでなく。ディスっておりません。
んだから、もっと読みやすい内容のものをブログでは書いたほうがいいのかな、と最近思ったりしました。短く、読みやすいものを、まず書いたほうがいいのかなと。
それ以前に、先ほども書いたとおり、他人どころか私がそもそも読めないというのがありますし。いやあ、読めないわけでもないんですけどブツブツ。
長い文章を読めないわけでもないんだけども、読んでてキツくなりはじめたのですね。
自分で書いたものであっても、そして面白いと自分では思っていても、書いたあと読めない。読んでも内容が頭に入ってこない。
疲れていると、特に読みにくい。ヒマ人なのに、なんでそんなに疲れているんだか。
…という現象が起きはじめたので、まあもうちょっと気楽に書ける/読めるものを書いたほうがいいのかなと思ったりしました。
読みやすい文章が私に書けるのだろうか、というアレはまあ置いておいて。
記事にかこつけて、自分が今思っていることを書いているだけになってしまいましたが。
こういう文章を書いたのなら、ここら辺で、本を読めないことに対する対処法を考えたほうがいいのでしょうか。それは元記事に網羅されている気もしますけども。
対処法…。ふだん、「読めないなら仕方ねえ」とあきらめる一択だったので、考えたことがありませんでした。
いやあ、まあ、どうしても読まなければいけないわけではないなら、時間をおくというのもひとつの手だと思います。
そのうち読めるようになりますよ。読めなかったとしても大した問題ではないですよ。大ざっぱすぎですか。
私が思うのは…脳が疲労しているのかなと。こう…イメージ的に、一部分だけをガンガン酷使すると、すり減る…わけではないでしょうが、認識がうまく働かなくなる現象が起きるのかな、という気がしています。私がそう思うというだけのことなので、根拠はないんですが。
私の想像が合っていて、そういうことが原因だとするならば、脳のほかの部分を刺激するようにしながら読む、という結論になるのかなあと思ったりします。
声に出す、のもそうですし、絵や図を思い浮かべる、というのもそういうことなのだろうと思います。
元記事で書かれていることそのまんまですな。
あとは何だろう、色を塗るとか?それだと絵や図と一緒ですかね。
うーん、あとは~触りながら、とか、においをかぎながら、とか。
イメージというのも元記事で言われていましたかね。絵や図を描くということは、その前に映像をイメージをしているということですよね。
前に、このブログでも書きましたが、「一億人の英文法」という本は、長文ツラい派の私にも読めたのですね。最後まで。
最後まで読みきれた、私にとって読みやすかった理由というのは、「イメージで英文法をとらえよう」という内容だったからなのかな、と思ったりします。
イメージしにくい内容だと読むのがキツいということかもしれません。(私の場合は)。
あ、そういや思いだしました。
私は長文の場合、電子書籍のほうがより厳しいという傾向があります。ディスプレイだけで読んでいるのがキツいときがあります。
電磁波とか、機械が発する何かが関係…あるのでしょうか、たぶんないと思います。根拠はないけど、たぶん関係なさそう。ディスプレイだけで読んでいるとキツいけども、長い文章を読まなければ特に何もキツくないという傾向ですね。
なのでガチで読みたい本は、なるべくアナログの本を手に入れるようにしています。「一億人の英文法」も、アナログで読みました。分厚かったです。
いや、そうは言っても、本(アナログ)でもなかなか読めない、積読状態の本もけっこうあるんですけどね。
アナログの本って読めないと地獄ですよね~。読めない上に場所取るし。
どうなんだろう、慣れという面も大きいのかもしれません。本の形態に自分が慣れているから読みやすい、という面もありそう。
まあ、私のほうからは特に新しいアイデアは何もないんですが、元記事を読んで、少しだけ気が楽になりました。自分ひとりだけではなかったんだなと思って。
そんなことをメモっておきたいと思いました。